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「始発電車殺人事件」 連載第7回 叙 朱 (ジョッシュ) 23 長津田 午前十時三十分。 神奈川県警N署の休憩室で、山下の携帯電話が鳴った。 山下は、栗原の了解を目で求めた。栗原は、小さくうなずき、立ち上がった。 そろそろ、捜査会議が始まる時間だった。発言はできないが、傍聴くらいは許 されるだろう。栗原は、そのまま休憩室を出て、会議室の方へ向かった。入れ 替わりに休憩室の入り口には、若い警官がさりげなく佇んだ。 山下は、栗原を見送りながら、携帯電話のボタンを押した。 電話は、江尻本部長からだった。 「経過を手短に言う。会議はまだ開けないでいる。平野取締役が、まだ来ない のだ。連絡もないので、皆で後一時間ぐらいは待つことにした。雑談の中では、 香港進出に前向きなコメントが多い。それだけだ。」 江尻がすぐに切りそうな気配に、山下は慌てて、言った。 「あの、倉科エリコさんの連絡先を教えてください。先ほど、緊急に連絡が欲 しいと言われましたが、連絡先を知りません。」 「おや、君は彼女と特別な関係になっているように聞いていたが、電話番号も 知らないのか? 困ったな。私は番号を聞いたが、控えていないのだ。又電話 があったら、伝えるよ。それじゃ。」 江尻は、あっさり電話を切った。山下は、途方にくれた。江尻の「特別な関 係」という言い回しが胸に刺さった。そして、「特別な関係」という言葉は、 山下に、ある会話を思い起こさせた。 24 日比谷 K商会人事部には、山下と同期入社の男がいた。あまり付き合いのいい男で はなかったが、会社の帰りに、山下は、日比谷の地下バーに誘った。 「君に言われて調べてみたけれど、倉科エリコについては、分からないことが 多いんだ。」 カウンターの上のピスタッチオを指先ではじきながら、人事部の男は、喋り 始めた。 山下はジントニックを、同期の男はカンパリソーダをオーダーした。 「まず、彼女の名前は、社員名簿にみつからない。コンピュータの入力漏れか とも思って念のために、履歴書ファイルも調べたが、履歴書もない。つまり、 倉科エリコという社員は、K商会には、いないという事になっている。」 そんな馬鹿な。山下は、まじまじと人事部の男を見返した。 「どういうことなんだ?倉科さんは、現実に海外統轄本部で、秘書として働い ている。」 「いろいろ想像はできる。」 男は、出てきたカンパリソーダをひと舐めした。 「まず、派遣社員の可能性がある。契約で、人材派遣会社から送り込まれてく る臨時契約社員だ。これは、各派遣先部署の担当で、人事部扱いではないから、 履歴が無くても、当然だ。」 山下は、出てきたジントニックには手をつけないで、先を促した。 「次に、メーカー出向者だ。人事部では、預かり社員というが、メーカーから 販売支援や市場調査とかの名目で出向してくる人達のことを言うんだ。彼らに ついても、給料や人事について、人事部は基本的にノータッチだ。履歴もな い。」 ピスタッチオの殻が、人事部の男の手から弾け飛んだ。カウンターの上を転 がる。男は、その殻の転がりを目で追いながら、次の言葉を捜しているようだ った。 「ただ、彼女の場合は、このどちらにも当てはまらない。」 男は、そこで言葉を切り、山下を見た。 「そこで、人事部長にそれとなく彼女のことを聞いてみた。部長は、彼女の名 前を聞くと、露骨に嫌な顔をした。彼女には何かある。部長はその何かを知っ ている。しかし、何も教えてはくれなかった。ただ一言、彼女は特別だ、と言 った。それ以上は、尋ねられる雰囲気じゃなかった。」 山下は、そこでやっと口を挟んだ。 「しかし、倉科さんは、フィリピンK商会の現地社員からの抜擢で、本社勤務 になったと聞いている。そうした記録は人事部にあるんだろう?」 人事部の男は、赤いカンパリソーダを一口飲み、ピスタッチオの殻を割った。 今度はうまくいった。男は、満足そうに、その小さな実を口に放り込んだ。山 下は、じれた。 「フィリピンK商会に問い合わせれば、すぐ分かるんじゃないか?」 男は、ピスタッチオを噛み砕くとカンパリソーダで胃に流し込んでから、やっ と、口を開いた。 「倉科さんと付き合っているんだってな。」 山下は、黙った。人事部の男は続けた。 「奥さんがいる癖にとか、そういう、青臭い忠告はしない。男と女の絡み合い は、理屈だけで片づけられないことぐらいは、僕にも分かる。そんな君だ、と いう前提で、倉科さんの素性について、いくつか、ヒントをやる。人事部の人 間ではなく、同期の友人としてだ。そこから先は自分で組み立ててくれ。」 山下は、人事部の男の言い方に、ひやりとしたものを感じた。倉科エリコは、 山下の思っている女とは違う顔を持っていると、男は暗に言っていた。エリコ は、山下に嘘をついているのか。目の前のジントニックのことは、既にすっか り忘れてしまっていた。 人事部の男は、低い声で、しかし、はっきりとした口調で話し始めた。 「彼女の身元保証人は、平野取締役になっている。現住所は池袋の賃貸マンシ ョン。経理上は、臨時嘱託扱い、つまり、アルバイトだ。給料は振り込みにな っているが、金額は、月十万円だ。たぶん、賃貸マンションの家賃にも足りな いんじゃないか。 それから、君も知っているかもしれないが、平野取締役は、本社で海外統括 本部長になる前に、フィリピンK商会の社長を十年やっている。