連載 #7333の修正
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中川さと子 バイオリンの調べ(ヨーロッパ音楽巡り) 私は最近クラシック音楽のコンサートに行かなくなっていたが、DM君が誘 ってくれたので、久しぶりにバイオリンの演奏を聴きに行ってきた。 会場は、中区生涯学習センターの視聴覚室、演奏者は、バイオリン独奏中川 さと子・ピアノ伴奏森山康子、入場無料。 生涯学習センターは名古屋市の各区に在り、以前には社会教育センターと呼 ばれていた所で、かつて私があけぼの合唱団の指揮者を務めていた頃、守山区 社会教育センターの視聴覚室をよく使わせてもらったものだ。 視聴覚室の定員は60人くらいで、普段はテーブルと椅子がおいてあり、多 目的に使われている。今日はテーブルを全部取り去って椅子が並べられ、補助 席のパイプ椅子も出して、最後は立ち見の人も出るほど満員となった。会場係 の人に尋いたら、170人以上入場したとのことである。 開場1時半・開演2時というのに、私と妻は既に1時10分に到着し、DM 君とガイドヘルパーのTさんも程なく来て、最前列のまん真ん中の席に座った。 普通の音楽会と違って、時間前でも会場に入れるし、冷房も適度に利いている ので、私達よりもさらに早く来て座っている人もいた。あんなに満員になると は知らず、早く行って幸運だった。 相変わらず観察好きの私は、幕間の時間に席を立って、舞台を手で触ってみ た。学校の教壇程の高さで、私の席から2メートルくらいしか離れていない。 しかも、バイオリニストの真正面だから、生の演奏を間近で聴けた訳である。 そのせいばかりでなく、今日の中川さと子のバイオリンは、音量と音質にお いて一級のものだった。名高い演奏家でも、あれよりはるかに小さい音しか出 せないバイオリニストは世の中に多い。 「バイオリン演奏は、いかに上手に挽くかではなく、いかに美しく大きい音が 出せるかが大切だ。」 とは、荒谷正雄氏(元札幌交響楽団常任指揮者)の言葉であり、その点で中 川女史のバイオリンは一流であった。 確かに、正確さとか技巧の点で完璧な演奏とはいえなかったが、レコードで なく生演奏の場合は、技術よりもやはり音である。 話はやや逸れるが、古今の名バイオリニストのうち、私の最も愛し尊敬する 人を一人だけ選ぶとしたら、迷わずナターン・ミルシュテインを挙げる。彼の 12枚組CDのどの曲を聴いてみても、たった1音の僅かなミスすら発見する のは困難だ。バッハの無伴奏バイオリンソナタおよびパルティータでは、曲の 解釈が私の好みに合わないという不満はあるが、演奏のテクニック自体は完璧 である。 百年に一人の天才として衆目の一致するヤッシャ・ハイフェッツも、私に言 わせると、ナターン・ミルシュテインには及ばない。両者とも稀有な超絶技巧 の持ち主だが、ミルシュテインの演奏はハイフェッツのような派手さこそない ものの、精密さ・完全さにおいて勝っている。 けれども、残念ながら私はミルシュテインの生演奏を一度も聴かずに終わっ てしまった。彼が飛行機嫌いとかで来日したことがなかったからである。とい うことは、いかにミルシュテインのバイオリンが完璧だといっても、それはレ コード録音についてであって、はたして舞台演奏でいかほどの音量・どのよう に美しい音色のバイオリンを聴かせたのか、実際のところ私は知らないのであ る。そういうことまで考え合わせると、もしかしてやはり、ミルシュテインよ りもハイフェッツの方が上であったのかもしれない。 似たようなことはアイザック・スターンのバイオリンについても言える。彼 のコンサートの様子は私の随筆に今まで何度か書いた通り、実に大きな音で、 その朗々たる響きは広い会場の隅々まで広がったものだ。スターンのバイオリ ン音楽は、録音ではなく本物の生演奏を聴かなければ真価が分からない。 話を戻して、中川さと子のバイオリンも、レコード(CD)録音で聴いたら 多分欠点のある演奏になるだろう。しかし、生の音楽会は、技術や表現力より も音量や音質に左右される。極端にいえば、いくら上手に演奏しても、音が小 さくて観客に聞こえにくければ感動は湧かないのである。 中川さと子を世界的なバイオリニストと比べるつもりはないが、それでも、 音の大きさからいえば決して遜色なく、会場が狭かったことと、最前列の席だ ったことを考慮に入れても、あのボリュームは並ではない。 ついでに、相変わらずの私の持論を付記するならば、最近のコンサート会場 は広すぎていけない。 広いホールでも、純音楽(クラシック)コンサートでは、特殊な楽器以外マ イクを使用することはなく、それは嬉しいことだが、1500人から2000 人、多いときには3000人以上の聴衆を1会場に集めて、オーケストラなら まだしも、バイオリンやハープやリュートの独奏を聴かせるのは、所詮無理な 話だ。元来室内楽というのは、千人もの人を集めて聴かせるものではない。い くら楽器がよく共鳴するといっても、せいぜい数百人が限度であろう。それな のに、何千人もの観客に切符を売って商業ベースに乗せようとするから、そこ に無理が生じる。 私が最も腹立たしく思うのは、大ホールの残響(反響)をやたらに強化する 設計である。「どこそこのホールは音響効果が素晴らしいそうだ。」という評 判の会場は概して残響が大き過ぎる。残響が強いと、まるで広い洞窟の中か、 昔の銭湯の洗い場で演奏を聴くような具合で、素人耳には迫力があるようでも、 本当の楽器の音色を聴きたい者にとって、あれほど邪魔なことはない。