連載 #3874の修正
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★内容(1行全角40字未満、500行まで)
3 剣豪の話(2) 名古屋盲学校は戦災で焼けたため、当時図書室はおろか本箱もなかったが、いつの 頃からか、吉川英治の宮本武蔵(点字本17冊)があることを知り、私は図書係のお 姉さんから借りてきて、毎日読んだ。これは大人向けの小説なので、小学3年生の私 には難しい箇所が多かったが、やはりチャンバラの場面は面白い。 中学生になって、内容が理解できるようになるとなおいっそう興味が増し、結局宮 本武蔵全巻を4回も読み直したのであった。 その小説の1節に次のような話がある。 武蔵が弟子の伊織少年に稽古を付けている場面である。 『二人は木剣を持って向かい合う。伊織は師の武蔵の構えに圧倒されてジリジリと 後ずさりする…。 「目、目、目を見るのだ。」 「・・・・・。」 「わしの目を見ろ。決して目をそらしてはならぬ。」 そう言われて伊織は一生懸命相手の目を見つめようとするが、師のランランと光る 目に睨み返されてつい視線をそらすと、すかさず師の激しい声が飛んでくる。 「目、目をそらしてはならぬ。」 ……。』 次の場面は、夜、掘っ立て小屋で伊織が一人留守番をしている所である。 『窓の外から何者か鋭い目がこちらを睨んでいる。 伊織はそれに気づいてジッと睨み返す。 が、相手の目の輝きは師の武蔵に劣らず激しい! 「こんちくしょう、負けるもんか!」 伊織がその目を必死で見返すが、相手も視線をそらそうとしない。 敵か? あるいはむささびか? ……。』 当時まだ、光覚盲(明暗だけは識別できる視力)だった私は、早速この話を実践し てみることにした。 盲学校の寄宿舎に2台しかないという貴重なラジオ、それは並四(なみよん)と呼 ぶ真空管式の受信機だったが、私はそのラジオの前に立って、ジッと点灯表示のラン プを見返して、自分の精神力と眼力を身につけようとした。 点灯ランプより20〜30センチ離れた位置からジイーッと光を見続けて、夜の7 時から9時頃までラジオに向かって立っていたのである。 消灯時間になったので、眼の修練をやめたが、その後数日、私は目がチラチラ・ズキ ズキして困ったのを覚えている。目に炎症を起こし、眼圧が上がってしまったのであろ う。 今から10年ほど前、吉川英治の宮本武蔵をもう一度読んでみた。通算5回目であ る。子供の頃あれほど感動し、胸躍らせて読んだ小説だったのに、大人の目でみると、 随所に作意の跡がうかがわれ、以前ほどの感激を味わうことはできなかった。 ある私の先輩が次のように言っていたのを思い出す。 「僕の若い頃には、ロマン・ロランのジャン クリストフが好きだったが、今この 年齢になってみると、魅せられたる魂の方がはるかにいいと思うよ。」 音楽においても、学生時代は洋楽しか聞かなかった人が、老年になって邦楽を好む ようになるとか、思想的に、若い頃革新派であったのが、年輩になって保守派に変っ ていくなどは、よく見受ける現象である。 しかし、私が最も不快を感じるタイプの人間は、下積みで居るうち上司の悪口をさ んざんに言っていた者が、一端昇進して管理職に近づくやいなや、全く逆の意見を平 気で言ってのけるような人物である。無論そういう人間を世渡り上手というのであり、 彼らに言わせれば、 「人はいつまでも同じじゃ進歩が無いよ。年相応に考え方を変えていかなくちゃ駄 目さ。」 ということになるのである。 4 剣豪の話(3) 私の話は時々横道にそれるが、『もし猛獣戦わば』という書物を読んだことがあ る。色々な猛獣を戦わせるとしたら、はたしてどちらが勝つだろうかということを、 各種の証拠と著者の分析から述べたものであり、「ライオンと虎はどちらが強い か?」、「象とライオン・象と虎ではどちらが強いか?」などいくつもの組み合わせ があって楽しい。 剣豪のうちで誰が一番強かったか、というのは興味ある疑問だが、同じ時代に同じ 条件で戦うことができなかった以上、所詮憶測の域を出ない。 けれどもいくつかの小説を読む中で、一度も負けたことが無い(あるいはそういう 記述の無い)剣豪は、上泉伊勢守・塚原卜伝・柳生十兵衛らではないだろうか? 彼らの強さについては想像するしかないが、ある小説家は、一度に7人の敵と対決 できたと言い、別の人は、せいぜい一度に3人までだろうともいう。 練習試合に強くても実際の戦闘だとどうなるか分からないし、剣客と忍者とではど ちらが強いのかも私は知らない。 坂本竜馬は木刀による試合には強かったが、寝込みを襲われて切り殺されてしまっ たし、新撰組の芹沢鴨も近藤勇らの陰謀で、夜中に寝ている所を葬り去られてしまっ たという。 本田平八郎正勝は生涯戦において一度も負けたことが無かったそうだが、姉川の戦 いでは真柄尚高(文字不明)に及ばなかったという説もある。 ある研究家によれば、剣豪と言われるようになるためには、幾つかの条件が必要で あるという。 1 相手に絶対勝たねばならず、一度負けたらおしまいである。 2 故に、自分より強い相手とは決して立ち会ってはならない。 3 また、勝つためにはあらゆる手段を用い、例え卑怯者と言われてもやむを得な い。 4 そして、世の中に認めてもらえるかどうかが問題である。 宮本武蔵を例に取ってそのことを説明しており、彼は立ち会いの刻限に大幅に遅刻 し、相手をいらいらさせて勝負に勝っているし、当時一流と見られる剣客には果たし 合いを申し込んでいない。(以下省略) このような話を聞くと、私が憧れた剣豪という者の実体は、結局「世渡り上手」で あったのかも知れず、興ざめの感もある。 マア、それらについても色々論じたい所であるが省略して、さて現代の剣豪物語は どうなのだろうか。 裏の裏をえぐるような暗い作品や、変人めいた剣客が登場する小説があるかと思う と、逆に、スカッとして爽やかな武士の物語もたまにはある。 ともかく最近の時代小説は、歴史的事実にある程度符合していなければならないら しく、例えば、何年の何月何日の天候が晴れだったか雨だったかという点まで、ちゃ んと調べができているのだそうで、厳密にいえば、小説を書く時それらを参考にしな ければならないとか…。そこまでになると、私のようなずぼらな人間に歴史小説は書 けなくなってしまう。 縁起の良い初夢と言われる「1富士 2鷹 3なすび」の仇討ちも、単なる英雄物 語ではなく、お家の事情や複雑な政治問題が絡んでいるとなれば、もはや私は剣豪小 説などに夢中になってはいられない。 と言いつつも、やはり侍物は面白い。筋書きや心理描写が現代の小説と全く変わら ないのに、「何の誰兵衛」とか「何左衛門なにがし」という武士の名前を聞くだけで、 胸がワクワクしてくるのである。
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