短編 #1094の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ですから……その男、田村とは飲み屋で偶然隣り合わせただけなんです」 大原和宏は、やっと残業を終えて帰宅途中にあった。 ふらりと初めての飲み屋に飛び込んだのはいいが、案外と混んでいて、カウ ンターが二、三空いているだけだった。 大原はそのうちの一つに座り、ビールと枝豆を注文した。ビールがまずやっ てきて、一杯目をグラスに注ぎ終わる頃、いきなり隣の男に声をかけられた。 「お一人ですか」 「ええ、まあ」 それまで全く意識の外にあったその男を何気なく値踏みしながら、大原は慎 重に答えた。 「こうしてお隣になったのも何かの縁ではないですか。ご一緒に飲みませんか」 「そうですね」 その男は田村と名乗った。証券会社の営業をやっているという。身なりも気 ちんとしていて、仕事柄かどうか笑顔を絶やさずに話す。 大原は中堅家電メーカーの、同じく営業をしている。午前の取引でミスを犯 し、取引を一つ不意にしてしまった。少々やけ気味で飲もうと思ったのだが、 一人で飲むと悪い酒になりそうだったので、その男からの誘いは渡りに船でも あった。 しばらく他愛もない話をした後で、田村は語調を変えずにさらりと言った。 「あなたは運命というものを信じますか」 大原はこの男の話に乗ったのを少し後悔した。何かの宗教に入っている信者 が、こういう場で何気なく知り合いになる。悩み事などをそれとなく聞きだし た後で、それならと本題に持っていく。そういう手を使うという話を聞いたこ とがあった。 大原が怪訝な顔つきで黙り込んだのを見て、田村は笑い出した。 「大原さん。あなた、私が何かの宗教の勧誘をしようとしている、と思ったん ですね。いや、突然運命を信じるかなどと言われれば、そう思われても仕方が ないですが、違います、違います。私は誓って無宗教です」 大原は何となく自分の考えを見透かされたようで驚いたが、照れ笑いでごま かした。 「いやあ、すみません。しかし運命ですか。私はそんなこと考えたこともない ですね」 「そうでしょう。実は私もそうだったんですよ。ちょっと私の話を聞いてみて くれませんか」 どうせ家に帰っても一人だし、翌日は休みだ。酒の肴に馬鹿話につきあって もいいかと思い、大原は頷いて、グラスの残りを空けた。 田村は大原のグラスにビールをつぎながら、話し始めた。 「ある日、会社帰りに少し飲んで家に帰る途中、公園の中を通ったんです。ま あ、これはいつも通るコースなんですがね。十一月の寒い日で、時間も十時を まわってましたから、人通りもほとんどなかったんですが、水飲み場に白い服 を着た人らしきものがうずくまっていたんですよ。いつもなら、酔っぱらいか なんかだろうと通り過ぎるところです。でもよく見ると、白いそのセーターと、 背中に垂れた長い黒髪が妙に気になりましてね。色気を出したのかもしれませ んが……。退屈じゃないですか」 「いや、大丈夫。続けてください」 「どうぞ飲っていてください。耳だけ貸していただければ、勝手にしゃべって いますので。えーっと、とにかく声をかけてみたんです。すると、振り返った 額にハンカチを当てていまして、そのハンカチにうっすらと血がにじんでいる じゃありませんか。どうしたんです、大丈夫ですか、と言ったら、大丈夫だと いう。通り魔に遭い、いきなり石のようなもので額を殴られて、軽い脳震とう を起こしたらしい。気がつくと、バッグを盗まれていたんだそうです。それで は警察に連絡をしましょうと言うと、その必要はないと言う。傷は大したこと はないんだが、少しふらつくので家まで送ってほしいと頼まれまして。もちろ ん私は病院へ行った方がいいと言いましたが……。正直少し迷いましたよ。よ く見ればかなりの美人で、セーターの胸もこう、ふっくらと。その美人が家ま で送ってほしいと言うんですから。一も二もなく送りたいところですが、新手 の美人局かなんかで、いきなりコレもんのお兄さんが出てきた日にはねえ」 田村はそう言いながら人差し指を頬に当て、上から下へと滑らせた。 一息入れようとグラスを干した田村にビールをついでやりながら、好奇心を 露わにした大原が先を急がせた。 「結局行きましたよ。