連載 #7231の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
分裂病のあとさき 談知(KEKE) 私が精神病になったのは、ちょうど30歳のときだった。病 名は精神分裂病。なんだかおどろおどろしい名前だ。精神が分 裂してしまうというんだから、どのくらい悲惨な病気だろうか と思う。ま、たしかにいろいろ不都合な病気ではあるのだが、 それをいえば、けっこうな病気なんてあるわけがない。病気は どれでもおおかれすくなかれ不都合である。名前は陰惨だが、 分裂病も数ある病気のひとつにしかすぎない。ただ、発病した 部位が体ではなく、心であるということなわけだ。 発病するについては、女性関係のトラブルとかいろいろある のだが、ま、おいといて、発病の前後について語ってみたい。 最初はぴーという音が聞こえてきたのだ。とくに寝ようとす るあたりにいちじるしい。なんなんだこの音は。最初は不安に 思う程度だったが、だんだん心にくいこんできた。今思えば、 蛍光灯のうなりかなにかではないかと思うのだが、そのときは、 そんなこと考える余裕もなかった。とにかく、そのぴーという 音が耳について、どうにもならない。しまいには、頭がその音 だけでいっぱいになり、頭を抱えて走り出したいような感じに なった。 それから窓の外から声が聞こえるようになった。むろん本当 に声がしているわけではない。私だけに気こえる声だ。幻聴と いうのだが、むろんそのときは本当の声だと思っている。声の 主は、トラブルの原因となった女性だ。その声が窓の外で呼び かけている。私は窓をがらりとあける。誰もいない。どこかへ いったのか。また声が聞こえる。窓をあける。誰もいない。外 へでてみる。あたりを探し回る。誰もいない。こういうことを 毎日繰り返すようになった。この段階でもう完全に精神を病ん でいるのだが、おりあしく母が病気で入院していて、私ひとり で暮らしていたため、こういう状態が長く続くことになる。 一ヶ月ほどして、母が帰ってきたときには、私は部屋のすみ で頭をかかえて座り込んでいたという。ほとんど何も食べず、 着替えもせず、そのままのかっこうでずっと座り込んでいたよ うだ。このとき、私に通常の意味の意識はほとんどなかったよ うだ。母が話をしようとしても、意味不明のことをわめき立て るだけだった。 東京から弟がやってきて、母とふたりで私を精神病院へつれ ていった。診察をうけ、即入院となった。 その精神病院のなかで、ふと我にかえり、「あれ、ここどこ だろう」と思ったのは、あれは入院から一週間くらいだろうか。 その間は、食べるのも、寝るのも、オートマチックに行ってい た。通常の意識はもっていなかった。その時点で、漠然たる記 憶はあった。どこかへつれていかれた、そのあとどこかで寝た り食べたりした。そういう切れ切れの記憶はあるのだが、記憶 だけあって、考えてはいなかった。一週間たって、やっと通常 レベルの意識がもどってきたわけなのだ。 精神病院といっても、べつにそんなに普通の病院と違うわけ ではない。よくイメージされるような、訳の分からないことを わめき散らす人々がうろうろうろつきまわっている、というよ うな情景はない。むしろ、みたとこ普通のひとで、なんでこん なところに入っているんだろうと不思議に思うようなひとがお おかった。無表情だったり、動きが緩慢だったりするのは、あ れは病気のせいではなく、強い薬を飲んでいるからなのだ。一 般に狂人らしさと思われているのは、薬のせいでそんな感じに なってしまうことが多い。 ただ、一般の病院と決定的に違っているのは、窓に鉄格子が はまっていて、完全に閉じこめられていることだ。外へでてい ける開放病棟と、完全に病棟のなかに閉じこめられる閉鎖病棟 があるが、私がはいったのは、閉鎖病棟のほうだった。 閉じこめられる苦痛というのは、経験したものしか分からな いだろう。息が苦しい感じというか、頭が、ちょうど孫悟空み たいに鉄の輪で締め付けられる感じというか、なんか異様な感 覚に包まれる。苦しい。外へでたいのに、でていけない。 そこで働いている医者や看護婦もぜんぜん分かっていない。 彼らは一定時間そこで働くだけで、そのあとは外へでていくの である。しかも、いつでもそとへでれる。実際はでないにして も、いつでもでれるというだけで、ひとはなごむのである。で れない患者とは大違いなのだ。そのあたりに理解がなく、なん で患者がいらつくのかわからない人が多かった。そこに閉じこ められているだけで苦しいのだよ、患者は。 三ヶ月、私はこの苦しさに耐えた。長かった。 精神病院への入院は、入院ではなく、実際は収容だろう。通 常の入院なら、退院したければ、即退院できる。本人の意思が あれば、それで十分なのだ。ところが精神病院では、本人がい くら退院したいといっても医者が駄目といえばそれまでなのだ。 あなたはまだ治っていません、もすこし入院が必要です。そう 言われたらしまいなのだ。本人の意思なんか少しも考慮されな い。もちろん、建前上はいろいろある。強制的に入院させられ たか、自分から入院したかでも違うわけだが、結局本人の意思 より医者のいうことのほうが優先されることは確かなことなの だ。どうみても入院したのではなく、収容されたのである。 三ヶ月後私は退院した。自信も誇りもはぎ取られた男がそこ にいた。私はひどいうつ状態になり、部屋に閉じこもって暮ら した。いわゆるとじこもりだな。この状態がおおよそ5年くら い続いたろうか。5年たって、ようやく外にでれるようになっ た。それでも、一日一回近くの喫茶店へでかけていって、コー ヒー一杯飲んで帰ってくる程度のことだったが。そんな暮らし がさらに5年続いた。 それからすこしづづ快復していって、今はけっこう活発に動 いている。当事者運動にもかかわるようになり、忙しい毎日だっ たりする。仕事はできない。今でも異様に疲れやすく、ちょっ とペースオーバーになるとすぐ音をあげる。ボランティア的な 活動だから、それでも許されるが、金をもらう仕事だったら、 すぐ首だろう。障害年金ももらったことだし、こんな感じで暮 らせればそれでいいかなというのが、今の正直な気持ちだ。 精神病になってなかったら、どうなっていたんだろう。ふと そういうことを考える。あのまま世界を放浪して暮らしていた んだろうか。世界のどこかの安宿で、今このときをむかえてい るんだろうか。分からない。でも、もう私は、この今の状態で 生きるしかない。この状態が私なんだと思って生きるしかない。 そして、そんな状態の私に、けっこう満足していたりする。ま あ、人生ぼちぼちや、どっちにしても、私の人生なんてこんな もんちゃうやろか。そんな諦めか、あるいは達観ができたから か。 談知(KEKE) EmBiglobe 2.04
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