連載 #7268の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「あら、濡れているみたい」 瀬戸山菊子の死体を見つめていた蒜野有紀がぽつりと呟いた。郷野弘幸が聞 きとがめる。有紀が瀬戸山のジーンズを指差した。瀬戸山がはいていたのは洗 いざらしの薄青のジーンズだったが、下の方が濃い藍色に見える。指で触ると じっとりと湿っていた。両足ともにひざ下10センチくらいからだろうか。ジ ーンズの先に突き出た足は素足だったが、こちらには湿り気はまったくない。 「袖口も湿っているわ」 有紀が瀬戸山の着ているベージュのトレーナーの袖口をつまんでいた。郷野 も実際に触って確認する。有紀の言うとおりだった。こちらは袖口の部分だけ だが、確かに水に濡れたような感じになっている。 「これはどういうことだ」 郷野は首をひねった。瀬戸山は両手の袖口と両足のジーンズを濡らしている。 有紀が鼻を近づけてみたが、濡れた部分にさしたる異臭はしなかった。 有紀が部屋を見回してから、何気なく言った。 「自殺ってことじゃないみたいですね」 「なに?」 自殺という言葉に郷野は虚を突かれた。まるで拳銃のトリガーでも引かれた かのように、自殺という言葉は郷野に内村友美を想起させた。 友美、私はいったいどうすればよいのだろう。おまえを自殺に追い込んだ奴 らは、ここで相次いで死んでしまった。私の手にかかることもなく・・・。 「あのぉ、この女子高生のことなのですけど、こうやって見回しても遺書らし いものはないようですから。自殺とは考えにくいですよね」 「あ、ああ。そういうことか」 動揺した郷野の顔を有紀が不安げに見ていた。 「大丈夫ですか、顔色がよくないようですけれど」 有紀の言葉を手を振ってさえぎる郷野。 「それよりも、他に気になるところがないか、よく調べてみようじゃないか」 郷野に言われて、有紀はもう一度、部屋を見回した。 千葉家の別荘の客室だったが、一流ホテルの客室のような印象を受ける。中 央に花柄のベッドスプレッドのかかったベッド、その向こうに机があり、その 手前には籐椅子が窓に向かって置いてある。籐椅子の上に瀬戸山が持ってきた と思われる中型の茶色のボストンバッグがひとつ無造作に置いてあった。バッ グはファスナーが閉まっており、さすがに、有紀は手を出すのをためらった。 代わりに郷野が籐椅子に近づく。 「それ、まずいんじゃないですか。私たち、警察でもないのですから」 有紀の懸念を気に留めず、郷野はボストンバッグを開けて、中のものをベッ ドの上にぶちまけた。化粧ポーチ、携帯電話、着替え類といったものの他に特 に変わったものは入っていない。 「遺書めいたものでも入っているかもしれないと思ったけれど、何もないね。 確かに自殺じゃなさそうだ」 郷野は乱雑に中味をバッグに戻しながら、苦笑いを浮かべた。有紀がほっと したように、ため息をつく。 ベッドの右手に鏡のついたドアがあり、クローゼットの扉と思われた。有紀 がドアを開けて中を確認する。中は空っぽだった。有紀が首をかしげる。 「クローゼットに何もないって変ですよね。この子、まさかセーターにジーン ズ姿でこの別荘までやってきたわけじゃないでしょう。ジャケットかコートは いったい、どこに置いたのかしら。それにパーティー用のドレスも見当たらな いわ。この子、今夜のパーティーにジーンズで出るつもりだったのかなあ」 「それよりも、これを見てくれ」 郷野の緊張した声がした。郷野は籐椅子の脇にある屑篭に手を突っ込んでい た。有紀が見つめる中、郷野によって屑篭からゆっくりと取り出されたものは、 丸められた紙のようなものだった。 「それは・・・」 「楽譜だ。千葉良香くんの部屋から無くなっていたという譜面に違いない」 郷野は少し震える手で、丸められた紙を平たく伸ばしている。数ページの2 つ折りされた冊子だった。タイトルとその下のクレジットを確認する。編曲者 名に郷野弘幸の署名があった。 「どうして、譜面がこの部屋に? しかも丸められてごみ箱に入っているなん て・・・」 有紀の質問に郷野は答えることはできなかった。ただ、ひとつの確信は生ま れつつあった。 良香がこの譜面を取り寄せたのは、郷野にバイオリンの指導を仰ぐつもりだ ったから、と佐藤は言った。しかし、それは佐藤の思い違いだ。郷野が別荘に 着いたとき、真っ先に迎えに来たのが良香だった。良香はひとりで郷野を客室 まで案内した。