連載 #7240の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
午後四時二十五分。ガラルームに招待客全員が集められてから四十分ほどが 経過した。その間、郷野は平静を装うのに多大な努力を要していた。 ガラルーム内では、他の者から離れて一人、奥の一角の椅子に腰を深く落と し、目を閉じていた。そうすることで、動揺を隠せる。恐らく、他の者に倍す る動揺を。今は誰にも話し掛けてほしくない。ぼろが出そうだ。 幸い、元々人嫌いで通っていた郷野だけに、こうして心理的なカーテンを張 り巡らせても、不審がられることはないであろう。 (私より先に、誰が千葉良香を……?) 平静に努める一方で、犯人の正体を探ろうと思考を巡らせもする。 別荘にいる人物の顔を、一人ずつ思い浮かべてみた。 良香と明確につながりを持つのは、瀬戸山菊子と竜崎京太郎。友人とは言え、 希薄な信頼関係しか築いてなかったと思える。いや、仮に彼ら三人が、真の意 味での親友同士だったとしても、友美の一件を境に危うく脆い関係に変化して いったのではないか? (具体的には分からないが、動機の生じる可能性はある。以前の三人の力関係 は千葉が一番上……他の二人はこびへつらっていたのではないか。あの事件―― 友美の死を境に均衡が失われ、瀬戸山か竜崎のどちらか、もしくは両者ともが 反旗を翻す。千葉も引かない。結果、仲間割れのような形で、千葉は殺された) どの程度ありそうな状況だろう? 今の郷野に冷静な判定はできなかった。 念のため、他の面々も思考の俎上に載せる。 松倉という執事が、雇い主の娘に対して殺意を持つケースがあるか。 (見た目やこれまでの様子から判断する限り、誠実な印象の男だ) 幼少の頃より表裏のある人間をたくさん見てきた郷野にとって、それだけで は不足だ。あえて疑ってみる。ほどなくして、突飛な発想が浮かんだ。 (松倉が千葉良香に手を出していたとしたら?) 根拠はない。飽くまで仮定としてそう考えると、動機もあり得ることになる。 (あの佐藤というのは、千葉良香の恩師らしい) 松倉に関して想定した動機を、佐藤にも当てはめてみた。松倉以上にしっく り来る気がする――と、そこまで考えて、郷野は我に返った。こんな推論を積 み重ねて、自分は何をしたいのだ? 自問自答が始まる。 (犯人を見つける気か? 何のために? 私は犯人に感謝こそすれ、告発する 意志はない。それに、もしも犯人が良香一人を殺して犯行を終了とするのなら、 私が瀬戸山と竜崎に手を下さねばならない。良香殺しの犯人が何者であれ、現 段階では泳がせておいた方が、私にとって有利なのではないか?) 気配を感じて面を起こすと、水を満たしたコップが目の前にあった。細く白 い指が支えている。顔を見なくても、木幡和奈(こばたかずな)だと分かった。 「お水、もらってきました。いりませんか。顔色が悪いみたいですから」 「……もらおう。ありがとう」 思考を覗かれた気がして鼓動が早まったが、コップを受け取る頃には落ち着 いた。一口飲んで、改めて木幡を見上げる。立ったままの彼女に言った。 「座ったらどう?」 「では、隣に失礼します」 眼鏡のフレームを押さえながら、うつむいて静かに座る木幡。 某大企業Lのメセナ部に所属する彼女は、郷野の楽団への資金援助を担当し てきた。元来、郷野のファンだという木幡自身はその仕事に喜びを感じていた らしかったが、折からの不況で、援助額の縮小あるいは打ち切りの方針が打ち 出された。今回、郷野が新たな援助を受けるために千葉家に接触を始めたとの 噂を耳にした木幡は、半ば強引に別荘に乗り込んできた。 「わざわざ来るとは、君は、よほど僕に入れ込んでいるようだね」 年上の木幡に向かって、郷野は傲慢な口調で聞いた。これがいつもの態度な のだ、崩すとかえって怪しまれる。 「そんな」眼鏡の下の頬に朱が差した。 「おや。勘違いさせてしまったかな。バイオリニストの郷野弘幸に入れ込んで いる、という意味なのだけれど」 「分かっています」 ぴしゃりと言って、膝の上で両手を握りしめる木幡。十秒ほどの沈黙を挟ん でから、口を開いた。 「私は、郷野さんにいい環境で活動してもらいたいんです。雑事に煩わされる ことなく、音楽に集中できるように」 「ありがたい言葉だよ。しかし、君のところは他人を賄う余裕がないらしい」 「だからと言って、こんな」木幡は声を潜めた。 「後輩の家族を頼るような真似は……あなたにふさわしくありません。千葉家 の関わる医療メーカーに関しては、よくない噂も入ってきます」 「不正なしでは儲からないご時世なのだろう。悪事は芸術を助ける。