連載 #4902の修正
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イノセントなもの、失われゆくもの #3−1 なつめまこと 一九 九六年九月、月曜日から二学期の始まる長い週の半ばを過ぎ、疲労を感 じて早めに床についていると、電話が鳴った。寝端を起こされて不機嫌に受話 器を取ると、 「カミジョウですけど、先生ですか?」と思いもよらぬ声。 「えっ?」「ユキコです。お久しぶりです。」 八年ぶりの上條有紀子であった。とたんに懐かしさ、喜び、悲しみ、痛み、 怒りなどの様々な感情が私を襲ってきた。それらを胸の内に押さえたまま話を 聞くと「帰省しているので、共に飲みたい。」ということであった。四日後に 互いに都合の良い街で会うことを約し、電話を切った。 一昔前、三十代前半の私は、まだ失われるものも少なく、仕事に対して前向 きでいられた。あの頃の中学生は元気で、私たち大人に対して正面から挑発し、 そのいい加減さや欺瞞性を打ち砕こうとするパワーや意志がひしひしと感じら れた。荒れた学校を立て直そうと、多くの学校が教師の権力をより強めようと いう風潮の中で、私の勤務校は生徒の表現力を大事にしていこうという伝統が あり、私もその方向で力を注いでいた。 上條はそんな時の教え子の一人である。彼女はいわゆる「上品な娘」で、ツ ッパリ少年たちが大方の少女を呼び捨てにするのに、彼女に対しては『上條さ ん』とさんづけをする、そんな女の子であった。私はがさつな少年たちを手な ずけるのに「女にモテたい、カッコよくなりたい」という彼らの欲望を刺激し、 その欲望に形を与え、道筋をつけることを仕事としていたが、「モテたい」対 象は『上條さん』のような女であることは思春期の少年たちの共通の心情であ る。 そんな上條を卒業直後、Tは喰った。 Tは、その学校の若手の教師の中では最もパワーがあり、私とは親しくつき あっていた。早くから家族等の係累を失くし、天涯孤独の彼は、世間の常識を 歯牙にもかけず、自由闊達に生きていた。私自身は自分の内的感受性を守るた めに孤独に生ききるしかないと覚悟を決めていた頃で、小市民的な価値に対峙 するという点で彼と通底するものがあった。 私たちは、教師を引きずり回すツッパリ生徒たちに先手を取るため、文化祭 でバンド演奏の場を設け、生徒たちに参加を呼びかける一方、他の教師を誘い 教員バンドを結成した。下手くそな生徒たちのバンドを先にやらせ、緊張させ たり、満足させたりした後、気の効いた教師たちがトリを取り、観客の女生徒 たちをうっとりとさせ、ツッパリたちには「どうだ、くやしかったら早く大人 になりな。」と挑発する仕掛け。念の入ったことに上條にピアノを弾かせ、バ ンド名を『上條&フレンズ』とする細工までしておいた。効果は予想以上で、 その後、私たちはその学校の主導権を握ることが可能となった。 ただ私の誤算は、男子生徒が憧れる『上條』のブランドイメージを守ってい くことに、教師仲間には暗黙の了解があると信頼していたが、そんな思い込み は自然児Tによって見事に裏切られた。 卒業後、しばらくして上條から職場に電話があった。受話器を取ると、 「上條ですけれど、先生から電話があったということですが、何か用です か?」と言う。 「えっ、別に電話なんかしないよ。」「あ、そうですか。」 ふと、Tの机上にアニメキャラクターの形のライターが置かれるようになっ たのを思い出して、カマをかけた。 「ひょっとして、ギターを弾いていたヤツがオレの名前をかたったんじゃない の?」 「えっ、さぁ?」と相手がどぎまぎしている間に電話を切った。 私が上條の学級担任だった。自分の名前が逢瀬の道具に使われたことに対し て、それ以来、表面には出していないが、私はずっとTに対して悪意を抱いて いる。 二、三日して、Tが私を飲み屋に誘った。 「ナツメさんに言っておかなければいけないと思って言うのですが、この前、 上條をなりゆきで自分の部屋に泊めました。次の日に上條の家には頭を下げに 行きましたが、向こうの親は『まぁ、しょうがない』ということで、つきあう ことになりました。そんなわけでよろしく。」 よろしくと言われたところで言い返しようがない。胸の内では、娘を陵辱さ れた父親の怒りと同様な感情でいっぱいだったが、日頃、男性教師と女生徒の 間には意識下にセクシュアルなものがあり、時にそれが顕在化してもいたしか たないと語り、自らの体験をも語っているので、今さら非難のしようがなかっ た。 ところで、Tには、飼い猫がとらえた獲物を飼い主に見せるためにくわえて くるように、私にその無頼ぶりを見せたがるところがある。その前年には「手 持ちの金が無いから」という理由で、高校生のアケミを連れて、夜の十時頃、 私の家に飲みに来た。酔ったアケミがTに抱かれたがったので、二人を追い出 し、寝につくと、夜中にアケミの母親から電話があって、「娘が帰ってこない。」 と言う。そんな事件も、私は生活指導部長という肩書きを利用して穏便に処理 しながらもスリルを味わっていた。 数日後、上條から言い訳じみた電話があったが、「Tをおまえのこやしにし ても、おまえがTのこやしになるな。」というアドバイスをしただけでそれ以 上の踏み込みをせずに関係を閉じた。 その後、上條は高校を卒業し、東北の地方都市にある大学の獣医学部に進ん だ。Tは市内の高校に転任し、私はちょっとしたトラブルを起こして現任校に 異動した。 私とTとの関係もだんだん疎遠になっていったが、それでも半年に一度ぐら いの頻度で共に酒を飲んだ。彼の話によると、上條とは二年前に別れたという。 理由は訊かなかったが、六年制の大学に進んだ娘と三十歳をとうに越した男と が、社会的に認知される形で結ばれるのは無理があろう。今年の春、Tは身近 な女と結婚し、私もその披露宴に招待されていやいや出席した。無頼を売り物 としていた彼が、何のドラマもなしに小市民となる儀式に私はまるで関心がな く、披露宴の最中トイレに三回立ち、式場の入ったホテルの廊下の窓から街を 見下ろして時間をつぶしていた。 家を出て私鉄の駅に行く途中、仕事帰りのTの車を見かけた。T字路を彼の 新居のある方向とは逆の方へとターンした。私は嫌な予感がした。Tの妻は切 迫流産で入院している。車はその病院に向かったのであろう。Tは半月前に私 を酒に誘った。妻の入院で生じた無聊をなぐさめるための誘いであった。 (彼が上條に接触している。それで彼女が揺れている。) ふと、そんな気がした。 ..
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