しかしあの時、譜面のこともバイオリンのレッスンについても 良香は何も言わなかった。玄関から客室へ行くまで、良香と郷野は二人きりだ ったというのに、そう言う話はまったくなかった。 つまり佐藤の推測とは違う理由で、良香は譜面を借り出した。そして、良香 は絞殺され、友人の瀬戸山菊子と竜崎京太郎は毒死し、譜面はくしゃくしゃに 丸められて瀬戸山の部屋の屑篭に捨てられている。 おそらく、この譜面は彼らの死に何らかの形で関係しているのに違いない。 一瞬、郷野には何かが見えたような気がした。しかしそれは朝になると決ま って思い出せない浅い眠りの夢のように頼りなく、はっきりと認識する前に意 識のかなたへと消え去った。 ちょっと迷ったが、譜面は気になったのでポケットにしまいこんでから、蒜 野有紀を促して、郷野弘幸は隣りの竜崎京太郎の部屋も調べた。 竜崎の部屋は瀬戸山のそれとほとんど同じだった。竜崎もベッドに突っ伏し ており、オレンジジュースらしき液体の残った厚手のコップが窓際の机の上に 置いてあった。しかし瀬戸山と違い、竜崎の顔は苦悶に歪み、青紫色に変色し ていた。 「これは青酸ソーダのような猛毒かもしれませんね。おそらくオレンジジュー スに入っていたと思うのですが、ある量を超える猛毒は摂取されるとすぐに筋 肉収縮を引き起こすといいます。この顔色だと喉か舌の筋肉が急激に収縮した ための窒息死のように見えます」 有紀が記憶にある取材経験からコメントした。 毛糸のセーターにジーンズ姿の竜崎も、瀬戸山と同じようにやはりズボンの 先を濡らしており、クローゼットは空っぽだった。ただし、竜崎の部屋の屑篭 には譜面のような紙切れは何も入ってはいなかったが。部屋の中では遺書らし い書置きも見つからなかった。郷野は竜崎のものらしい大型バッグの中まで調 べてみたが、バンド用のスコアブックが数冊と着替え、それに小型のパソコン 以外には特に気になるものはなかった。 「もし、彼ら二人が自殺じゃないとしたら、殺されたということになりますね」 ガラルームへ戻る廊下を歩きながら、有紀が声を潜めた。 「いや、事故の可能性もあるだろう」 「事故、ですか?」 「ああそうさ。あのオレンジジュースか、厚手のコップか、あるいは中にいれ た氷かもしれないが、とにかく何かの手違いで、毒が付着していた。そして、 彼らふたりはそうとは知らずに飲んでしまった」 「厚手のコップでしたら、私もさっきホットミルクを飲みましたよ。松倉さん が持って来てくれましたけど、よく似たコップでした」 「でも君はなんともない」 「はい」 「だから、あの二人は殺されたと君は言いたいのか」 誰が聞いているかも分からないので郷野の声も低くくなる。 「いえ、そう言うわけじゃ・・・。でも、一応、あのオレンジジュースは誰が 用意して、誰があの部屋に運んだのかを調べた方がいいんじゃないでしょうか」 「それには私も異論はない」 それだったら執事の松倉信吾に聞くのがてっとり早いだろう、と郷野は思っ た。 郷野と有紀が戻ったとき、ガラルームの雰囲気は一変していた。 少し前、松倉信吾がステージから説明したときには一時的に静まっていた招 待客たちが、声高にしゃべり始めていた。おそらく、新たな高校生ふたりの死 が伝わったのだろう。雪崩に閉ざされた別荘内で、3人もの人間が死んだ。し かもその死因からすると殺人事件らしい。そうすると殺人犯はまだこの別荘内 にいるのではないか。いや、今このガラルーム内に素知らぬ顔で紛れ込んでい て、新たな犠牲者を探しているのではないか。そうした緊迫した不安が外で降 りしきる雪に負けないくらいの勢いで、ガラルーム内に降り積もっていた。 本来なら、そうした客たちの動揺をなだめる役回りになるはずの松倉の姿が 見えなかった。今夜のパーティーの主催者である千葉貴恵の姿もない。 このまま放っておいたら、ガラルーム内がパニック状態になりかねない雰囲 気だった。郷野はとっさに有紀に耳打ちした。 「千葉さんか松倉さんを探してきてくれ。いくら警察の指示だからと言って、 招待客をこのままガラルームにまとめて置くのはまずい。ここはいったん、各 部屋に引き取ってもらったほうがいいと思う。このままだと、ここで殺人事件 が起こりかねないくらいの険悪な雰囲気だ」 有紀はうなづくと、そのままガラルームのドアの外へと駆け出した。 有紀の後姿を見送りながら、郷野は不思議な気分だった。もともとはこうい う混乱を起こすはずの自分だったのだ。何と言うめぐり合わせだろう。