ははは」 無理をして笑った郷野。空虚な笑いだと、自分でも思った。 千葉の側からそのような申し出があったのは事実だが、援助を受けるつもり は毛頭ない。木幡にもそう言ってやりたかったが、動機をカムフラージュする には伏せておくべきだと判断した。 「よそを悪く言うのはやめます。口が過ぎました」 黙礼し、声量を元に戻す木幡。 「Lの上部へは、私が説得して翻意させてみせます。ですから、郷野さん、も うしばらく待ってください。お願いします」 「そんなに頼み込まれてもね。資金は潤沢であればあるほどいい」 「郷野さん――」 「安心したまえ。僕の音が変わることはない。僕の信念もね」 木幡は全然安心できなかったらしい。下げていた頭を決然と戻し、その勢い のまま席を立った。 「今は異常事態ですから、このようなお話はしない方がよさそうですわ」 「そうしてくれると、ありがたい」 正直に答えた。木幡は明らかに未練を残していたが、やがて離れていった。 彼女の背をそれとはなしに見送った郷野に、別の女性から声が掛かる。千葉 貴恵(ちばたかえ)、良香の母だった。 「郷野先生……折角お越しいただいたのに、このようなことに巻き込んでしま い、心からお詫び申し上げます」 気丈な調子で貴恵は言った。事実、目を腫らしてはいないし、涙を流した跡 も見当たらない。ただ一点、近付いてくるときの足取りが頼りなかった。 郷野は反応に迷って、そのせいで返事が遅れた。とにかく腰を上げる。 「とんでもない、千葉さん。どうしようもないことです。それよりも、ご令嬢 の良香君をこんな形で亡くされて……心中をお察しします。お辛いでしょうが、 お気をしっかり持ってください。力添えさせていただきます」 唇が震えた。半分の感情もこもっていない台詞なのに、ぺらぺらと喋る自分 自身が疎ましい。 にも関わらず、千葉貴恵はうつむいた顔に手の平を当て、涙する様子を見せ た。「ありがとうございます」とまで言った。 (娘を失ったショックで、元から精神的に不安定になっていたに違いない。で なければ、今の私の感情を欠いた台詞で泣けるものか) 思い込もうとした。良香殺害を決意した彼と言えども、こうして泣く親の姿 を見せられると、気持ちがわずかでもぐらつきかねない。話題の転換を図る。 「ご挨拶の前にこのようなことになって、大変残念です。ご主人は今、どちら でしょう? ぜひご挨拶とお悔やみを申したいのですが」 「主人は都合がつかず、ここへは参っておりません。――おおおっ。一体、何 て伝えたらいいのか、私、どうしましょうっ」 身体がぐらりと傾く貴恵。泣き崩れそうになるところを、郷野は手を貸した。 「お気を確かに。ご主人がお越しにならないということは、ここへは一人で? いつ、到着なさったのですか」 「十五分、いえ二十分ほど前だったかしら。悪天候の中、神経を張り詰めて運 転して参りましたら、良香が死んだと知らされて……混乱してしまって」 「そうですか」適当に相槌を打つ。タクシーで現れたちん入者二人より、十分 ほど早く来たのだろう。郷野は計画遂行の是非を検討にかかった。 (ホストが来ないのは、チャンスと言えるかもしれない。雪で閉じ込められた 格好だが、これも警察の介入を避けられる天の配剤と思えば、私には好材料。 やはり一両日中に決行するべきか) 予想の埒外の事態に遭遇し、一時的にではあるが萎えかけた復讐心を、奮い 立たせようと試みる郷野。内村友美を思うだけで充分だった。 (今すべきは――良香の死に様を知ることだ。あとの二人も同様の方法で殺す ことで、同一人物の犯行と見なされる確率が高まるはず) 覚悟を据えた郷野は、なるべく抑えた調子で貴恵に求めた。 「千葉さん。このようなときに甚だ非常識かと思いますが、敢えてお願いした いことがあります。よろしいでしょうか」 「え、ええ。郷野先生、何でしょう」 「良香君の亡くなった様子を知りたいのです」 「まあ」目元に当てていたハンカチを、口に持ってくる貴恵。 郷野は疑念を抱かせぬよう、間を置かずに続けた。 「あいにくの悪天候で、頼りの警察が来られない。まさしく緊急事態です。良 香君のために私達にできるのは、犯罪の状況をよりよく把握し、記憶しておく ことではないか。そう思えてならないのです。違いますか、千葉さん」 「そうですわね……でも、私には犯人がどうこうなんて、まだ考えられない」 「もちろん、そうでしょう。分かります。代わりに、私や他の方達が尽力しま すよ。それによくお考えください。