連載 #3681の修正
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筒井康隆氏と断筆宣言その後(1) これは天下の朝日新聞三月三、四日に渡り、筒井氏、てんかん協会双方の立場から 書かれたものを参考としていきます。これを一読者の立場として読んでいるとどちら の意見も一理あるのですよね。筒井氏側、てんかん協会の言葉はどこかでお互いのこ とを認めつつも、どこかで離れている。そんな気がしています。 筒井氏側インタビューから(上欄新聞抜粋、下欄私の意見) イ 『−−断筆宣言に至る騒ぎは何だったのですか。 最初は人権問題と表現の自由のぶつかり合いだった。じかにぶつかるんならい いけれど、マスメディアが出てきて差別用語の言い換えなどで自主規制をする。』 マスコミは一体何をしているのでしょうか。差別用語の言い換えだけです。言 い換えだけでは、めくら、ちんば、きちがい、ちょん、非人の言葉を出すと世間 がうるさいから、新しい言葉を考えだし穏便な言葉にすり換える、もしくはその 言葉を永久に抹殺してしまう。 それじゃ駄目だと思うのですよね。今では【ぼかし】の入っている差別用語は 昔のように【くっきり】と使ってもいいと思っております。 差別用語を使わないのは臭いものにフタをするだけなので、マスコミは実に楽 なのですよね。世間から叩かれることはない。知らぬ存ぜぬでいけばいいのです。 しかしこれでは差別の根本的な解決にはなっていないのです。マスコミに求め ていきたいのは差別用語を使いつつも、今も昔もこういうことがあった。それで はなぜ差別が起こるのが、差別用語を使いながら学習、差別への理解していくこ との方が大事だと思っております。 ロ 『−−表現の自由は、権力の介入や操作に対してであって、弱者を傷つけるもの であってはならないと思う。傷つけられた人々の声にマスコミが耳を傾けてきた 結果があなたの言う自主規制であり、言い換えというものになった。話しあって 自分の表現を変えていくということがあってもいいのでは。 えーっ。それがいけないんじゃないですか。言葉だけで傷つくというのが・・ ・。これは差別的表現を使っているけれど、われわれを傷つける意図で使ってい るのではない、と判断できるのが知性でしょう。文学の方では、ほんとうに差別 的な人間が相手を差別する意図をもって差別的なことを書く自由があるかどうか。 僕はあると思う。』 文学では書いてもいいと思う。実際の世の中にも差別をするもの、差別をされ るものは現実にあるのは確かなのだし、それを文学に取り入れないのは、臭いも のにフタをしているだけだと思う。夢野久作作品群は図書館の書庫にお倉入りを し、あの名作『カムイ伝』ですらお倉入りをしていた。差別を書かれているもの を読む、こういうのが理不尽な差別、過去からの悪習だったと考える機会をどし どし庶民に与えてほしいです。 ハ 『−−ブラックユーモアを 「人種差別をし、身体障害者に悪辣(あくらつ)ないたずらをしかけ、死体を弄 (もてあそび)、精神障害者を嘲(あざけ)り笑い・・・」などと説明していま すが・・・。 差別意識はだれにでもある。なければもう人間ではなくなってしまうところで もある。人よりもえらくなろうというのも差別意識だし・・・。 てんかん協会の人も僕の作品の他のブラックな差別的なものは、おもしろいと、 喜んで読んでいるんです。人間は他人のいたみは絶対わからないというのも真実 だと思う。』 ちなみに、ブラックユーモアを新解明国語辞典(第3版)で調べますと、『通 念では禁句とされる素材を冷めた目で取り上げ、不合理・不条理を通じて直感的 な笑いを読者にもたらすもの。一面において、それが現実化された場合を想像さ せることにより、強烈なショック療法をもねらう。風刺の最も根元的なものとさ れる。』と書かれておりました。 差別意識は誰でもある。これも真実ですよね。この世には男と女がいて、キリ スト教ではイブがアダムをそそのかしたために女は罪だと云っている。仏教でも 女はそのままでは仏になれず、男になってようやく仏になることができたと云っ ている。人としての道を諭すはずの宗教でも男女差別があるのですから、世の中 に差別がない方がおかしい。 常日頃差別が表にでない人徳者でも、結婚とかの場合になれば将来のことを考 えると二の足を踏むことがあると思う。それは悲しいことではあるが、誰でも幸 せ(エゴ)になりたい、どうせ同じ一生を営むのならできれば安楽な生活を望む のは無理はないと思っております。私も差別はいけない、差別があるのはいけな いことだとはわかっているのですが、いざとなればどうなるかわかりません(こ れ云っておかないと偽善者になってしまう。差別はいけないと叫ぶだけの偽善者 は嫌い)。 人間は他人の痛みはわからない。これも真実です。 私事になるのですが例として妹がスポーツの最中誤って足首を怪我したときの ことをあげてみましょうか。 近くの店の車椅子マーク(障害者用駐車場は店から近いところに置いてある) に車を止めようとしたのですがすでに他の車が止まっていたりしたのです。妹は 松葉杖でひいひいわめきながら、遠いところからとことこ歩いておりました(店 の中には障害者らしき人はおりませんでした)。 今までならうっとおしい障害者用駐車場、そんなものなくしてしまえと思って いたのですが、いざ自分たちの番になって初めて障害者用駐車場のありがたみが わかってきたりするから実にわがままですよね(わし=エゴの塊)。 ニ 『やはり新聞として「つんぼ」とか「めくら」とか言われて傷つく人がいる限り、 なかなか書けない。 言い換えがだめなんですよ。目の不自由な人と言われて怒るあんまさんもいる。 書き換えていったらきりがない。だれが何に傷つくかわからないもの。めくらは めくらでいいですよ。』 今までになかった言い換えで新たに差別用語を創るということもできる。それ を使い指摘されたならこれは差別語ではないと言えば終わり。つまり指定された 差語をいっさい使わず、えげつない差別的な文章を書く事も可能だと思っており ます。よりいっそう巧妙で陰湿な差別語が生まれる可能性もなきもあわずですか。 次回、てんかん協会側からしてみます。 大舞 仁
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