今は、 混乱した千葉家のパーティーをなんとか収拾しようとしている。 郷野の顔に苦笑いが浮かぶ。 そのとき、騒然とした客たちの中から、郷野めがけて駆け寄る男がいた。顔 を真っ赤にした佐藤だった。 「警察が来ないと言うのなら、俺たちで犯人を探し出してしまおうぜ」 「また、きみか」 郷野があきれた声を出した。しかし、佐藤はひるまなかった。 「今夜のパーティー出席者は招待客だけで35人だ。しかし、良香が死体で発 見された後にここに着いた客は犯人じゃない。まずそういう連中を部屋に帰し たらどうなんだ」 「素人考えで警察の真似なんか止した方がいい。それに、どうしてそんなこと が断言できる」 「簡単な理屈だよ。良香をあの部屋で殺すには、良香の死体が発見される前に、 別荘に着いていないと犯人にはなれないだろ」 「そんなに大声でわめかなくても聞こえているよ。他のお客様に迷惑だろう、 もう少し小さな声でお願いしたいね。それから、良香さんが襲われたのがあの 部屋だと決まったわけじゃない。犯行時刻だって不明なのだ。どこか別の場所 で襲われてから犯人にあの部屋に運ばれたとも考えられる。なにしろ部屋に鍵 はかかっていなかったようだしね」 郷野はできる限り声を落として、佐藤に応えた。しかし、郷野の気配りとは 裏腹に、ガラルームの招待客たちが二人のやり取りに耳を傾け始めたのが分か った。 「何を言ってるんだよ。あんたがここに着いた時、良香が出迎えただろうが。 あれは何時だったんだ? 午後2時すぎだったか」 「ああ、確かに」 すばやく郷野は記憶をたどる。予定より早く着いたので、案内された部屋で 一休みしたのだ。そして、松倉にたたき起こされた・・・。 「松倉が良香の死体を見つけたのが午後2時半だ。俺はそのとき、ガラルーム で照明の準備をしていたが、松倉が慌てふためいて伝えに来たときに、ちゃん と腕時計で確認したんだ。午後2時から2時30分。その間、たったの三十分 しかない。いいか、たったの三十分だ。その間に良香は殺されたんだ、そうだ ろ」 佐藤に思わず相槌を打ちかけて、郷野は踏みとどまった。なにか引っかかる のだ。しかし、その正体がまだ見えない。佐藤の言っていることは一応、まっ とうだった。 「確かに、その30分の間に彼女は襲われたらしい」 「だからさ、その30分間の所在がはっきりしている者は犯人じゃないってこ とになる。そう言う人は、どんどん名乗り出て、早いとこ部屋に帰ってゆっく りしようぜ」 後の方はガラルームの招待客に向けられた言葉だった。招待客がざわめく。 先ほどまで郷野と佐藤のやり取りに耳を傾けていた人たちが、堰を切ったよう にいっせいにしゃべり始めたようだった。しかも、みんなが郷野に向かって話 し掛けてきていた。あたかも郷野がこの場を取り仕切っている人物とでも思っ ているように。 「私は無関係です。私は犯人ではありません」 そんな言葉があちらこちらで繰り返されていた。声は大きなうねりとなって 郷野を襲った。喧騒の圧力に押されて郷野はわずかに後ずさりした。背がガラ ルームの扉に当る。 「申し訳ありません・・・」 大きな声がスピーカを通して流れてきたのはその時だった。ガラルームのス テージの上に女性が立っていた。マイクを手にしている。 「このたびは私どもが企画しましたパーティーがとんでもないことになってし まい、まことに申し訳ございません」 そう言って深々と頭を下げたのは、千葉貴恵だった。先ほどのドレス姿から、 医療機器メーカの社長らしいスーツ姿に着替えている。心なしか青ざめた顔色 だったが、まっすぐに招待客の方を見ていた。 招待客はすぐに静かになり、全員の目が千葉貴恵に向けられた。 「今更という感じではございますが、こういう事情でございますので、今夜の パーティーは中止とさせていただきます。せっかく遠路お運びいただいた皆様 にはまことに心苦しいのですが、事情をご高察賜りまして、なにとぞご了承お 願いいたします」 招待客はしんと静まり返り、貴恵の次の言葉を待った。が、貴恵が口を開き かけた瞬間に、招待客の中から悲鳴が上がった。スローモーションのように何 か大きなものが貴恵の立つステージに落ちてきたのだ。それは貴恵のすぐ背後 で粉々に砕け散った。天井に取り付けられていたはずのガラス製のシャンデリ アだった。 (以下、次回へ続きます)
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