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「始発電車殺人事件」 連載第5回 叙 朱 (ジョッシュ) 15 長津田(続き) 栗原は、一瞬、山下の質問の意味が分からないかのように、ぽかんとした顔 になった。山下はそんな栗原の顔から視線をはずさず、コーヒーを一口飲み込 んだ。 「そうか、山下さんはまだ、警察から尋問を受けているような気分なのですね。 ははは。失礼しました。いやあ、実をいいますと、私は本庁の刑事部の者だと 言いましたが、たまたま電車に乗り合わせていただけで、管轄外のここでは全 くの部外者扱いなのですよ。所轄の刑事たちは、本庁の人間だということで、 相当に煙たがっています。しかも、警察手帳も持たない停職中の身分でしょ。 神奈川県警も取り扱いに困っている感じですね。だからといって、私も事件の 重要参考人なので、帰すわけにもゆかない。だから、同じく重要参考人のあな たにくっつけて、見張りでもさせとけば、というところなんでしょう。所轄に とっては、一石二鳥というわけですよ。」 栗原は苦笑いしながら、コーヒーに手を伸ばした。紙コップはもう空になっ ていた。「もう一杯飲みましょか?」と栗原は聞いた。山下は「いや、いい よ」と短く答えた。 「それにしても、なんだか気になる事件じゃないですか。山下さんも、たまた ま電車に乗っていたんだし、それに、いつになったら帰してくれるか分からな いし、暇つぶしにこの奇妙な事件の謎解きでもやってみようかなと思ったので すけれど、不愉快でしたか?」 「不愉快ということはないけれどね。いろいろ意見を求められると、なんだか 君に試されているような気がして、正直言って、居心地は良くない。」 山下は率直に言った。警察に容疑者として引っ張られてきて、休憩室だから といって、ぺらぺら喋る気にはなれない。しかも、山下は、会社の会議の状況 も気になった。 「申し訳ないけど、そろそろ、電話をかけさせてもらってもいいかな。会社 に電話して、会議の様子を聞きたいのだけれど。」 山下は、思い切って言った。栗原は、休憩室の奥にある公衆電話を示し、 「どうぞ」と山下にうなずいた。山下の携帯電話はまだ、書類鞄といっしょに どこかへ持って行かれたままだった。 公衆電話の方へ歩きながら、山下は、漠然とした不安に駆られている自分に 気づいた。K商会の会議も気になった。が、それだけでは無さそうな胸騒ぎが していた。 16 中央林間 先週の月曜日の朝、山下にとって、ちょっとした事件があった。 出勤前の山下は、いつものようにコーヒーを湧かそうとして、ガスレンジの 火の着きが悪いことに気づいた。カチャカチャとノブを回してみたが、シー シーと音がして点火用の火花が飛ぶだけで、バーナーには火がつかなかった。 レンジのガス栓は、最初から全開になっていたが、ガスがちゃんと送られてき ていないようだった。幸代を起こそうかとも思ったが、朝から幸代の厭そうな 顔を見るのも気が乗らなかった。仕方なく、プロパンガスの元栓を調べにベラ ンダに出てみた。 「ちっ」思わず山下は舌打ちをした。プロパンの元栓は閉を指していた。日 曜日の夜には、珍しく幸代の友人が来ていたらしいが、お茶を湧かすのにでも ガスを使ったものらしい。幸代は炊事の後、大元のガス栓まで閉めないと気が 済まない。そのくせ、ガス台の栓の方は開けっ放しにするのだ。結婚当初から そんな癖があり、夜寝る前に必ず山下に「元栓を閉めたか」と聞いた。シカゴ ではガスの元栓は車庫の隣の屋内だったのでまだ良かったが、中央林間のこの 賃貸マンションはベランダの外にあった。冬の寒い日など、山下は、そんな幸 代の几帳面さに悪態をつきながら元栓を閉めた。 山下は、元栓のボールバルブのハンドルを右手で開けようと手をかけて驚い た。ハンドルは、するすると簡単に回った。幸代の閉め方が、充分でなかった のかもしれない。 「全く、なにやってんだ。」 呟きながらベランダからキッチンへ戻った。 キッチンへ戻り、改めてレンジのノブを回そうとして、山下の鼻は異臭を嗅 いだ。プロパンガス特有のにおいだった。ガス漏れしているのか?山下は、レ ンジの周囲の点検を始めた。どうやらガス漏れは、壁に埋め込みのガス栓と、 レンジをつなぐゴムホースのあたりからだった。山下が何気なくゴムホースを 手で触ろうとした途端、ホースはレンジとのつなぎ込み口からするりと抜け落 ちてしまった。シュウーッというガスが吹き出す音がキッチンに広がった。