連載 #3841の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
なんといっても、私が一番好きなのは木でできた製品である。わが家にはそういう 品物が沢山あり、一つ一つについてエピソードを書いていくと果てしがない。 そもそも最初に手にした木製品は、祖母の年忌で母方の在所へ行った折り、叔母か らもらった15分解の積み木だった。全体が長方形で、アーチ型の木の枠をはずすと、 二組の対照的な椅子型の積み木が出てくる。椅子型のそれぞれは重ね合わせの寄せ木 細工になっていて、はめ込む順序や左右関係がきちんと決まっていた。小学校1〜2 年生の頃、私はこの寄せ木のおもちゃを大切にしていたものだ。 同じ頃、父が炭を焼くために大量の木を家へ運んできたことがある。父は昔瓦製造 業を営んでいて、わが家の敷地内には、瓦を焼くための二つの大きな窯と、炭焼き窯 もあったのである。炭にするための材木は既に15センチ角くらいの直方体に切って あり、何百個もあって、私はそれを積み木にして遊んでいた。真四角の材木は私が最 も好む物である。その中から50個ばかりを選んで物置にしまっておき、それを私に くれるように母から父に頼んでもらったが、結局私の望みはかなえられず、全部炭に なってしまった。昔の父親は「地震・雷・火事・親父」と言われたくらい、誰よりも 恐ろしい人だったから、私は父に直接頼むことはできなかったが、あの角材を50個 と言わず、1個か2個だけだったら、父も許してくれたかも知れない。 その後在学中は、寄宿舎生活やアルバイト暮らしに取り紛れ、木製品の思い出は残 っていない。 但し、引っ越しを度々したので、私はリンゴ箱を沢山持っていた。結婚して札幌の 市営住宅に入った頃には、まだ家具類を買う余裕もなかったので、引っ越しの時に使 ったリンゴ箱をそのまま部屋の壁際に積み上げていたが、それを数えてみたら、28 個もあった。その後、引っ越しの形態が替わり、コンテナや段ボールが用いられるよ うになって、リンゴ箱は一つ減り二つ減りして、いつのまにか無くなってしまった。 リンゴ箱は確かに素朴だが、いかにも荒削りであり、もう少し小ぶりの木製品で、 綺麗に削った物を私は好む。 旅行先の店で捜すのは、石よりも陶器よりも金属製品よりも、まず木である。 からくり箱のように、12箇所も動かさないと蓋の明かない仕掛けの箱や、手文庫・ すし桶・お盆・菓子器・茶托・ナツメ・一合桝・ペン立てなど、手頃な値段だとすぐ に買いたくなって困る。 北海道記念の熊の置物や熊のネクタイかけは確かに複雑な手彫りの品だが、私はむ しろ単なる角材や板の方に愛情を感じる。 一家6人が県営住宅の2Kの狭い家に住んでいた頃、裏庭に是非もう一部屋建て増 ししたいというのが私たちの何よりの望みだった。ようやく許可が下り、知り合いの 大工さんを頼んで、六畳一間を立ててもらった。外から見ると波トタンのみすぼらし い物置のようでも、中に入ると玄関や押入もあり、案外こった造りで、四寸角の柱が 16本も使ってあった。この「離れ」が完成した後、私は毎日、つや出しのために柱 にケントクを塗って、ぼろ布で磨いたものだ。 現在は『マイホーム』に住んでいるが、二階へ上がる階段の下に杉の木の丸柱があ り、これはなかなか良い。床柱は既製品の安物だが、建築の途中、その床柱と対をな す角柱があまりにもちゃちな材木だったので、請負人に交渉して取り替えてもらった いきさつがある。建築がだいぶ進んでしまっていたので、幾分気まずい感情が残った かも知れないが、とにかく今は、その取り替えた四角な柱が私には一番気に入ってい る。 木でできた精密な細工となれば、仏壇を見落とすことはできない。