短編 #1323の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「あなたって本当に莫迦ねえ」 雨音に混じって、お題、お題と繰り返しつぶやく俺に安喜は笑いながら肩に手をか けた。香水のたぐいは娘の栞が生まれてからはつけていない。食べたくなるような甘 酸っぱい香りが袖口から漂うのは栞のものだろう。牛乳に砂糖を入れたような、いや ミルクセーキにオレンジエッセンスを注いだような……安喜に鼻をつままれて、我に 返った。 「だいたいパパはパソコンばっかりよね〜。栞ちゃん、つまらないねえ」 安喜が椅子に座った俺を背後から抱きしめた。 「ネットで月刊ノベルってサイト見てたら、小説がのってたわけよ」 と、俺がいうと、ふーんという言葉とともに鼻息が首筋を撫でてきた。 「インターネットなんて面白いの?」 「そこそこかなあ。こんな土砂降りの休日なんて他にやることないしなあ。で、リン クたどったらAWCってのがあってさあ、お題を募集してたわけ。俺も何か書こうかな あ、なんて思ってしまった次第です。はい」 「それで、お題、お題ってぶつぶつ言ってたわけね」 「まあね」 安喜の腕がゆるみ、俺の元から栞へと流れていった。 「インターネットって危ないんですって」 キーボードに向き直った俺の背後から、ため息混じりともつかない声が届いた。 「?」 「Hなサイトを見に行って高額なお金を取られた人もいるんですって。今朝の新聞に でてたの」 「ふ〜ん、うちは国際回線もダイヤルQ2もつながらないようにしてるから大丈夫だ けどねえ。そんな用心は家の戸締まりと同じ事だよ」 ハードディスクの不可視フォルダにはHな画像が山ほど入ってる。一瞬、ばれたの かと思い、声がうわずってしまった。 「そうなの?」 「インターネットもケーブルの先につながってるのはパソコンじゃなくて、つまると ころ人でしかないんだ。人と人との新しいつながりがインターネットだけど、結局は この社会の延長線上でしかないと俺は思う」 安喜は俺にかまわず、栞をあやしだした。栞の短い腕と小さな手が何かを求めて宙 をさまよいだしている。 メッセンジャーが「ハロー」と声をかけてきたので、「子供が騒ぎ出したから後で ね。m(__)m」と書いて送信し、不在通知のアイコンをクリックして席をたった。 栞はリビングの中央に敷いた布団の上いる。 「ちょっと見てくれる?」 返事も待たずに、安喜はキッチンへと向かった。 栞の手をつぶさないように包み込む。力を入れれば壊れてしまいそうなくらいだ。 人差し指を栞の手のひらにつけると、握りこんできた。 「はい、はい、栞ちゃんはいいこですね〜。いま、ママがミルクをつくってくれまし ゅよ〜。待っててね〜」 まだ首の据わってない栞を抱き上げる。3キロとない重さは異様に軽くて、温かい。 それでも落とすことなどないように慎重に、と自分に言い聞かせた。 「ごめんね。ママのおっぱいでないくて」 少しばかり悪びれた様子で、安喜が哺乳瓶を差し出した。右手で受け取り、返す刀 で安喜の頬に唇を当てた。 「はい、はい。栞ちゃんにもミルクをすわせてあげてね」と、軽くいなされる。 栞はむしゃぶりつくと、音をたてて吸い始めた。 「幸せだなあ、と思う」 「えっ、何よ、唐突に」 安喜が娘の顔をのぞき込みながら、オムツに手をのばした。 「だってさあ、ずっと何が幸せなのかなんて分からなかった。そりゃあ、他人と比べ て自分の状態が幸せだとかっていうのは分かるよ。でも、幸せだって感じたことがな かった」 「今は感じるの?」 「もちろん! 安喜がいて、栞がいて、それがとっても貴重なことに思えるんだ。当 たり前の事なんて何もない。栞にとって、俺や安喜がいることは当然のことかもしれ ない。でも、それは当たり前のことじゃあないんだ」 「……ご両親の命日も近いわね」安喜がカレンダーに視線を泳がせた。 それ以上、安喜は何もいわず、ただ微笑んでいた。 俺は栞の頭を肩口に抱き上げ、げっぷが出るまで背中をさすった。 「ウンチしてるみたい。かえてくれる?」 また返事を待たずに、おしりふきとオムツを置いて安喜は立ち上がった。部屋の片 隅に置かれたパソコンを指さし、電気代がもったいないわよ、といった。 