連載 #3737の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
蒸し暑い。裕一の気分は最低であった。渦姫海岸行きバスは、異常な程混み 合っていた。 駅前のバス停で帰りのバスを待っていたその時、突然の土砂降りの雨と落雷 にみまわれ、半数の乗客が狭い母屋に入りきれなくなる始末。それからあとの 寿司詰め状態という具合で、自宅の鍛冶屋町まで帰るのに、この状態で立ち続 ける事を強いられた。 傘を用意していなかった乗客の殆どが、背広に水を滴らせていた。 裕一の降りる停留所まであと八駅というところである。帰宅を急ぐ自家用車 も多く、交通渋滞のおかげを被って停滞する。決して良好と言えない視界の中 を走っていた。 乗客は次第に減っていく。しかし微々たるものだ。渦姫海岸行き12系統の バスは基本的に渦姫ニュータウン行きの送迎バス同然である。裕一の鍛冶場町 以外に客足が移動する停留所は無かった。 「緑ぃ、怒ってないだろな」 裕一がまた現実から逃避する。 車内の「急停車にごちゅうい」のランプが光った。 サイレンの叫びが聞こえる。裕一の目に映ったのは、白い救急車がこの悪天 候にも係わらず猛スピードで駆けていく姿である。 顔をしかめた。 バスの始発から二十六分後、「鍛冶町、鍛冶町です」の女性のアナウンスが ようやく聞こえた。ずいぶん遅い到着である。 「はやく行かなければ、緑が、死んじゃうじゃねぇか!」 運転手にとって意味不明の捨て台詞を残し、より蒸し暑くなっていた車内か ら飛び出した。 ドォォォン! 彼にとって五度目の雷鳴が聞こえた。 雨は更に勢いを増して、容赦無く襲う。駆け足で自宅まで向かう裕一もその 洗礼を受けていた。 裕一の目の前に我が家カジバコーポが見える頃には、既に背広はつかいもの にならなくなっていたに違いない。 ★ 雨足は以前衰えずに、自宅に戻ってもその物音は聞こえる。 「パパ、おいしそう」 生姜の炒めものの匂いが部屋中に漂ってくる。いつもどうりの手さばきで裕 一は自分の料理をこしらえていた。五年前、いやそれ以前からフライパンや鍋 を持ち、彼は料理を作っていた。酒の席ではあまり食べない。自分の料理の方 が旨いと信じて止まない男である。 「待ってろよ、出来たら食べさせてやる」 裕一は娘の声に、微笑んで応えた。 火を止め、10インチ程度の皿にそれを盛りつけた。あとは電気釜からご飯 をよそって、ちゃぶ台の上に置く。 「ご飯の時間だ」 裕一は、写真立ての中の「緑」を食卓へと連れていった。 「さっ、今日は牛肉の生姜炒め。お前の好物だ」 「パパ、今日もお疲れさま」 緑の言葉に、照れを隠す仕種を裕一はした。 周りから気が狂っていると言われても構わないじゃないか。緑は此処で生き ている・・・・・・・・・・・・ 「いただきます」 挨拶のあと、一口含んだ。さっくりした食感と濃厚な匂いが緑の味覚に伝わっ た。 「おいしいだろ! 」 「うん! 」 緑の笑顔はいつも飽きない。娘と一緒に食べる食事に勝る物はないと裕一は 断言する。 「あのサイレンが、緑のじゃなくてよかった」 そうだったら、緑と一緒に晩御飯ということもなかった。 裕一は失いたくなかったに違いない。雨中のバスの車内で見た救急車が緑を 乗せて行くのでは、そういう恐怖に怯えていたことも事実であった。 夕刊を手にして読む。ここのところ、理系学力の低下がみられるといった調 査結果がグラフ付きで一面を飾っていた。 裕一は何かを思い出し、尋ねた。 「今日、学校のテストがあったんだろ」 「う、何の事? 」 少し顔を引きつらせる。裕一はやや顔を引きつらせていた。 「先生から聞いているんだぞ。