連載 #5138の修正
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告 白 平成五年作 M.D(六十一才) 昨年の春に三十八年間勤め上げた教職から退き、老いて尚充実した毎日を送っており ます。四十年足らずの教師生活は可もなく不可もなく、平穏に過ごして来た様に思いま す。 今、こうして人生を振り返りますと、多くの思い出が、走馬灯の様に駆け巡ります。 色々な事がありました。 楽しかったこと、苦しかったこと、そして恥ずかしかったこと・・・等々。 その中でとりわけ私の心の中に根強く残って止まない、あるいくつかの出来事がありま す。 それは、時に甘美に、また時には罪悪と後悔の念で、心中に残っております。 私は昭和二十八年までI町の農協に勤めておりましたが、私が高等学校を卒業して いるということから、当時町の助役をしていたH氏から教師になってみないか、と言う 勧めを受けました。 初めは、自信がなかったのですが、当時の教員不足からH氏の強い要望に応じ、翌二十 九年の春からI町立のT小学校に代用教員的待遇で勤務することになりました。 初めはぎごちなかった私も、”習うより慣れろ“の喩え通り、一年もすると一人前の教 師になっていたのです。 そしてその年、県の教育委員会から正式な教員としての通達を受け、待遇もほかの教員 並になっておりました。 教師という職業が、こんなに楽しいものと思い始めたのもこの頃からです。 何と言っても先生は”お山の大将“当時の生徒達はどんな悪童でも、教師の言う事には 素直に従ったものでした。 そして、同年の秋には県議会議員の先生の勧めで見合をし、翌年二月には、式を挙げま した。 妻は富美子といい、旧陸軍大佐の娘で、東京の女子大を卒業しておりました。 私より三つ年上の彼女もまた、同町の中学で教鞭をとっておりました。 とりわけ美人でもなく、そこ意地の悪い性格でもなかった妻でしたが、旧華族出身で厳 格な軍人の父に育てられた彼女は、世間知らずで偏執質的に頑固の上、融通の利かない 女でした。 また、妻は私との結婚が二度目だったのです。
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