不在通知がしてあっても、メッセージは届く。メッセンジャーが「ハロー」という のと、げっぷが出るのは同時だった。 オムツを取り替えてから、栞を寝かしつけ、パソコンの前に戻った。 栞は眠りについている。 安喜はキッチンで洗い物をしてる。 静かに時が流れる。 ネットにつながってるのは人でしかない。でももしそれが死んだ両親だったら…… そんなこと妄想だって分かってる。分かってるのに考えてしまう。もし画面に両親が 映って話しかけてきたら……親父の怒鳴り声が聞こえるだろうか? それともおふく ろの目尻が下がった顔で孫を見つめる姿が……いかにインターネットが仮想現実にた とえられても、それはありえない。自分で言ったではないか、人としかつながってな いと。 大きく首を振ってから、メッセンジャーのメニューをクリックした。 「また変な音がしてるね」と、安喜がいった。傍らでエプロンをはずしていた。 「ああ、最近、唸るような音がするんだよねえ。時折ひどくなる」 しばらく前からハードディスクが異音を奏でるようになった。風切り音というか唸 るというのか、言葉では適切には表現できないが、おかしいのは確かだ。 「古いから、寿命かなあ。でも完全にいかれるまで、新しいのは買わないけど」 「何だ、別に部品だけかえればいいんだよ。丸ごと買う必要なんかない」 「あら、ホント。それはラッキー」 パソコンにはうとい安喜がそういって俺のほほをつねった。 「なにすんだよー」怒った振りをすると、安喜は「なんとなく」といって小さく舌を だした。 俺は幸福だった。 * 「どうですか?伊藤さん」 抑揚も感情も欠けた声でケアマネージャーが尋ねる。 「まさかハードディスクが2台同時にいかれるとは想像してませんでしたが……」 「ミラーリングも完璧な手段というわけではありませんからね。とはいえ、コスト的 にはそれ以上の事はできません。まあ、介護プランに組み込めないのは確かです」 「私とっては楽ですけどね。なんといっても動かないんだから、この人」 この人と呼ばれた男は小さなベッドに横になっていた。四肢はなく、瞳孔反応もな い。 身体を特殊な生体ポリフォレンで覆われ、皮膚呼吸の代用をしている。警部及び咽 頭部には各種ケーブルやホースが取り付けられ生命維持装置に接続されている。頭蓋 には赤銅色のヘルメットがはめこまれていた。ヘルメットからは幅広のケーブルがベ ッド脇の端末へとつながれている。 伊藤は電脳介護師として端末の前に座っていた。ハード的な処置を終え、古典的な キーボードを端末に接続した上で基本ソフトのカーネルをメモリー空間から解放した。 「これで、この人も外に出られるわけですね」 「ええ、さすがに外界を再現するにはメモリーだけではきついですから」 と、伊藤が応えた。 「幼い頃、両親を交通事故でなくし、本人はガス爆発でこんな姿になって生きている。 しかも妻と赤子を同時に失ってしまった。不幸ですな」 ケアマネージャーの頬がわずかにつった。 「不幸? それは事実です。でも、いまこの人は幸せですよ」 「なにゆえ。屍をさらしてるのに」 「誰しも、自分より外に幸福なんてないんですよ。幸せなんて、自分の中にしか存在 しないものです。幸せはあるのではなく、感じるものなんです」 「私には理解できませんね」 ケアマネージャーがそういって背を向けた。 「あなたは幸せですか?」 伊藤の問いに、ケアマネージャーは「さあ、どうでしょうね。で、あなたは?」 と、いって後ろ手にドアをしめ、ロビーへと続く廊下へと出ていった。 外は雨。 ガラス窓にしずくが伝い落ちる。伊藤は窓のスイング式ロックを外して押し開けた。 手のひらに感じる冷たさが心地よかった。 段々と雨足がはやくなる。 遠くを眺めても景色はかすんでいて判然としない。 もしかしたら、この世界も仮想現実かもしれない、と伊藤がつぶやいた。 「おれは幸せなんだろうか……」2度繰り返してから、窓を閉め、ロックをかけた。 伊藤は寝たままの男の側にたった。 男の顔が穏やかに微笑んでいるのを見て、小さくうなずいた。 −了− (代理アップbyジョッシュ)
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