良香君を殺した憎むべき犯人は、この別荘 内にいる可能性が非常に高い」 「そんな、まさか」 「冗談であればいいのですが、この積雪を目の当たりにしては、そう考えるの が妥当かと……残念ながらそれが現実です」 「だとすると、なおのこと、早く犯人を見つけませんと大変なことに」 「なるかもしれませんね」 危機感を呷ることで、事態を狙い通りの針路に向けさせた郷野。千葉貴恵か ら承諾を得て、現場を見られることになった。 「俺も行こう。誰も信用できねえからな」 強引に申し出たのは佐藤。先ほど、郷野が思索に耽っている間に、何やらも め事を起こしていたが、警察の不着に苛立っているものと知れた。 さらに一人、女性が名乗りを上げた。細長いカメラを示しながら、 「蒜野と申します。私も同行させてください。状況を写真に収めておくと、い いと思うんですよね」 と得意げに、そして興味ありげに主張する。郷野はいくらか警戒しつつ、非 難の響きを含ませた口調で聞いた。 「蒜野さん。君は新聞記者と言いましたね」 「あ、はい。それが何か。カメラを持っているのは当然のことですわ」 「私は判断する立場にないが、新聞記者という人種が事件を面白おかしく書き 立てることを、身内の方は快く思わないかもしれない。許可をもらえるような ら、来ればいい……」 語尾を曖昧に消すと、郷野は松倉を手招きして話を預けた。貴恵婦人は気分 がすぐれないと言って、自室に引きこもってしまったのである。 「いいでしょう、松倉さん?」 鼻に抜ける声で頼む蒜野に、松倉は首を横に振った。事件発覚時のうろたえ ようが去り、毅然とした態度を取り戻しつつある。断固とした口調で告げた。 「奥様のお考えを窺うまでもありません。お入れできません」 「どうして? 警察の到着が大幅に遅れると分かった今、現場の状況を写真に 収めておくのは必要なことだと思いますけど」 「写真なら、カメラさえあればどなたが撮っても同じです」 折れない松倉に、蒜野は一瞬、不満たっぷりに唇を尖らせた。だが、すぐに 笑顔を復活させる。 「いいわ。入れてくれないのなら、カメラは貸さない。困っても知らないから」 松倉は渋い顔をし、眉間にしわを作った。佐藤に「どうでもいいから、早く しようじゃないか」と促され、ようやく決断した松倉。 「誓約書の提出をお願いしましょう。勝手に記事にしないとお約束ください」 背筋をぴんと伸ばし、承諾を強制するようなきっぱりとした口調だった。 千葉良香の絞殺体が、彼女自身の部屋にあった。現在はベッドの上に横たえ られ、行儀正しく眠っているように見える。白い布の下には、どんな死に顔が あるのか……郷野は見たくてたまらなかった。元の計画では、自分が殺し、そ の顔を踏みつけでもしたかもしれなかった。 衝動を抑え、郷野は松倉に聞いた。 「発見したのは、あなたでしたね。どんな状況でしたか」 「あれは、御主人様がお越しになれなくなったと奥様から連絡いただき、それ を伝えるためにお嬢様の部屋を尋ねましたから……午後三時三十五分頃でござ いましょう。ドアがかすかに開いていたのを不審に思いまして、またノックを してもご返事がなく、失礼に当たるのを覚悟の上で室内を見ますと、そちらの 床に俯せに、糸が切れた操り人形のように……あまりにおかわいそうでしたの で、ベッドへ移しました」 床にはふかふかの白絨毯。おぼろげに、ひと形が浮かんでくるように思えた。 蒜野が写真を撮りまくる中、郷野は松倉から遺体の位置を詳しく聞き出した。 「入口の方には足を向けて倒れていたのですか。すると、後ろから絞められた のだろうか……? 遺体の喉を見てかまいませんか、松倉さん?」 承諾を得て、遺体に近寄るとその喉元を覗き込む郷野。紐状の物を交叉させ た痕跡はない。背後から絞められたと考えるのが妥当のようだ。 (犯人に背を見せたということは、良香は安心し切っていたのだろうか?) 郷野がそんな推測をしていると、隣で蒜野が松倉に尋ねた。 「凶器はどうしたんですか。現場にありました?」 「いえ」蒜野には短い返事をするのみの松倉。新たに郷野が聞いた。 「午後三時半過ぎに発見したのなら、良香君を最後に見た人が分かれば、凶行 のあった時刻がおおよそ定まるね。私は良香君とはここへ来て最初に会って、 それきりになってしまったが……」 「多分、お友達二人のどちらかだと思います。後ほど、伺ってみましょう」 松倉が言い終えるのと同時に、黙りこくって部屋を眺めていた佐藤が叫んだ。 「おかしい! 譜面が見当たらん!」 「譜面?」蒜野がおうむ返しに呟き、郷野は目で問い返した。 「今夜、良香が演奏予定のな。郷野さん、あんたが昔アレンジした物だぜ」 吐き捨てるように答えた佐藤の形相は、敵意に溢れていた。 ――続く
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