倉科エリコは、 平野取締役がフィリピンにいたときに、入社している。」 「ふーむ。」 山下は、思わず、呻いてしまった。男は、そんな山下に追い打ちをかけるよ うに、言った。 「今、倉科さんはどんな仕事をやっているんだ? 秘書とはいっても、業務課 付きの雑務係だろ。そんな仕事をさせるために、わざわざ、会社が、フィリピ ンK商会の現地社員を、東京本社まで転勤させると思うか?」 確かに、言われてみればその通りだった。いくら、エリコが英語堪能でも、 それだけで、東京本社に登用されるとは考えにくい。何故、エリコは日本へ来 たのか。新宿のバーで、嬉しそうに話していた日本国籍の話は、作り話には思 えなかった。が、あれは、一体何を意味していたのか。 平野の好々爺のような赤ら顔が目に浮かんだ。額はてかてか光っている。山 下は頭を振り、そんな平野の顔を追い払いながら、思わずつぶやいた。 「すると、倉科さんは、平野取締役と特別な関係にあるという事か。」 人事部の男は、肯定も否定もせず、グラスに残ったカンパリソーダをごくり と飲み干した。 25 中央林間 ガス中毒の女は、意識がしっかりしていた。救急車の中で、頭が痛いと訴え た。付き添った救急隊員に尋ねられ、山下幸代と名乗った。誰か連絡する人は、 と聞かれて、幸代は少し黙り込んだ後、男の名前と電話番号を告げた。その名 前は、山下姓ではなかった。夫への連絡は、しばらく待って欲しいと、幸代は 懇願した。自殺患者の感情は通常、高ぶっている。極力、刺激してはいけない と教えられていた。 救急隊員は、優しくあやすように、うんうんと、うなずいた。救急車は、救 急当番病院に向かって、サイレンを鳴らしながら走った。 警察官と共に、ガス漏れの点検をしていた燃料店の技術員は、ベランダの元 栓に異常を発見した。バルブ内の栓の部分が、異常に磨滅していた。これでは、 元栓を閉の位置にしても、プロパンガスの流れは完全には遮断できなかった。 栓の部分を取り出して、日にかざしながら、技術員は、どきんとした。 栓には表面を削られたような跡が認められた。誰かが、この栓を削り込んで、 ガスを遮断できないようにしたのか。 犯罪の匂いを嗅いだ技術員は、近くの警察官に声を掛けた。 26 長津田 江尻本部長との電話を終え、携帯電話を仕舞おうとして、山下は、メッセー ジ表示が点灯しているのに気づいた。山下の携帯電話は、留守番電話サービス と契約しており、電源を切っておくと、自動的に留守電に切り替わるのだ。 「お預かりしているメッセージは、二件です。」 プログラムされた、オペレータの声が案内する。一件目は、女の声で、「も しもし、もしもし...」という呼びかけしか入っていなかった。留守電の仕組 みを良く知らない女らしかった。山下は、軽く舌打ちして、メッセージを消去 し、次のメッセージへと進んだ。 「山下さん?エリコです。大変申し訳ないことを、してしまいました。すぐに 電話をください。電話番号は...」 エリコの慌てた声だった。山下は、メッセージを二回再生して、エリコの電 話番号を書き留めた。東京都内の番号だった。一件目の声もそうすると、エリ コだったのか。 山下は、すぐに、エリコの番号に電話した。しかし、ぷーっ、ぷーっという 呼び出し音だけで、誰も応答しなかった。留守電サービスも使っていないよう だった。十回、呼び出し音を聞いてから、山下は電話を切った。 山下は、エリコのメッセージの意味を考えた。 「大変申し訳ないことを、してしまいました。」 確かに、エリコは、そう言った。 一方、栗原は、会議室へ向かう途中で電話を借り、本庁に、事件の経過を手 短に報告した。捜査一課長からは、捜査本部のあるN署で、神奈川県警の捜査 に協力するように、との指示だった。栗原は、軽く溜息をついた。神奈川県警 が、管轄外の警視庁の捜査員を好意的に迎えてくれるとは思えなかった。 午前十一時。 栗原が、N署二階の大会議室に入ったときには、既に捜査会議は始まってい た。黒板の前に立っていた署長が、入ってきた栗原に気づいて、紹介した。 「被害者と同じ車両にたまたま乗り合わせていた、警視庁の栗原君だ。まあ、 行きがかり上、しばらく本件に関わってもらおうと思っている。栗原君の上司 の捜査一課長からも了解は取った。よろしく頼む。」 栗原は、ぺこりと会釈をしながら、ざっと会議の出席メンバーを見回した。 あまり好意的ではない顔つきの、地味な色の背広の中で、一人だけ明るい色の 服が目立った。女だった。 「あれ?」 その明るい色の服の女が、栗原を見て声を出した。その整った顔と、涼しげ な眼差しに見覚えがあった。 「柏木警部ではありませんか。」 栗原も気づいて、声を掛けた。そして、内心、これは困ったと思った。柏木 警部こそ、一ヶ月前に栗原を停職に追い込んだ当人だったのだ。ただでさえ居 心地の悪い所轄署の雰囲気が、なおさら悪くなったような気がした。 「こんな所で、また会えるとは思わなかったわ。今、神奈川県警の捜査課にい るの。よろしくね。」 柏木は、意味ありげに、にこりと笑ってそう言った。居合わせた背広の男た ちが、鋭い目で二人を見比べている。栗原は、宜しくお願いしますと言って、 かしこまって座った。 「それじゃ。続けるぞ。」 栗原の着席を見計らって、署長が話し始めた。 (以下、連載第8回へ続く)
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