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第9話「シーサー達の旅立ち」 ====沖縄シーサーズVS柏レイソル==== 1 那覇スタジアムは未だ完成してはいない。しかし、突貫工事のかいあってか、完 成すれば収容人数四万五千人を呑み込むというこのスタジアムのメインスタンドと 左サイドスタンド、それと右サイドスタンドの一部は完成し、ソウルオリンピック のヤムチル・スタジアムのようなアジア的風貌を思わせる屋根のデザインは感嘆を 誘い、スタジアムは全体的に、首里城と同じ鮮やかな朱色に染まっていた。 既に、一万三千人の観衆によってスタジアムは埋め尽くされていた。沖縄シーサ ーズのサポーター達は左サイドスタンド一面にユニホームのレプリカの花を咲かせ、 なかには「エイサー」といわれる民族衣装を着込んでいる一団も居るほどであった。 スタンドを覆い尽くす屋根に、民族楽器による朗らかな音色が反響し、サポーター 達の気分は高揚の限りであった。この試合のチケットは発売当日に売り切れた。カ レカ見たさに切符を買った者もいるだろう。しかしサポーター達は、シーサーズが 世に姿を現すこの瞬間を見つめ、十二番目の選手として闘うために此処に集ったの である。シーサーズはまだ、沖縄市の社会人リーグの一クラブにしか過ぎない。そ れでもサポーター達は信じるのだろう、彼らが一番強いことを。 本土から記者が多数、沖縄入りした。渚と誠の活躍を見れば、二人が以前居たク ラブに関心を持たぬはずはない。それにシーサーズは、新たな話題を本土のマスコ ミに伝えたのである。 その注目の的に、記者達が群がっている。 老将軍の言葉に記者達は耳を傾けた。 「キッシンジャー監督、レイソルに勝つ確率は」 「100%!」 キッシンジャーは激しく言い放った。 78歳という高齢であったが、キッシンジャーの歴史は、深くサッカーの歴史に 影響を残していた。ゾーンプレスを提唱したのはイタリア代表監督のアリゴ・サッ キであったが、戦後間もなく、ゾーンプレスの戦術を編み出し、論文を発表したこ とは、後々の取材の結果明らかになった。 キッシンジャーは、同じ姓を持つCIA長官の仕事ぶりからペンタゴンと呼ばれ ることがある。キッシンジャー自身もアメリカ出身であったが、不幸にもサッカー 不毛の地に生まれ、第一線に出ることは今までなかった。 90年ワールドカップの際、キッシンジャーの名は世界に知られることになった。 A級コーチライセンスを持ち、世界のサッカーの裏舞台を点々としていた彼であっ たが、カメルーンがベスト8までに残った背景にキッシンジャーのユース時代にお ける指導の成果があったのである。 以後、キッシンジャーはブラジルに新天地を求め、リオの小規模のクラブをフル ミネンセやフラメンゴと同等の実力にまで引き上げた。その事により、その名は世 界のサッカーフリークの知るところとなった。イタリアのクラブも興味をしめし、 トラバットーニやアリゴ・サッキの後釜に据えられる可能性もあった。 しかしキッシンジャーは日本を選んだ。 キッシンジャーはかつて、この地で数十人の日本人を殺した。殺人ではない、戦 争の結果である。敗戦後の一時期、この島がアメリカの統治下に置かれたこともあ る。そうしていくうちに、この島とアメリカとの縁は否応なしに深くなった。沖縄 シーサーズの選手のなかには占領下の忘れ形見というべきかアメリカ人とのハーフ の選手も名を連ねている。キッシンジャーの長男のフジオが日本人とのハーフであ ることも日本で監督業を受けることになった一つのファクターであろう。 椅子に座るキッシンジャーの視線のなかには、スタンドに陣取っている生き残っ たウチナーの子孫達がいる。戦争さえ無ければ、此処に来ることだって無かったか もしれない。そういう意味では、此処は彼の故郷であった。 ★ 本土からこの試合の為にやってきた新聞記者の数120人あまり。皆、シーサー ズの用意周到さに度肝をぬかれた形である。スタジアムの整備だけでなく、選手補 強もぬかりなく手は尽くされていた。 矢島宏樹は、本当にやり手であった。 「矢島君、よくこれだけの選手を揃えたものだ」この試合を観戦、分析するため に、田宮裕一もこの沖縄の地におりたった。 「キッシンジャーの推薦で取ってきた選手です。キャシー・マクガイアには驚き ましたけど、僕が気に入ってるのは、フランス代表のテルミドールです。まさか、 来てくれるとは思いませんでした」 「怪我で出られなかったんだね。ワールドカップ予選」 テルミドールが10番をつけていたら、フランスが予選落ちすることはなかった と矢島も田宮も断言した。 ロイ・テルミドールはオリンピック・マルセイユの花形選手であった。怪我にさ いなまれたものの、一試合の平均ゴール数が1.7という破壊力を持った選手であ り、ゲームプランの組み立ても出来るという天才プレーヤーであった。 「まこちゃんがシーサーズに帰ってきたときのいい見本になると思いまして」 「それ以上だよ」 田宮はテルミドールに惚れ込んでいた。 あとの二人の外国人も実に強者であった。 