点数、あれじゃ中学行ったら苦労すんぞ」 「60点だよぉ、頑張ったんだけど」 努力を評価してほしいと、情状酌量を請う緑だが。 「お父さんは勉強が出来なくて苦労したんだ。緑には大学まで行ってほしい んだ。最近は、女の子だって働く時代なんだぞ」 裕一は娘に勉学の大切さを説いた。裕一自体は大した学歴を持っていない。 別段進学校とは言えない高校を卒業したあと地元の私学に進学し、現在郵便局 の課長、まぁこのあたりが限界であろう。同じマンションの村田さんのところ の愛娘は今年受験で、国公立を目指している才女だという。緑もそれなりの学 校に、と望む父親の気持ちである。 けど、裕一は「甘い父親」であった。 「仕方ないな、次は頑張るんだぞ。ま、小学生の頃はのびのびとやってても いいかな」 実際のところ、娘の出来不出来はそれほど裕一には重要では無かった。 裕一と緑の会話は、いつも滞り無く過ぎていく。 緑はあんまりわがまま言わない娘であった。裕一はそんな緑怺,を愛しても 足りないくらい愛していた。 洋服だって、別に流行にはこだわってはいないけど、華やかな柄のものを娘 のために買って与えているし、彼女が渦姫の海を見たいといえば、暇を敢えて 作って応じている。 世間の自分に対する評価なんてものは気にはならない。気にしてどうする。 お前ただには緑の事が見えないんだろ、緑の声が聞こえないんだろ、緑がしっ かりとした優しい娘だってこともわからないんだろ、気が狂っているのは貴様 らの方だ、手前らの餓鬼なんざ嘘つきだしワガママだし、白痴の極みだし、い いじゃないか、別に。裕一は蔑笑の視線を感じるたびに呟いていた。 啓子しか、俺の苦しみは判らない・・・・・・。 「啓子ぉ、おかわり」 裕一が人妻の名前でおかわりを催促したとき、 プロロロロ・・・・・・・・ 「緑、お前の友達からかな? 」 受話器に手をかけた。 「はい、小野寺です」 「課長! 課長ですか!」 「おお、啓子か」 啓子からの電話である。ただ、変に慌ただしい。 「どうしたんだ、何かあったんか? 」 裕一の声もつられてせわしないものになる。 感じ取っていた、よからぬ事だと。 「塾はとっくに終わっているのに、茜がね、帰ってこないの! 」 この知らせで、裕一の妄想は一時消え去った。 「本当か! 」 目が吊り上がった。 啓子の娘である茜の行く塾といえば、啓子の家の近所にある誠心塾である。 8時に終わる授業だと彼女から聞いたことがある。一時間あれば何往復も出来 る距離だ。 「友達のところは?」 裕一が尋ねたが、塾の名簿や学校の友達関係でめぼ しい所はみな聞いてみたという。それでも所在がはっきりとしないのである。 「いつも、時間通りに帰ってきて、きちんと予習復習して、スマップとかが 出ているベストテン番組を毎週欠かさず見ている子なのに・・・・・・ 」 普段が真面目な子みたいだ。それが、普段のスケジュール通りに事が進んで いないので慌てているんだと裕一は考えた。 取り合えず安心させる事だ、と。 外は相変わらず、叩きつける土砂降りの模様である。「この雨だ。小降りに なるまで近くのコンビニで雨宿りでもしてるんだろ。心配するな。今日帰って 来なかったら警察に届ければいいじゃないか。探してみなよ。傘忘れちゃって、 お母さんを待っているかもしれないぜ」 裕一は気楽そうに、犯罪の可能性を匂わせないように言った。 「そうね、塾の近くのコンビニとか、ゲームセンターとか行ってみる」 「こんな雨だ、風邪をひかんよう気をつけろよ」 「ありがとう。そうね、たまにはお友達のところで遊んでるのかもしれない し。仕方ないわね、茜ったら」 「キツいお灸は勘弁してあげろよ。そうだ・・・・な・・・・・・ また明日、職場で 会おう」 渋く、しかし甘い声で、「お休みなさい」と裕一。 