連載 #5054の修正
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昭和歌謡年代史 『昭和37年の歌』 例によって、ラジオ深夜便の午前3時5分から4時までの放送を聞いた。 昭和37年は、堀江健一氏がヨットで太平洋を横断した年である。 が、私にとってはとてもそれどころでなく、生涯のうちで最もめまぐるしい1年間 であった。 すなわち、郷里を遠く離れ、札幌盲学校の教員として赴任した2年目、24歳の安 月給で、3月に結婚、それに伴い妻と妻の祖母が名古屋の家を畳んで札幌へ転居、妻 の妊娠、5月に祖母の病気、6月に転居、11月に祖母の死と葬儀、12月に県営住 宅に再度転居、翌年正月に長男誕生。人生の主な行事をこの1年間で粗方経験してし まった感じがする。 しかも、私も祖母も全盲者、妻はまだ18歳の若年だったし、両親は既にこの世に 無く、親類縁者は札幌に一人も居なかった。 これらの経過や苦労話やエピソードを書くと、十分一冊の本が出来そうだ。 さて、今朝放送した歌謡曲は以下の11曲である。 1.西田佐知子 『アカシアの雨が止む時』 2.ジェリー藤尾 『遠くへ行きたい』 3.石原裕次郎 『赤いハンカチ』 4.村田英雄 『王将』 5.畠山みどり 『恋は神世の昔から』 6.中尾ミエ 『可愛いベイビー』 7.飯田久彦 『ルイジアナ ママ』 8.倍賞知恵子 『下町の太陽』 9.橋幸夫と吉永小百合 『いつでも夢を』 10.三橋美智也 『星くずの町』 11.フランク永井 『霧子のタンゴ』 他にも、北島三郎の『涙船』・吉永小百合とマヒナスターズの『寒い朝』・北原謙 二の『若い二人』などもこの年の歌だそうである。 11曲のうち、上り坂の歌手は1.と4.、最盛期の歌手は3.と11.、円熟期 の歌手は10.、若手および新人歌手は5.6.7.だっただろうか。 私の独断的批評を許してもらえるなら、2.・3.・8.および吉永小百合の歌は、 本職の歌手としては多少物足りない。けれども、当時彼らの人気は相当なものだった。 5.の畠山みどりの歌が、美空ひばりの二番煎じであることは否めない。 6.の『可愛いベイビー』を当時新鮮に感じたが、今聞いてみると、中尾ミエの声 も結構老けて聞こえる。 7.に関連して、かつて淡谷のり子が「飯田久彦は歌が下手だ」と言ったとかで、 久彦本人がそれに謙虚に対応していたような新聞記事を読んだ記憶があるが、飯田久 彦の歌は決して下手でなく、彼のセンスとリズム感を私は案外好きだった。 9.の橋幸夫は歌唱力抜群だが、音質が鼻に掛かるのが玉に瑕である。 歌の巧さで言えば10.と11.であるが、高音の美しさが売り物の三橋美智也の 声も、この頃少しずつ濁りが出始めたし、低音の魅力で知られたフランク永井の歌で は、私は『霧子のタンゴ』をあまり好まない。 そうなると、1.と4.の歌が私好みということになり、関連して、いささか述べ ておきたいこともある。 西田佐知子は、数少ない曲で効率よくヒットを飛ばす歌手とも言われ、鼻に掛かっ たおばさん声で、むしろ私の嫌いな音質である筈なのに、何故か歌に魅力を感じる。 彼女のレパートリーのうち、私が最も好きな歌は『エリカの花散る里』であるが、 一番人気はやはり『アカシアの雨が止む時』であろう。歌詞と曲がピッタリ合ってい る上に、声ののびと抜群の表現力で、聞く人の心に深い悲しみを訴え掛ける。 村田英雄の『王将』は大ヒットして映画にもなり、私は妻と二人でその映画を見に 行ったものだ。 思えば、私たちの新婚生活はたった一ケ月だけだった。 上にも書いたように、妻は病気の祖母につきっきりで看病し、その間に結婚・妊娠・ 3回の引っ越しをし、11月24日に祖母が亡くなって葬儀と法事を執り行い、明く る正月二日には息子を出産したのである。 その12月の一ケ月間だけが二人の新婚時代であり、祖母が亡くなった悲しみと、 妊娠中の不安はあったが、真新しい県営住宅に引っ越しをし、王将の映画を見に行っ たりした。主人公の坂田三吉を演じた三国蓮太郎の関西弁が今も耳に残っている。 以後35年、私は仕事に追われ、妻は家事や育児に明け暮れして、二人で旅行どこ ろか外食や音楽会にも出かけたことはなかった。 この春、私は還暦を迎え、無事退職することができて、ようやく気持ちと時間にゆ とりが出来た。 私がパソコン・妻が食事の後かたづけや洗濯を一通り済ませると、老後の健康のた めに毎日散歩に出かける。 全盲の私は妻の肩につかまって歩き、珍しい樹木や草花や建物や石碑について、妻 の説明を聞きながら、出来る限りそれらに触れて観察する。 若い男女の浮き立つようなDATEではないが、いつのまにか年配となった二人の のどかな散歩の一時である。 話題をナツメロに戻す。 昭和37年当時、流行歌のレコードを製作するのに、カラオケを使わず、生の管弦 楽の伴奏と同時に歌を録音していた。だから、トランペットやアコーディオンやコン トラバスの生の音色が実に優雅に聞こえ、演奏者の息吹が直に伝わって来たものだ。 ところが、それから数年後には、あらかじめ伴奏音楽を録音して置くいわゆる〈カ ラオケ方式〉が登場し、電子音や電気的加工を大仰に施した作りものの音楽が当たり 前となってしまった。まことに憂わしい限りである。 [1997年4月22日 竹木貝石]
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