連載 #4985の修正
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さて、宮本武蔵といえば、二刀流である。二刀流を本当に武蔵が使ったのかと いう議論があるが、それはともかくとして、二本の刀を本当に使いこなせるかと いうところに、疑問がある。 刀で人を斬るということは、刀を振り抜くということだ。叩くのであれば片手 でも可能だろう。しかし、人体に斬りつけるというのであれば、別だ。 こういう逸話があるそうだ。 竹刀打ちの達人が、真剣を抜いて戦った。達人は、相手の額に面をいれた。し かし、剣を振り抜かなかった為、相手の額を叩いてしまった。その結果、刀で打 たれた相手は額にみみず腫れができただけで、死ななかった。 これは少し、誇張がある例かもしれない。しかし、刀で相手を斬るのであれば、 振り抜く必要があるのは間違いない。 バットをフルスイングするイメージを、想起してほしい。間違いなく、両手を 使ったスイングをイメージするだろう。片手でスイングするのは難しい。これは 腕力の問題というよりは、支点の問題だと思う。 一ヶ所でのみ支えられた棒は物にあたった時に、跳ね返されやすい。二ヶ所で ささえる事により剣尖が安定し、人が斬れると思う。 おそらく、人を斬るというのは、相当剣をしっかり保持しなければ、難しいだ ろう。骨や肉は、そう簡単に斬れるものでは無いと思う。 かつて新撰組の近藤や土方が、死体を斬る試斬会をやったそうだ。侍が集まっ て罪人の死体に斬りつけて、人を斬る感覚を掴もうとしたらしい。その結果、ま ともに斬れたのは、近藤や土方といった後の新撰組の幹部たちで、他の侍には斬 る事ができなかったようだ。ようするに、竹刀になれた者は体を叩いてしまうの だろう。 両手に剣を持ったとしても、おそらく相手は斬れないのではないか。この二刀 流というのは、どちらかといえば、竹刀打ちの発想のように思える。竹刀打ちは まさに相手を叩くのみであるから、振り抜く必要はない。むしろ、相手に当てた 瞬間、引く動きになる。 竹刀打ちの練習は、真剣を使う者にとってむしろ妨げになる。新撰組の近藤や 土方は、竹刀打ちの練習はしなかったそうだ。道場破りが来ると、竹刀打ちの得 意な仏生寺を呼んで、相手をさせたという説もある。 私の想像では、二刀流という発想は、後世の竹刀による剣術が盛んになった時 代の発想ではないか。では、二刀を持つと、どういう動きが可能だろうか。 やくざ剣法というのが、ある。これは、斬るのではなく、裂く剣術らしい。剣 を使って相手の体の肉を裂く。致命傷にはならないが、血は流れるし、痛みがあ る。少しずつ相手の体を裂いていき、弱らせていき、とどめを刺す。 この戦い方であれば、片手で剣を持っても可能だと思う。しかし、武蔵がこん な戦いをしていたとするのは、あまりに情けない。 突くのでは、どうだろうか。例えば、フェンシングのような動きであれば、む しろ片手である。ただ、長剣を片手で突くのは難しいだろう。しかし、脇差しで あれば、差し込むことはできそうな気がする。 脇差しの間合いに入る為には、青眼で剣を構えた相手の動きを止めなければな らない。とすれば、見せ太刀として長剣の突きを放つことが考えられる。 おそらく、片手で突きを放つ間合いのほうが、両手で剣を持つものの間合いよ り遠い。とすれば、相手は自分の間合いに入る前に、突きを受ける事になる。こ れはかわせるとしても、見切りが不十分であれば、余計な動きがでる。そこにつ けこんで、脇差しの間合いに入いる。この動きであれば、二刀で戦えるような、 気がする。 これはちょっと無理がある例えかもしれないが、イメージとしてはデトロイト スタイルのボクシングに近い。フリッカージョブのように変則的な動きを持つジ ョブで相手をけん制し、右手でフックを叩き込む。円明流というのは、剣を下に 降ろした構えだったそうだから、剣尖が変則的な軌跡を描く、下方からの突きが 放たれる。その後、間合いが詰められ脇差しが突き込まれる。 武蔵がこんな事をやっていたとは、とうてい思えない。とりあえず、二刀流で 納得のいくイメージは、まだ頭の中でつくれていない。 さて、峰隆一郎氏の書く宮本武蔵の小説の中で、一度だけ武蔵が相手と戦わず して逃げる場面がある。二階堂流の使い手と対面した時のことだ。 二階堂流は他の流派には無い、横薙ぎの剣があるらしい。それ以外に、心の一 法というのもあるそうだ。 るろうに剣心とかいう少年ジャンプのマンガにも、二階堂流の使い手が出てき て心の一法を使っていた。これはようするに、相手を金縛りにする術らしい。 そんな術を使う相手からは、逃げてもしかたない。金縛りにされれば、勝ちよ うがないわけだ。 これは、どんな術だったのか。峰氏の武蔵の中では説明されていない。想像し てみるしかない。 例えば、気功というのがある。気功を使う術で、胴当ての術というのが、あっ たように思う。体内で気を練り、相手に当てて、動きを封じる。 峰氏の小説の中で、武蔵はこの術を使う。山にこもって気を練る場面は、夢枕 貘氏の小説を思わす。 二階堂流はこの術とは違うようだ。単純に相手の動きを止めるのであれば、催 眠術のようでもある。しかし、金縛りは少し違う気がする。 催眠術に相手を陥れるというのは、眠狂四郎の円月殺法だろう。これは、意識 を惑わす術だ。催眠術は、意識に働きかける。金縛りというのは、意識は明確で あるが、体が動かないというやつだから、どうも違う。では、どんな術だったの か。 先に述べたが、私の想像では、武芸者は社会の中で特殊な立場にあったと思う。
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