連載 #5115の修正
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前衛という言葉は、とても便利なように思える。例えば、中島らも氏の書いた 落語に、鉄工所の社員がヘビメタバンドを結成するといったものがある。 バンドの構成として、リードギターがフラメンコギター、ホーンが尺八、ドラ ムがだんじり祭りの太鼓、それにトライアングルのついた構成だったと思う。こ のバンド構成で演奏してみて、これはヘビメタは無理だとなる。結局、落ちが、 「ヘビメタはやめて、前衛音楽にしよう」といっものだった。結局のところ無茶 苦茶なもの、いいかげんなものは、前衛として括れるという共通認識があるよう に思える。 ただ、実際のロックバンドはもっと凄まじい構成があったりする。それはマイ ナーなインディーズのバンドの話ではなく、ちゃんとした大手メジャーレーベル と契約したロックバンドの話だ。 ボアダムズというバンドがある。よくは知らないが、マドンナやローリングス トーンズのアルバムを出しているアメリカの大手メジャーレーベルと契約したと いうから、インディーズバンドとは呼べないだろう。ある意味では、松田聖子が やろうとしてできなかった、アメリカ進出に成功した売れ筋のバンドといっても いいかもしれない。 ボアダムズのライブを見たことは無いが、見た人に聞いた感じではこんなもの だった。 「事務机にな、棒がさしてあるんや。それに、ギターの弦を張って、ボアダムズ ギターと書いてある」 「なるほど」 「で、どうやって演奏するんやろうと見てたら、その弦にマイクをこすりつけて、 音をだすんや」 「はぁ」 これは、彼らのライブとしては、比較的まともな部分である。 いや、彼らというよりも、ボアダムズの主催者というべき、山塚アイとしては、 まともというべきだろう。山塚アイには彼一人で行うユニット、はなたらしがあ る。はなたらしはもっと凄まじい伝説のバンドであった。これも、見てきた人か ら聞いた話である。 「客席とステージの間に、金網がはってあるんや」 (と、いうよりも、ステージはなく、山塚と観客の間には金網のしきりのみがあ ったというべきか) 「で、ステージには建築機械やらが並べてあってな」 (推測であるが、ドラム缶のようなものと、鉄材と、パワーシャベルのようなも のだろう) 「それで、ものをたたき壊していくんや。しまいに、観客との間をしきっとった 金網も破壊されてな、観客は壁際へ追いつめられていくんや」 よくぞ、死人がでなかったというライブである。 はなたらしは、随分ライブハウスを破壊して回ったらしい。最終的には、演奏 させてくれるライブハウスが無くなり、フォークソングのコンサートをやると騙 して借りたという話もある。 さて、こうした演奏を行うバンドがロックバンドと呼ばれている。ただ、この 山塚アイと前衛との間は極めて不明瞭といってもいい。例えば、ジョン・ゾーン のような前衛ミュージシャンが、手先のように山塚アイを使っているという話も あった。 前衛とは何かというと、単純に言えば、なんでもありだと思う。 なんでもありといっても、どこかにボーダーラインがあるはずである。おそら く、それは、芸術とよばれるものの、ボーダーラインとも一致するのだろう。 京都市美術館で昔、アンデパンダン展というものが行われていた。今も行われ ているのかも、しれない。いわゆる、無資格無審査の公募展である。 実に様々な作品が出品され、楽しい展覧会だった。作家自身が身の回りのもの を会場に持ち込んで会場で生活し、自分を作品にした事もあった。ひとつのフロ ア全体がタンスの引き出しに埋められた時もなかなか壮観だった。大体は言語で 表現できないような、オブジェ的な作品が多かったように思う。 私はこの展覧会の話を、会社の後輩にした。その時彼は、こう言った。 「無資格無審査という事は、何を出してもいいわけですね」 「まあな」 「だったら、うんこ出してもいいんですか?」 「それは、ちょっと」 「どうしてですか、無資格無審査なんでしょ。だったら僕、うんこ出しますよ、 うんこ」 「うーん」 ここには超えられないアポリア(難問)がある。うんこを芸術として認める事 ができるか。 前衛はなんでもあり、と言い切ってしまうとうんこも入ってくる。ひょっとす ると、ここにボーダーラインがあるのか?そのへんを、考察してみたいと思う。 パゾリーニという有名な映画監督がいる。いわゆる芸術的な映画をとる人らし い。この人が撮った作品に「ソドムの市」がある。 芸術というものは、品性の無いものに対して、市民権を与える場合がある。 「ソドムの市」は、かつて私の大学の先輩が大学内で上映会を実施したことがあ る。 後に大学内でポルノと呼ばれる映画の上映会が行われ、物議を醸した事がある。 しかし、モラルのレベルでは遥かにえげつない「ソドムの市」は芸術作品として 認知されていた為、全く問題視されなかった。 「ソドムの市」は、確かにエロスティックなシーンも多数あったように思う。 しかし、この映画の圧巻といえる所は、そんな場面ではない。なんといっても、 インパクトが強く、印象に残るのは、うんこを食べるシーンである。 ファシスト達と彼らに拉致され、裸にされた若い男女が食卓につく。ファシス トの一人が叫ぶ。「さぁ、お楽しみのものが来るぞ!」 銀の大皿が運ばれてくる。その巨大な大皿にはてんこ盛りの、人糞があった。 その大量の人糞をファシストたちは実に楽しそうに笑いながら、食べること食べ ること。 ファシストたちは、まわりにはべらした裸の男女にも食べさせ、自分たちも口 の周りを茶色に染めてもっくり、もっくりと糞を食べる。私はこのシーンの為に パゾリーニはこの映画を撮ったのかと思った。 大学で上映会が行われた時、ほとんどの人たちは、見終わった後なんともいえ ない表情で、会場からでてきた。馬鹿なものを見たような気がするが、芸術作品 だけに、うかつには評価できないといったところだろう。 一人だけ満面に笑みを湛え、嬉しそうに会場を後にした馬鹿者がいた。私であ る。映画の後あまりに至福に満ちた楽しげな表情をしているので、上映会の主催 者である先輩からあきれられた。 ここで描かれているのは、あくまでもうんこを食べるという行為である。そん な事は歌舞伎町あたりにいけば、大して珍しくない行為のように思える。つまり 日常に頽落している。 うんこを食べることを芸術と見なす事は、かつて黒木薫が「セックスは芸術で ございます」と言っていたのと同レベルだろう。裏返せば、セックスはたかが芸 術でしか無いという事になってしまう。 あたり前だが、パゾリーニは剥き出しの生のままのうんことは、向かい合って いない。俗なスカトロという風俗化したものに貶めてしまっている。 問題は、うんこそのものが、芸術となるかという事だ。 つづく
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