メキシコ代表のフリオ・バスケスは体重110キロ・身長2メートル10という 巨漢であった。同じメキシコ代表のカンポスの身の丈と比べてみれば、違いははっ きりとわかるというものである。 しかし、キャシー・マクガイアに関して言えば、こればかりはマスコミも呆然と した。 「デカいね、あの女」 「デカいですよ。1メートルと96って言ってました」 「女のこった、2メートルのところをサバ読んだに違いねぇ」 「まこちゃんも女の子としては大きいほうだけど、これは、ね」 スカウティングした矢島も、これには呆れるほどである。 バスケスに比べればどうということのないデカさではあったが、大和撫子の基準 からすれば桁外れの感はあった。 「ああいうデカい女、嫁に貰ったら、こっちは小さくしてなきゃいけねぇな」 マスコミの興味は、玄人好みのテルミドールよりもキャシーに集まった。 マスコミの興味をひいた事項はもうひとつ、彼女のキャリアについてであった。 「キャシーさんは言ってました。素手でも狼くらいは倒せるって」 「彼女の寝込みを襲うことの出来る狼なんて、多分いねぇな。首根っ子締められ てオジャンだ」田宮は自分の首を締める仕種をしてみせた。 キャシーの言っている事は嘘では無かった。 かつてのキャシーの勤め先は、コザ(沖縄市)の基地であった。所属は陸軍であ り、女兵士として、極東基地の基地の格闘技セミナーのインストラクターも勤めて いたんだと矢島は説明した。 一方、サッカー選手としての経験であったが、キャシーにはサッカー選手として の経験はない。テルミドールやバスケスが代表選手である一方、キャシーの実力は 未知数といってよい。キッシンジャーの素材を見分ける眼力に狂いはない事を信じ るのみだ。 「けど、大丈夫かな?」 キャシーの行方に関しては、矢島でさえも不安であった。 テルミドールからキャシーまで、コスモポリタンな構成の外国人選手をキッシン ジャーは選んだ。「ペンタゴン」と呼ばれた闇の名監督の実力がいかなるものか。 その眼力は、今宵七時に試される。 ★ 試合開始直前、シーサーズイレブンは作戦の詰めに入った。高校の音楽室程度に 大きいロッカールームには、ロッカーやシャワールームのみならず、ビデオプロジ ェクターやホワイトボードまで試合に勝つ為に必要な物はすべて整えられている。 「カレカは、気にするな。沢田や、佐々木が、ボールを持ったら、すぐに潰すん だ」 キッシンジャーは日本語も堪能であった。そのアメリカ人の日本語を、さらに通 訳がフランス語やスペイン語に翻訳し直している。 「ロイ(テルミドール)は、少し下がり目で、組み立ててほしい。今日は宮城に、 中盤の、上がり目の仕事をさせてみたい」 テルミドールは頷いた。 「今日は、Jリーグ級の実力はある、柏が相手だ。しかし、そのレベルは大した ことはない」 国頭の方をにらんで、実に基本的な事だけを簡潔に述べた。 「ボールの周りには、常に三人いるように、心掛けてほしい」 以上だ、と締めた。 時計の時刻は六時五十分を回った。 「今日は、勝つぞ! 東京の渚ちゃんに勝ち星をプレゼントするんだ! 」 チームキャプテンの今帰仁がイレブンに気合を入れた。 「おう!」 今帰仁が腕にキャプテンマークをはめ、更にイレブンを鼓舞した。 「柏レイソルに、本物のサッカーを見せつけてやろうぜ」 何度かシュプレヒコールをあげつつ、スタジアムへと向かう通路を歩く、シーサ ーズイレブン達の姿は、側にいる柏レイソルイレブンを、少なくとも気合だけでは 圧倒していた。 燃え上がるイレブンに対して、キッシンジャーの表情は極めて冷静である。柏レ イソル監督のゼ・セルジオに軽く会釈した後は、孫くらいの歳の教え子たちから離 れた位置に身を置いて、顔に刻まれた年輪を殆ど動かさなかった。 沖縄FC屋敷オーナーが出場選手全員に握手を交わし、カレカやゼ・セルジオに も挨拶をした。そしてキッシンジャーの側に来て、勝利を期待するといった旨の労 いの言葉をかけた。 選手入場のファンファーレが鳴り響いた。 沖縄民謡の軽快な調べにのって、両軍の選手が姿を現した。しかし鼓笛隊の音色 もサポーター達の大声援にかき消され、センターサークル中央に整列する時には、 エイサーの奏でる勝利を讃える歌の方が屋根にこだまするようになった。 サイドスタンド右側には若干ながら黄色いユニホームに身を包んだレイソルのサ ポーター達も詰めかけているが、スタンドを占めたのは沖縄の澄んだ青い空の色と、 南国燃え上がるオレンジ色の太陽、そして琉球の緑色に輝く海の色であった。 那覇スタジアムは、Jリーグの会場にひけをとらないくらいに華やかに燃え上がっ ていた。誰もがシーサーズの実力は知っている。これは天皇杯へのプロローグとし て位置づけられていた。「1995 1.1 IN TOKYO」という横断幕に 込められている想いは、シーサーズに対する愛であり、沖縄を誇りに思うサポーター 達の情熱であった。 「我が民族のおらがチーム、沖縄シーサーズの誕生です!」 マイクを持ったスタジアムDJの言葉さえもが、既に冷静ではなかった。
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