連載 #3882の修正
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23,24回と七福神を調べてまいりましたが、それに付随して大道芸、見世物を 見ていると面白いものは出てきましたので、今回は大道芸のことについて書きます。 ◎女の意和戸(アマノイワト) 『大坂正月十日戎には、難波官倉の辺の野辺に莚囲ひの小屋を造り中央に床を置き、 床上又胡床(椅子)等を置き、若き女に紅粉をさせ、華なる古桂を着せ古の胡床に腰 を掛けさせ、女の背腰以下板壁にて木戸外より女の背を見せ、髪飾多く桂の裾を右の 板壁に掛け、美女を描きて招牌(看板)を木戸の上にかけ、八文ばかりの銭をとり、 女の衣服の裾を開き、玉門を顕はし竹筒を以てこれを吹く時、腰を左右にふる。衆人 の中これを吹いて、笑わざる者は賞を出す。』 嘉永六年刊行 喜多村信節著 『守貞漫稿』より これは例の今宮神社の十日戎のことを、『守貞漫稿』(もりさだまんこう)という 随筆にかかれていたものです。この「女の衣服の裾を開き、玉門を顕し玉筒を以てこ れを吹く時、腰を左右にふる。衆人の中これを吹いて、笑わざる者は賞を出す」、こ れははじめ「女の意和戸」(オンナノイワト)と言われていたものが、その後、掛け 声「やれ吹け、それ突け」というものに変わっていったようです。 「やれ吹け、それ突け」というのは今で言う射的のようなもので、女丈夫がおはや しにのって踊りながら、ときおり裾を開いて(いわゆるパンチラっていうものか?) 陰門を見せるところを、見物人が長い火吹竹のようなもので吹いたり、たんぽん槍の ようなものでつく見世物になります。 「やれ吹け」は、笑わずに吹いたら景品を出しますが、もともとまわりの野郎ども は、きゃきゃきゃきゃと先に笑いあっているもので、笑わずにはおけない心理(だる まさんだるまさん笑ろたら負けよの論理、相手の顔はじっさいそんなに面白くはない のに雰囲気だけで笑ってしまうということ)、景品を出すとはいいながら、景品を持 ち帰ることはなかったと思います。 「それ突け」は、うまく突きあてた場合に限り景品を出しますが、そんなに景品を 出すと香具師の方が赤字になってしまいます。それに動く標的に、その上ときおりの 裾を開くだけといったら、それこそ万が一つの可能性もないでしょう。(もちろん女 の方がその気になって裾を開いてじっとしている場合なら別ですが・・・) この「やれ突け、それ突け」は、明治初年に禁止されましたが、関西地方ではかな り後までひそかに行なわれていたそうです。また、福岡の炭坑地域には、「やれ吹け」 そっくりの見世物が現れて、そなえてある数本の吹矢竹で五分間笑わずに(この五分 が長いです。笑う雰囲気の中で笑わずにおれる人はほとんどいなかったでしょう)吹 くと、反物や目覚まし時計を景品と出し、そのときの料金は一回十五銭だったそうで す。 ◎蛇這い(ヘビツカイ) 女丈夫と蛇との芸、大小さまざまな蛇を、女丈夫がつかみだして手や首に巻き付か せたものなのです。この蛇と組み合わせるのは、女でも美形のほうがよく(当然です ね。野郎と蛇の組み合わせを想像してごらんなさい。絵的にまったく魅力がない。野 郎であれば裸でもいいだろうとやってみると、裸の男とぬらりぬらりとする蛇の組み 合わせを想像すると・・・これはあまり美しくありません)美女と野獣、これでこそ 魅力があり、人が集まる条件になったのです。 女丈夫の中には、蛇を口の中に入れてみたり、陰門に出入りさせてみせるもの(口 の中に入れるのならまだましですが、陰門に入れるのは美しさをとおりこして、おぞ ましさを感じてしまいます。かなり古い『歴史読本』にはあまり美しくない女の人が、 鼻から口に蛇を通している写真がありました。これもおぞましいですね)など、バリ エーションがいろいろあったみたいです。 さて、美貌の女丈夫が蛇を自由に扱うのには、手品の種があるとの同じく、仕掛け がありました。これはマングースとハブとの試合がヒントになるでしょう。ハブは沖 縄にたくさんいて、マングースは少ない。ハブは別に死んでもいいが、マングースは 死んでは元も子もなくなり儲けがなくなる。では、どうすればいいか。ハブをいじめ て弱らせれば、簡単にマングースを勝たせることができます。 同じように、美女と蛇を絡ませるには、蛇を弱くすればいいのです。『蛇遣い覚書』 にはこう書いてます。 『蛇の穴を出づる頃を見計ひ、これを木綿切れにて捕へ、逆さまに抜けば鱗の縁に ある細刺は、皆木綿に著きて落ちる。次に蛇の口を開け、木綿切れを堅く詰込み、急 にそれを引き出せば、歯は残りなく取れ落ちる。かくして蛇は力なく弱る。これを遣 ふに自由自在』 こうして木綿を蛇の口の中に入れて、牙をなくしたら、美女じゃない赤子でも蛇を 扱えるようになります。 ◎生首(ナマクビ) 小屋の中の台の上に女の首だけがのっている生きた首。この首も蛇遣いと同じく美 女の方がよろしい。 声も出すが、からだは地面を掘ったりしてそのなかにかがみこむだけのたわいのな い芸の一つですが、これの口上がなかなか面白い。 松浦泉三郎著 『好色見世物志』より 『是はこれ、世にも因果な人の子の運命であります。生まれましたのは雪の北海道 は石狩国、旭岳と言う奥深い山の中であります。お父さんの名を山中久介、お母さん の名をお霜さんと申されます。親の代からの樵夫である久介さんは日々毎日お霜さん 諸共、山中に斧を振って己が仕事に励んで居りました。而し満つれば缺くる世の慣し は幸福な二人に一人の子供のなかった事でありました。夫婦は子供欲しさの一心から 「えたい」の知れぬ山中の神社に祈願し、やがて授けられたのは皆さん、恐ろしや表 看板にあるが侭の生首娘お花さんでした。己が胎内なら出た一つの生首、余りの驚き にお霜さんは哀れやその侭冥土黄泉の客となって了ったのです。取残された久介さん はつくづく因果の恐ろしさをさとり、西国巡礼の旅に出ると共に生首娘お花さんを世 の多くの人々の御覧に入れてせめてもの罪障消滅をはかろうと、わざわざ私達に与え られたものであります』 これってひどい話ですねえ。話そのものは、子供のいなかったおじいさんとおばあ さんに桃をさずかり幸せになる「桃太郎」、同じく「瓜子姫」、さらに子供がいない 夫婦が神様に祈願して子を授かる「たにし長者」と同じプロットを変形して、どつぼ に落としこんだ話なのです。慣れ親しんだ話を土台にして、「えたい」の知れない神 社に祈願することで、嘘っぽい生首娘を本物らしくみせる口上、さすがです。 あとこの手の話には、『参宮』(おぞましい)、『ろくろ首』(いまいち)、『ふ たなりの娘』(ふぅむ)、『きん玉娘』(読んで字のごとし)、『今道鏡』(やめて くれおぞましい)、『さね長姫』(今道鏡とほとんど同じ)、『大きん玉』(しっし っしみたくない。みたくない)などがあります。 大舞 仁
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