連載 #3744の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
★ 裕一の自宅には目覚まし時計というものが無い。 もう朝日がさんさんと輝いている。目覚まし時計が無い事が今日に限っては 仇となってしまっていた。 置き時計が示している時刻は八時三十分である。郵便局への出勤時間は八時 四十五分ということになっている。 だが最初に目を覚ましたのは茜であった。 茜は啓子の娘で、歳は十二を数えている。昨日の晩に突然訪れたこの少女は 裕一の計らい、否、思惑と本人の利害の為が一致して、ここに住み着くことに なったのである。家出の理由は裕一にもいま一つ見当がつかないが、それは現 在、知る必要のないものであった。裕一は茜の存在を欲していた。かつて愛娘 を失った裕一は、それ以後精神状態が不安定であった。そんな時に現れた茜の 存在は裕一にとって好都合なものであった。茜は、捜していて見つからなかっ たピースの一つみたいなものだろうか。 茜は起きてまず顔を洗い、洗面台でシャンプーを使い始めた。緑の為にあっ たはずのシトラスの香りのシャンプーとリンスを掌に浮かべ、それを頭皮にす り込んで、髪を洗う。 洗面台からけたたましい音が鳴る。 その物音は、うとうととしていた意識にも響いたはずだ。裕一はその物音で、 その目をようやく覚ましたのである。 「あかねーーー、ばしゃばしゃするなよーー朝早くからーー、ん? 」 茜の朝シャンを戒めた時、裕一はようやく頭をもたげた。 それが、裕一のパニックのきっかけという事になったのだが。 古びた置き時計、裕一の視界に入った。 「ええっ!」 時刻はもう八時四十分を回っている。 遅刻は確定的であった。 「緑、みどりーーーっ! 」 時計を見て慌てふためく。 「おじさん、今日は土曜日でしょ」 「僕は土曜日にも仕事があるんだ! 課長が遅刻とは洒落にならん」 といっても、ただ慌てるだけ。 洗面台から姿を現した、茜のその大きな瞳には、少年漫画とかによく出てくる 遅刻の常習犯のような裕一の姿が写っていただろう。茜は、遅刻したことはない。 必ず啓子が起こしてくれるお陰なのだけど。 「慌ててる暇があったら、早く背広に着替えて、とっとと会社に行ったらぁ」 茜の指摘は的を射過ぎたものであった。 「そ、そうだな。うーむ、今までは緑が起こしてくれたからなぁ」 「緑?・・・・・・ 緑ちゃん?」 常識の範疇においては、裕一の言葉は理解出来なかった。幽霊に起こされる、 一般人にとっては実に気持ち悪い話だ。 「う、うーむ、とにかくメシをコンビニで食べて行ってくる。茜、鍵は渡し とくから、外に出たかったら鍵だけは閉めといてくれよ」 裕一は、食事代と自宅のマスターキーを茜の掌に置いた。 それから慌てて着替えはじめた。 「ネクタイピン・・・・・・ 何処いったかな? 」 畳の周りを探す。畳の表面は結構散らかりほうだいだ。 ため息をつく茜。 「ポケットの中に入ってない?」 茜のその一言で背広のポケットの中を探す。みつかった。左ポケットの中に ネクタイピンは在った。 母親の目をして茜は言う。 「慌てすぎると、どっかで失敗するよ。一つの事がうまくいかないと、全て の事がうまくいかなくなるってお母さんも言ってた」 歳不相応な茜の教えに微笑で応えた裕一。 「確かに」 この言葉は、部下としての啓子がよく言っていた事を思い出す。 茜にまでこの事を言われるとは思わなかった。 しっかりとした子だ、心配ない。裕一は安心して職場に通う事が出来た。 「いってくるよ」 「いってらっしゃい、おじさん」 しかし現金なところもある 「お土産に 焼プリンとシュークリーム買ってきて、お願い」 「必ず買ってくるよ」 はにかんだ。裕一は、可愛い娘の言うことを断ることが出来なかった。 「さっ、元気に仕事すっか」 マンションの扉を開けると青い空と渦姫の海が見える。 裕一は、走り出した。 ★ この町の東西は全く逆の個性を持っている。 当時の渦姫市は手工芸等の地場産業のみで生計を立てていた人口疎らな土地 で、当時の市民の多くは、市内の東地区鍛冶場町周辺もしくは渦姫駅前辺りに 集まっていた。 