山 下は慌てて壁の埋め込み栓のコックを閉にしようと焦った。 様子を聞きつけて幸代が起き出してきた。いつの間に着替えたのか、外出で もするかのようなワンピース姿だった。しかし、山下を見つめる顔色は真っ青 だった。 「朝から何をカチャカチャ、騒いでいるの。臭い。臭い。ガスのにおいね。ガ ス中毒で私を殺すつもり?」 幸代の身体は怒りからか、がたがた震えている。山下は、朝から面倒な会話 はしたくなかったので、「悪い悪い、ちょっとドジってしまった。」と素直に 謝った。幸代は、そんな山下を睨み付けるように見ていたが、すぐにぷいっと 自室に引き返した。 山下は、朝のコーヒーをあきらめて自宅を出た。もちろん、ガス栓は全て、 しっかり閉めた。駅へ向かいながら、山下の気持ちは、ざわついていた。 「ガス中毒で、殺すつもり?」という幸代の言葉が、山下の頭に鳴り響いて いた。あっけないほど簡単な理屈だった。何故、今までこんな簡単な理屈に気 づかなかったのか。幸代が死んでくれれば、いろいろな不都合が、一息に解決 するような気がした。 山下は、生まれて初めて、自分の中に微かな殺意が生まれているのを意識じ た。 17 首都高速道路、新宿付近 午前九時。 男は意識を取り戻したようだった。眩しそうに目を開け、不思議そうに見あ げている。制服姿の交通巡査が、声を掛けた。 「大丈夫ですか?」 巡査の後ろを、スピードを落とした車がまばらに通り過ぎて行く。男は、頭 を振り、意識をはっきりさせようとした。すぐに記憶が戻ってきた。 「大丈夫、大丈夫。」 男は、しかめっ面をしながら、それでも愛想よく言った。高速道路の避難エ リアに寝かされていた。すぐそばに、救急車が、ウィンカーを点滅させて停車 している。 「事故ってしまったな。」 男は、ボソッと言った。どこも痛むところはなかった。男は上体を起こして みた。自分の運転していた自動車が目に入った。高速道路の下り車線側の防護 壁に、ぶつかり、停まっていた。確か、上りを走っていたから、中央線を越え て、反対側まで振られてしまったらしい。他の車を事故に巻き込まなくて良か った。自損事故で済んだ自分の運に感謝した。 若い交通巡査の方も、男につられて、潰れた自動車を見た。 首都高速道路三号線のそのカーブは、緩やかな下り坂になっていた。運転し ていても、気づきにくい下りで、スピードが上がりすぎての事故が頻発し、警 視庁交通部でも、魔のカーブと呼び、注意を喚起していた。 「本当に大丈夫ですか。」 これは、救急隊員の声だった。担架を手にして、男を表情を見ている。 「大丈夫だ、大丈夫だ。」 男は、ゆっくりと立ち上がった。一瞬、立ちくらみがしたが、足を踏ん張っ た。ズボンの裾が少し裂けていた。ダブルのジャケットに、消火剤の泡もつい ている。 「一応、検査だけでも受けた方がいいですよ。」 救急隊員がさらに声を掛ける。交通巡査は、書き終えた書類を手に持ってい た。自損事故なので、それだけで事故処理は済む。 「このままじゃ、行けないな。一度、ホテルに戻るか。」 男は、自分に言い聞かせるように、つぶやいた。 18 長津田 午前九時三十分。 神奈川県警N署の休憩室から、山下は、江尻本部長に電話をかけた。腕時計 をちらと見る。もう会議に入っている頃だった。呼び出し音四回で、江尻の無 愛想な声が出た。山下は無意識の内に早口になっていた。 「おはようございます。山下です。今日は大事な会議に出席できなくて申し訳 ありません。警察から連絡があったと思いますが、朝の通勤電車で、事故があ りまして...」 喋りだした山下を制するように、江尻が電話の向こうで話し出した。 「事情は聞いた。今、会議の準備で忙しい。一区切りついたら連絡する。あ、 それから、倉科くんが大至急連絡が欲しいそうだ。分かったか。」 江尻は言いたいことだけ言って電話を一方的に切った。山下は思わず手にし た携帯電話を握りしめた。ぶっきらぼうな江尻の反応だった。会議はまだ始ま っていないようだった。 栗原が、又、コーヒーを勧めた。「そうだな」と、山下は相槌を打った。会 議のことは、ここでやきもきしていてもどうしようもない。山下は、素早く観 念した。それに、連絡をしろという倉科エリコの肝心の連絡先も言わずに、江 尻は電話を切ってしまった。山下は、エリコの自宅の電話番号は知らなかった し、携帯電話を持ち歩いているとも聞いていなかった。連絡の入れようがなか った。江尻が、一区切りしたらかけるという、次の電話を待つしかなかった。 