近頃は CD録音もむやみにエコーを入れているが、あれこそ紛い物の音楽に他ならな い。 という訳で、今回の生涯学習センター視聴覚室は、全く残響が無くて真に良 かった! けれども、難点が一つあって、ピアノの調律がきちんとしてなかった点、演 奏者に対し失礼でもあり、音楽そのものの価値を些か下げてしまった。おそら く係でそのことに気づく人が居なかったのだろう。 但し、ピアノ伴奏の森山康子は大変上手であった。 さて、ここから本論に入る訳だが、下にプログラムを掲載し、全体的な感想 を簡単に述べるにとどめたい。 四季のふれあいコンサート バイオリンの調べ ヨーロッパ音楽巡り エルガー : 愛の挨拶 (イギリス) バッハ : G線上のアリア (ドイツ) モーツァルト : メヌエット (オーストリア) クライスラー : 美しきロスマリン (オーストリア) ドボルザーク : ユーモレスク (チェコ) ショパン : 夜想曲 (ポーランド) チャイコフスキー: メロディー (ロシア) バルトーク : ルーマニア民族舞曲より (ハンガリー) [休憩] シベリウス : ワルツ (フィンランド) ビバルディー : 四季春より第1楽章 (イタリア) フォーレ : シチリエンヌ (フランス) ファリャ : スペイン民謡よりホタ (スペイン) サラサーテ : ツィゴイネルワイゼン (スペイン) アンコール : 浜辺の歌 (日本) どれも名高い曲目ばかりで、聞き慣れているといってもやはり名曲は素晴ら しい! 曲の合間合間に、演奏者自身がマイクに向かって解説を加え、各国の民族性 や有名な作曲家や曲目そのものについて語った。 ガイドヘルパーのTさんの言によれば、中川さと子の年令は30歳くらいの 若さに見えるが、紹介文の「各地の交響楽団でコンサートマスターを務めた」 という経歴から判断すると、もう40歳近い筈とのこと。 ところで、私の知るところ、バイオリニストで綺麗な声の人は案外少ないと 思う。はっきり言って、バイオリンの音ほどには演奏者の声が美しくないし、 内容の割に話し方にも深みが足りない人が多い。私がいったい何を言いたいの かというと、美しい音色でバイオリンを挽くのも難しいが、綺麗な声で上手に 話しをするのも甚だ難しいということである。 また余談になるが、近頃の若者は日本語の発音が非常に悪くなった。例えば 店員の応対にそれが如実に現れていて、鼻に掛かった声で、「いらっしゃいま せえ。」「1万円からお預かりいたしまーんす。」「ありがとうございました ああー!」などと、口先だけの挨拶を事務的に繰り返している。 それに比べ、今日のバイオリニストの説明は落ちついた控えめな調子で、S とCの発音に舌っ足らずの癖はあったが、声も綺麗で素直な話し方だった。 それよりも、バイオリンの演奏を聴いて私がいつも考えさせられるのは、今 日ここに至るまでの演奏者の血のにじむような努力と先行きへの心配である。 自分で言うのもおかしいが、私は長女に3歳前からバイオリンを習わせ、親 子ともどもその精進と上達に精魂を傾けたものだった。けれども、我が子に才 能が無かったのか、あるいは父親の期待と重圧に押しひしがれたからか、娘は 二十歳になってとうとうレッスンに通うのを止めてしまった。バッハのソナタ やモーツァルトのコンチェルトを上手に挽ける段階まで達していたのに、娘は 今やバイオリンなど見向きもしない。 バイオリンの練習にはばく大な努力と財力と時間が必要であり、それに加え て才能と環境と愛着が人一倍強くなければならない。その6拍子が全部揃った としても、プロに成れるのはその内のほんの一握りに過ぎず、プロになった後 も、バイオリンで生活していくのは容易なことではあるまい。 それらを思うとき、「娘がバイオリンの演奏家に成れなくて良かった」とい う安堵の気持ちと、「18年もの間、親ばかゆえに我が子に苦労を強いてしま った」という後悔の気持ちとが、いつも私の心の中を往来するのである。 そんな経緯から、バイオリン並びにその演奏者に対して、私は特別の思い入 れがあるのだ。 プログラム中、私が今日初めて聴いた曲は、第二部最初のシベリウスの『ワ ルツ』だけで、他は全て馴染みの名曲といってよい。 とりわけ上手い演奏を聴かせてくれたのは、『ユーモレスク』『ルーマニア 民族舞曲』『春より第一楽章』『ホタ』『ツィゴイネルワイゼン』で、他の曲 も皆楽しかった。 アンコール曲の『浜辺の歌』を聴きながら、日本の歌にも世界にほこれる名 曲が多いことを改めて認識した。 音質を一言でいうと、堂々としていて男性的。そして、私が東京の大学時代 に最初にバイオリンのレッスンを受けた山之内妙子先生の音色にそっくりだっ た。楽器も相当高価なバイオリンであるらしく、あの音はいったい何処の国で 製作された楽器なのか私には分からない。 音量については上に述べた通りで、耳が痛いほどの大きな音だった。 中川さと子の体つきは大柄でなくむしろ華奢な方だと妻は言い、「きっと骨 格の太い人なんでしょう」とも言ったが、なにしろ強くて重厚な音であった。 このように書いてくると、いかにも中川のバイオリンは音の大きさだけが取 り柄で、技術はさほどでないよーに受け取られかねないが、無論そんなことは 決してなく、運弓のすばやさ・指力の強さ・ビブラートの自然さ・調弦の正し さ・表現の豊かさ等、最高レベルであることは間違いない。だからこそ音の大 きさが生きてくるのである。 [2000年(平成12年)7月30日 竹木 貝石]
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