連載 #4854の修正
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好きの反対は嫌いというのがふつうの答えだろうが、はたして本当に そうか。演歌を聴くと背筋がぞーとするというとき、はたして本当に 嫌いなのか。違うと私は思う。その嫌いのなかには、好きの要素が 多分にはいっている。ちょっとしたきっかけで、ぞー、が、ぞくぞく、に 変わる可能性がある。 結論からいうと、好きの反対は、無関心というのが正しいように思う。 そのことに何の興味も関心もない、もてない。そういう状態のとき、 初めて、本当の意味で、嫌いといえるのではないか。 嫌いとは、まだ、なんらかの関心を持っていることであり、そこには、 いろいろな感情の存在があるようである。 こんなことを書いたのは、ほかでもない。私は、長淵剛(ながぶちつよし) が嫌いなのだ。あいつの顔態度歌、歌詞、どれもこれも気に入らない。 あ、彼は歌手ね。社会に対する反抗的姿勢で を、売りにしている歌手なんだが。歌を聴いていると、ぞーとする。 でも、気になる存在なんだなあ。なにかのきっかけで好きになってしまう んじゃないか。そう思わせるものがある。ぞっとするけど。で、前述の 理論がここにもあてはまるのではない。嫌いなのに、無関心ではいられない とは、やっぱりどこかで好きなんじゃないか。あんな職業的反抗歌手なんか 認めたくないんだけんどねえ。 あー、リアルタイムではこれ以上かけん。あとは、いつか長編で書こう。
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