立ち上がり、コーヒーの自販機の方へ歩いた栗原の所に、先ほどの若い警察 官が報告に来た。警察官は、茶色のマニラ封筒を栗原に渡しながら、捜査の経 過を手短かに説明した。「うんうん」と栗原はうなずき、最後に「分かった」 と若い警察官の肩を叩いた。栗原は、その警察官から、山下の書類鞄も受け取 った。警察官は、山下にも会釈をしてから、立ち去った。山下も会釈を返した。 栗原は、書類鞄を小脇に挟み、コーヒーふたつを手にして席に戻った。 「この鞄は先ほどのパトカーに落ちていたそうです。」 栗原は、山下の書類鞄をテーブルの上に置きながら、片目をつむって笑った。 山下は、憮然として受け取り、中を一応チェックした。携帯電話は、電源が切 れていた。栗原はコーヒーをずずっと音を立ててすすった。 「それから、被害者の身元が分かりました。月見野に住む会社員で、河田一成、 四十七歳、妻に娘ひとりのマンション住まいだそうです。被害者は名刺入れを 持っていて、その名刺から勤務先に連絡が取れたようです。ただ自宅に電話を 入れてみたようですが、誰も出ないそうで、県警本部から、警察官が今、その マンションに向かっています。」 「月見野だと中央林間の隣だ、駅も近い。それで、勤務先は何処なんだ。」 山下が、聞いた。栗原は、マニラ封筒の中味を覗きながら、答えた。 「河田氏の勤務先は、東京都千代田区丸の内にあるS重工本社ですね。」 栗原の言った会社名に、山下は、はっとした。二年前の山下の苦い経験は、 このS重工のスパイレック社買収騒ぎから始まったのだ。栗原はそんな山下に は無頓着に、続けた。 「しかし、そうすると変ですよね。河田氏が月見野に住んでいたのなら、月見 野駅から電車に乗ればよいはずなのに、わざわざひとつ手前の中央林間駅で乗 り込んでいますね。」 「河田氏が中央林間駅で、電車に乗ったのを見た人はいるのか? 確かに彼は 電車に座っていたが、誰も乗り込むところは見ていないんじゃないか。改札口 の小村という駅員は、確かボクが一番乗りだと言っていた。」 「とするとですね、彼は、どこから来たことになりますか? ホームにいた駅 員も、見たような記憶はないように言っているんですけれど。」 「ホームの駅員は見ていないだろうな。ボクが乗ったときも、ホームには駅員 は見かけなかったよ。まだ発車時刻には間があったから、みんな控え室にでも いたんじゃないかな。それよりも、一体河田氏はどこから来たのか、だな。」 山下は毎日のように利用しているT電鉄の中央林間駅を思い浮かべた。 「中央林間駅はT電鉄の終点だ。下りの電車は、中央林間に着くと、そのまま 折り返し運転で上りになる。そうか、分かったぞ。河田氏は、月見野駅で下り の電車に乗り込んで、中央林間駅に来たんだ。その電車が、そのまま上りに折 り返したか、ホーム反対側の始発に乗り込んだか。これなら、話が合う。」 「山下さんも、なかなかの推理をしますね。でも、調べてみると、あの上り始 発電車に間に合うように中央林間駅に到着する下り電車はありません。それか ら、念のために、乗換駅になっているS鉄道側も調べてみましたが、こちらか らは、必ずT電鉄の改札を通らないとホームに行けないのです。ところが、改 札口の駅員は、山下さんが乗り込む前には、乗客らしい人を見ていないと言っ てます。どうも、通常の手段であの電車に乗り込んだとは思えないんです。」 「なんだ、ちゃーんと調べているんじゃないか。それなら、河田氏がどうやっ て乗り込んだか、もう推測はしてるんだろ。」 「はい、たぶん、河田氏は線路を歩いてきたんだと...」 「おいおい、中央林間駅は地下駅だよ。」 「月見野駅から先で、T電鉄は地上に出ます。そこら辺りで線路に下りたんじ ゃないかと推測しています。ただ、問題はあります。T電鉄の線路には簡単に は入れません。子供たちが中に入り込んで遊ばないように、鉄条網の忍び返し をつけた金網柵が線路の両側にずっと設けられています。あの傷では、この柵 を越えるのは無理だという意見もあります。それに月見野駅から中央林間駅ま では、大人が早足で歩いても二十分は充分にかかる距離です。あの深手を負っ た河田氏がそんな距離を歩けたか。しかも、まだ夜の明ける前で、線路あたり は、真っ暗闇だったはずです。もうひとつ、一番重要な疑問があります。河田 氏は、何故、そんなことをする必要があったのか、ということです。」 「まるで、ミステリーだな。」 (以下、連載第6回に続く)
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