「夜分遅く済みませんでした。お休みなさい」 消灯の挨拶とともに電話は 切れた。 「啓子って、心配性は昔からだな」 煙草の煙の中に、過去の思い出が浮かび上がってくる。その一頁には、茜の 姿もある。啓子も多く姿を見せていた。 しかし、緑の記憶だけは新鮮なまま残されていた。 「緑、啓子おばさんと茜と一緒にアスレチック行っただろ」 現実と妄想の狭間で一言呟く「茜ちゃんと、会ってなかったな。遊びたいだ ろ、一緒に」 写真立ての中の緑が遊びたがっている、飛び出すのではないかと思える位に その笑顔はわくわくとしたものに見えていたのだ。 ★ くしゅん・・・・・・ 少女の身体はずぶ濡れだった。 目線は定まらず、脳細胞は足の筋肉に移植されたのかと思うくらいに、足が 一歩ずつ踏みしめていく。 渦姫海岸の方からあるいていくその姿は、海の藻屑をそのまま髪の毛にした 様に乱れた髪の毛が歩いているというようにも見える。 リュックサックの中のものは使い物にならないだろう。 ていた物が何かの拍子で爆発したのだろうか、ほんの出来心で自分の世界から の脱走を試みたのである。 「家出、しなけりゃよかった」 ずぶ濡れの中にひと雫、涙があるに違いない。 渦姫のニュータウンを過ぎて、北の方に歩いている。本人は何処にいるのか 方向間隔を失ってるはずだ。 帰りたいという気持ちが少しずつ大きくなっていく。今から思えば、別に親 が邪険にしたわけでもないし、乱暴を働くわけでもない。普通の家庭であった。 我慢しようと思えば許容できる範囲内の苛立ちであったと思う。 のように繰り返されていた。 鍛冶場町の停留所が見える。 どおおおおん! 幾数十回の雷鳴に本能的に反応する。 「きゃっ」 この角を左に曲がった。 少女の身体は、覚えていた。本能的に、ここに行きたかったのだ。 視界不良の闇の中を、街灯だけを頼りに少女は走った。息は切れかかってい る。それでも足は動いた。 そして生きる為の本能という奴は、少女の行くべきところを見いだした。 マンションの階段を昇る。野晒しの螺旋階段となっている階段に足を滑らせ たが、足はそれでも進む事を止めない。 止まった。足が止まった。 「小野寺のお父さん」 305号室の目の前の表札は「小野寺裕一」、一つ消した後の空白があって、 「緑」と続く。 少女の手がインタホンへとのびた。何度となく躊躇するが、自分の事を慕って くれる男の館は此処なのである。 少女は手櫛で髪を整え、そしてベルを押した。 インタホンの声は野太く聞こえる「はい小野寺です」 少女は俯いた。何も言わない。 少女には記憶が有った。小野寺裕一とは五年も会っていなかったが、少女の、 小野寺裕一にたいする印象は決して悪くない。此処にはかつて緑という年上の 娘が居た。緑お姉ちゃんは優しかった。綺麗だった。よく遊んでくれた。いい 思い出しかない。 けど、緑が他界してからは、小野寺裕一との面識はない。よく小野寺の家に 連れていってくれた母親も、それいらい足を運ばなくなっていた。これには訳 があるのだが、少女の知るところではない。 父親はいる。しかし、父親らしく見えたのは裕一の方だった。 鉄のドアが開いた。 「あっ、茜ちゃん」 裕一は少女の事を覚えていた。 「どうしたんだ! ずぶ濡れだよ。中に入って、着替えて、食事は食べたの か! おい!」 裕一は茜の手を引いて、自宅へと導いた。 茜の顔は涙で潤んでいる。裕一の差し出したハンカチを目にやった。 これから先のことなんて考えていない。ここが、茜にとっての駆け込み寺と いえることだけは確かであった。 願望は視線の先の一人の男の存在にあった。 つづく
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