短編 #1272の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
泉の名はイエル。カデラルとミグハットゥの地に挟まれた、山中にひっそりと抱 かれていた。かつてその泉は、生けとし生けるすべてのものの渇きを癒し病を鎮め、 慰撫と愛とをわけへだてなく与えてくれたという。なぜなら、その泉にはひとりの 女神が宿っていたから。 女神の名はイエル。ちいさき女神。力よわき女神。しかしその慈愛は訪れるすべ てのものに下され、泉のまわりにはつねに安息と悦楽とがみちあふれていた。花は 栄え木々は茂り、肉食のものも草食のものも、イエルのまわりではみちたりて互い に争うことをせず、やすらぎにみちたひとときを過ごすことができたという。 はじめは、そのやすらぎのなかに人間も含まれていた。ほかのあらゆる生あるも のと同様に、わけへだてのない女神の慈愛を享受するだけでみちたりていた。 だが貪欲をつかさどる神アッシェレは、つねに人間の魂のすきまに忍びよろうと 身がまえている。奇跡の泉のうわさはうわさを呼んで拡大していき、やがてカデラ ルとミグハットゥの両王の耳にまでとどくこととなった。 王どもは奇跡の泉と女神の慰撫とを己がものにせんと、それぞれイエルの領有を 声高に宣言し、そして戦端をひらく。 無数の農民が兵士として徴用され、権力の矛さきに背中をおされながらイエルの 地へと殺到し、大量の血で泉を汚した。 だが泉はすべての血と悲惨とを受け入れ、その深く昏い水底(みなそこ)へと抱き こんだのだという。 戦は十年つづき、両国は疲弊した。両王は戦勝を祈願してそれぞれが崇める神々 に祈りを捧げていたが、この十年を境にようやく祈りは神々のもとへととどけられ た。 カデラルは風の神を、ミグハットゥは空の神を崇めていた。風の神はイア・イア・ トオラ。空の神はガッジャ・バッガ。どちらも大地母神ジェガ・ジェガ・ニウリア の産んだ卵のジェガ・ジェガ・パンドオからバレエスの大地をつくりあげた八柱の 創世神で、もっとも力ある神々であった。 ヴィエラス・パトラの戻る破滅の日までは永遠を約束された大いなる存在である 二神は、終わらぬ明日に倦んだ視線を大儀そうに争いの地へと向け、女神の美しさ とそのふりまくわけへだてのない官能に、一目で心を奪われた。 大いなるものどもは互いに半歩でイエルの地へと降り立ち、女神に側室として宮 へ入るよううながしたが、女神はなにものかの所有物になるつもりはないといって 二神をひどく落胆させた。 むろん、神々が肯んずるはずもなく、正妻の座を約すればどうかと問うた。それ でも女神が首を縦にふらぬのを見ると、大いなる存在はついに、ほかのすべての側 室を廃し、イエルのみを妻の座に迎えようとまで申し出た。女神の返答は変わらな かった。 そこで、神々は力づくで女神を娶ることに決めた。 争いは拡大する。 神々の眷属をも加えた戦は、カデラルとミグハットゥを血まみれに染めあげ、両 国の王がやがて死し、幾世代ものひとびとが争う理由を知らぬまでに移り変わろう とも終わることなく、やがて千年の月日が流れる。 そのあいだもイエルの泉はすべての悲惨をのみこみ、澄んだ水面(みなも)もいつ しか血の赤へと変貌していった。 千年の月日は、永遠を抱く神々にふたたび倦怠を色濃くぬりこめる。 風の神と空の神は事態が膠着したことにようやく飽いて、領民や眷属どもに矛を おさめさせ、みずからバレエスの地に立って決着をつけることにした。あまねく世 界を吹きわたる風と、大いなる暗黒に通ずる空との闘争は千年つづき、そのころに はカデラルもミグハットゥも広大な廃墟から、かけらすら残らぬ荒野へととって変 わり、ひとも動植物も、生きて動くあらゆるものが消え果てて、一帯はただ無辺の 沙漠と化していた。 ようやく争いに倦んで神々があたりを見わたしたとき、そこにはそれぞれの王国 はおろか、かつてあれほど美しい泉を擁していた山さえ消え失せていた。むろん女 神の姿もどこにもなく、嘆息しながら大いなるものどもは互いに背をむけ、それぞ れの宮へと戻っていった。 女神が、そして泉がどうなったのかはさだかではない。伝説にいう。イエルの泉 はいまもひっそりとバレエスのどこかで、訪れる少数のものどもを癒し、慰撫しつ づけていると。だがアッシェレのささやきにそそのかされた狂者の執着を恐れ、決 してひとつところにとどまることなく、まぼろしの泉は静かに世界をさまよいつづ けているのだと。 ――了
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