何年か前にやっ と仏壇を買うことができたが、金箔を貼った物は何百万円もするので、店頭で一番安 いのを購入した。結痂的には、この方が純粋に木材のみでできているので、私には嬉 しい。 最下段に小さな戸棚・その上に三つの引き出し・その上に二重の観音扉があり、良 質の木を優雅な形に削って美しく細工した芸術品である。 私はその仏壇の前に座り、子供の頃にそらんじたお経を読み上げる。 「帰命無量寿如来。南無不可思議光。……」 16 隠れた名人 是非ここで、ある指物屋さんについて書いておきたい。音楽好きの先輩が紹介して くれたその人は本名を安田さんといい、昔気質の老人で、建具などをこしらえてほそ ぼそと暮らしていたが、すこぶる腕の良い職人だった。 私が最初に安田さんに注文したのは、点字印刷用の亜鉛板を入れておくための木の 箱である。点字印刷というのは、亜鉛版を二つ折りにして、製版機で点字を打ち出し、 その二つ折りの間に点字用紙を挟んでローラーに通す方法である。ところが、亜鉛版 は結構取り扱いにくくて、刃物のように縁が鋭いのでしばしば手を切ることがあり、 また、100枚一組の点字本の原盤(亜鉛版)の重さは相当の物である。私は前々か ら亜鉛版の保管と運搬に便利な箱があればよいと考えていた。私がその箱の構想を話 したら安田さんは快く引き受けてくれて、それから数日の後に、もうできあがったと いう連絡を受けた。 音楽好きの先輩の家に預けてあった『原盤箱』を見て驚いた!その出来映えといい、 風格といい、機能性といい、私が注文した物より数段優っていたのである。 細工を細かく説明することはできないが、板の削り方、角の丸みの付け方、釘をほ とんど使わないかみ合わせによる組立方、蓋・足・手提げ・ロック・間仕切りなど、 その材料の選び方や取り付け位置や寸法にいたるまで全て申し分ない物だった。おま けにニスまで綺麗に塗ってあり、仕上げも完璧である。さらに、 「せっかく箱を造ってもらっても、亜鉛版を出し入れしたら傷ついてしまうから、 もったいないことになるが…。」 と私が言っていたのを忘れずに、安田さんはわざわざ板を2枚細長く削って箱の中に 敷いてくれてあった。またその2枚の板が綺麗に削ってあるので、私は現在その上に ボール紙を敷いて板にも傷が付かないように注意している。 私は盲学校に勤務しているが、点字の本は活字の本に比べて大層かさばる。これら 点字の書物をいかに整理整頓するかが、我々にとっての課題である。 職員室の机に合わせて二段式の本立てを造ってもらうことにし、安田さんに依頼し た。 点字本のサイズはB5版よりも一回り大きいので、これを縦に2段積むとかなりの 高さになるし、横にすると机上が狭くなってしまう。結局横二段の本箱を注文したが、 出来上がった物はやはり相当に大きいので、職員室の視界を遮る。暫く置いてみたが、 今は遠慮して自宅のテーブルに乗せて便利に使っている。造りは頑丈、細工は見事で、 全く申し分ない。 盲人用の物差しというのは、普通の物差しを改良して、1センチおきに薄く削った 部分と分厚い部分を造り、指先で目盛りを読みながら計測するように造った物である。 30センチくらいの長さの物差しなら販売しているが、長い物は自分で造るしかない。 盲学校の臨床室の担当になった年、私は必要に迫られて(患者さんの身長や坐高、 指尖〜床距離などを計測するのに)、1メートルの盲人用物差しを造ることにした。 勿論、頼みは安田さんしかいない。 出来上がった2本の物差しの精密なことはいうまでもなく、しかも値段を聞いたら、 「幾らもらったらええきゃあなあ(名古屋弁)」 と迷ったあげく、 「300円ももらっとこか!」 と言うのである。冗談ではない。