一方、西部地区は丘陵地で人口も少なく、人々は農業中心の生計を立ててい た。バス等の交通機関の発着数も少なかったという。 しかし大志女子大の総合キャンパス、そしてIC関係の工場が建設され、西 部地区の様相は一変した。当時の人口の東西比が9対1だったものが逆転し、 西部の人口が東部の倍以上になったのである。 女子大誘致に成功したのが大きかった。丘陵地は切り開かれ、学生の輸送の 為にJRの複線化が実行されて住宅が建ち並ぶようになった。相乗効果で商業 施設も充実し、西部は一大学研地域となったわけである。 大学周辺は賑わっている。土曜日であったが、女子大生の姿は絶えない。ショ ッピングやレジャーに興ずる姿があちらこちらで見られる。 喫茶店の全国チェーン「サントス」も繁盛していた。オールドアメリカン風 の店内でウェイトレスやウェイターがこまねずみのように働いている。店長は 儲かってほくほく顔だろうと思うかもしれない。 しかし店長は控室に閉じこもって、一人の女性とかなり深刻な話を続けてい たのである。 時々、目にハンカチを当てて泣き出す女。 話の節々から判る事は、二人が夫婦ということであった。 「啓子さん、もう泣かないで下さい・・・・・・ 」 男は必死に妻であるところの啓子を慰めていた。野口啓子、この女は茜の実 の母親である。そして、この店の店長であるところの野口三郎は茜の父親であ る。 啓子は今日の仕事を休んでいた。仕事どころではない。娘が家出したのであ る。その翌日だ。時間が経つにつれ胸の奥を少しずつ焦燥感がえぐっていた。 実際父親の三郎も仕事なんてしている気にはならなかった。これが個人業だっ たら今日は臨時休業の札を出すところだ。だが三郎は雇われ店長なのだ。仕事 を休むことは許されなかった。仕事に行く事を拒む体をむりやり引っ張って店 に入ったのである。 実際、それでも愛嬌を振る舞うのは辛かった。バイトの古参の子に今日の切 り盛りは任せて自分は控室に引きこもっていたのである。啓子も一人で自宅に 居るのはたまらなかった。だから今日だけ夫の側に居た。 「どうぞ」 休憩中の女の子がコーヒーを二つ持ってきた。 啓子はじっとコーヒーカップばかりを見つめている。 「辛い。裕一さんの気持ちが判る・・・・・・ 」 啓子の言葉はか細いものだった。 「あの子はそれほどお金を持って無いはず。この近くに居るとは思うのだが」 三郎は少しだけコーヒーを口にした。 「やっぱり、僕は情けない父親なんだろか、けど判らない」 三郎も啓子も自分の家庭にこんな災禍が降りかかろうとは思ってもみなかっ たはずだ。三郎は酒も煙草も博打一切もやらない健全な男だし、啓子も、極力 家事をこなすようにしている貞淑な妻であり、慈悲深い母親であった。 原因が判らない。特に啓子はそうだった。 「僕、そりゃ、こうやってうだつのあがらん店長やってる大したこと無い父 親だから馬鹿にさけるかもしれんな。あの子は頭がいい、啓子さんに似たんだ」 「何言ってるのあなた。あなたは立派な父親よ」 「けど」 「あなたと茜の家出は関係ないわ、家出はあの子の問題」 啓子は三郎の言葉をとがめた。 「けど、啓子さんに何の問題があるんですか。啓子さんに問題が無いとした ら、僕になんか不満があるに決まってるんです」 会話は泥沼に入っていった。 聡明な啓子には実際、家出の理由はわかっていた。そして何処に行ったのか も。しかし夫のために茜に帰ってきて欲しかった。 啓子にとっての三郎は永い間連れ添ってきた大切な人、そう思って生きてき た。三郎ほどの人格者も滅多に無いはずだし。 啓子は実際のところ、この家の居心地に不満を感じていた。しかしそれを咎 める事は出来無かったのである。 三郎がようやく店内へと消えた。 啓子は、自宅に戻ることにした。別に何をするわけでもないがそうするしか 仕方がなかったのだし。 ウインドゥ越しに三郎に手をふって、街の人込みの中に消えた。 つづく
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