1メートル物差しを2本、1センチずつ削って綺麗 に磨き、5センチごとに頭の丸い釘を打って目印にしたが、その釘の先が裏側に飛び 出して危ないので、一本ずつヤスリですり下ろしたのだそうである。そんなに手がか かっているのに300円とは、子供のこづかい銭にも満たない。 遠慮してなかなか受け取ってくれないのを、説得して1本千円ずつ支払ったが、考 えてみると、昔気質の人であるだけに、余分の金を受け取った以上、多少の無理でも 聞かねばならないと思ったかも知れない。だからこそ私のやっかいな仕事も引き受け てくれていたのであろうか? 盲学校の文化祭で拍子木を使う場面があり、年長の生徒が樫の木の角材を手頃な長 さに切って持ってきた。文化祭が済んでその拍子木はいらなくなったが、生徒がこし らえてきた物を教師がもらうこともできず、学校の音楽室に寄付した。 安田さんにその話をすると、 「また暇があったら考えとくわ。」 と言って、その場は終った。 何ケ月かして、例の先輩から電話があり、 「あんたが頼んでおいた拍子木ができてきたよ。」 と言った。喜び勇んで出かけてみると、これこそまさしく珍重に値する逸品だった! 妻がベルベットで袋を縫ってくれて、今は拍子木をその中に入れ、タンスの引き出 しにしまってあるが、袋の口を開けて取り出すと、ズッシリとした重みが両手に伝わ ってくる。外国産の高密度の材木を丁寧に削り、蝋を塗って磨き立ててあるのも、全 て安田さんの工夫である。拍子木はカチカチと打ち合わせる物なのに、私は絶対にそ うしたくない。なるべく傷が付かないようにソーっとベルベットの袋におさめて、大 切にしまっておくのである。 私は管理職になるような人物を軽く見る傾向があり、「要領・ごますり・建て前」 を巧みに操る人間でなければ管理者にはなれないものという偏見がある。そうばかり でもないのだろうが、生来無器用で世渡り下手な私には遠い存在でしかない。 学生時代に私が教わった校長先生は3人、教員になってからの校長は10人である。 なるほど校長ともなれば、それぞれに立派な信念と人格を持った人物なのかも知れな いが、人間には好き好きとか相性という物があり、心の底から信服できる人は少ない。 札幌盲学校に努めていた頃、Nという校長がいて、私はその優しい人柄に尊敬の念 を抱いていたが、その先生が退職の時、私は色紙を買って持って行き、 「記念に何か一言先生の筆で書いて頂けませんか?」 と頼んだ。そして、書いてもらった漢詩と俳句は今も額縁に入れて飾ってある。 繭條豊平河畔柳 明年春回又新緑 春昼の大戸重たき別れかな ところが、それから2年と立たないうちに、N先生は他界されたのである。 私が札幌から名古屋の盲学校へ転勤して来た時のT校長も、穏やかな人柄だった。 当時は組合活動が盛んな頃で、その校長もずいぶん苦労されたと思う。やはり退職の 時、色紙を持って行って、一筆書いてほしいと頼んだが、これらは『収集』という感 覚だったかも知れない。 ところで4月になって、T先生が私のために持って来られたのは、銅板に釘で描い た浮き出し文字だった。 「わしわなあ、あんたにこの文字を読んでもらいたくて、銅板に何百回釘を打った か知れぬよ。」 と言われた時には恐縮したが、なるほど、縦20センチ・横15センチくらいの銅板 に、細かい釘の痕を連ねた「寿」の文字と、筆者の名前が書かれていた。 私は安田さんに頼んで、この銅板を木の枠に入れ、額縁のようにこしらえてもらう ことにした。注文通り出来上がってきたのは、真ん中に銅板を鏡のようにはめ込んで、 その四辺を磨いた竹で押さえるようになっていて、この配置が実に良い!こうしてT 先生の「寿」の文字は、二つとない記念の額となった。
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