傷の具合を見たら、本物らしかったのでね。まさか私み たいな安サラリーマンを引っかけるのに、こんな美人が本当に傷までつくって 待ちかまえるのも変ですものね。実際はそこまで考えていたわけではなくて、 やはりスケベ心が勝ったんでしょうね。いざとなれば逃げればいいと。酒もそ れほど入っていませんでしたし。四、五分歩くといかにも高級そうなマンショ ンに着いて、彼女がオートロックの番号を押そうとしたところで私、怖じ気づ きまして。それでは帰りますと言ったんですが、どうしてもお礼をしたいから 少し寄っていってくれと言うんです。また、例のコレもんが頭をよぎったんで すが、つかまれた腕にセーターの膨らみが当たった途端、理性なんか吹き飛ん で、もうどうにでもなれと……。部屋に入って驚きました。まあ、調度が高級 そうなのはマンションから考えてもわかるんですが、こう、何というか、その 調度品が、ドレッサーから置き時計に至るまで、バランスがいいというか、調 和がとれているというか、そんな印象だったんですよ。それに、生活臭は全く 感じられない。これは、銀座あたりの超高級ホステスかなんかだと思いました よ。いや、私は行ったことないですけどね。まあ、それはそれとして、男は出 てこないようだし、落ち着いてみると、やっぱりこれは警察に届けた方がいい と思い直して、もう一度言ったところ、彼女はこう言ったんですよ。 『いいんです。これも運命ですから。あの公園で強盗に襲われることはわかっ ていたんです。あなたがこうして助けてくださることも』って。 訳の分からないことを言うもんだから、調子に乗って、じゃあこれも運命だっ て言うのかと、彼女をソファに押し倒したんです。冗談のつもりでね。すると 彼女が真顔でコクリと頷くもんだから、こっちも引っ込みがつかなくなって、 とうとう最後まで……」 大原はグラスを持ったままじっと聞き入っていたが、我に返ると一口ビール をすすって、やっと口を開いた。 「何だ。ずいぶんうらやましい話じゃないですか。でもそれ、本当の話なんで すか」 大原には少し話がうますぎるように思えた。 田村は大原の反応がわかっていたかのようにゆっくりと頷き、言った。 「それが本当なんですよ。実を言うと、今日ここであなたと会うことも、彼女 に聞いたんですよ。私がここで運命の人と出会う。その人の名前は大原と言う んだってね」 「だって、私がここに寄ったのはただの思いつきですから、あなたと会ったの だって、ただの偶然じゃあないですか」 「彼女に言わせると、この世の中に偶然なんてものはないそうなんです。全て は宇宙の法則に基づいて動いているのだと。しかも、その調和を保つのが彼女 の役割だと言っていました」 ここまで聞くと、あまりに突飛な話なので、やはりこの男に担がれたんだと 思い大原はがっかりしたが、始めからたいして期待はしていなかったんだから こんなもんだろうと思い直した。それなりにいい時間つぶしにもなったし、少 し気も晴れた。 だが、田村の話はまだ終わってはいなかった。 「実は、あなたをマンションに連れてくるように彼女に頼まれてるんですよ。 これからどうですか」 「えっ。じゃあ、今の話は本当なんですか」 「だからさっきも本当だと言ったじゃないですか」 もちろん大原は、全てを信じたわけではなかった。実はこの男が美人局の片 割れなのではないかと言う疑念もなかったわけではないが、その女の顔を見て みたいという好奇心に、酒の勢いも加わって行ってみることにした。 そのマンションは居酒屋からそう遠くはなかった。田村の話を裏付けるかの ように途中公園を通り、豪奢なマンションのオートロックを、田村は難なく通 り抜けた。 エレベーターで十二階に上がり、あるドアの前に着くと、当たり前のように 鍵を開けて中に入った。 「まあその辺に掛けてください」 まるでその部屋の主のように田村は振る舞った。 「ビールでいいですか」 「ええ」 気の抜けた返事をしながら、大原は周りの調度品を見回した。どれも大原の 見たこともないような品ばかりだった。置き時計一つとってみても、かなり古 そうなもので、その精巧な装飾は、素人目に見てもかなり高価なものであろう ことはわかった。大原には何に使うのかわからないものまであった。 不思議なのは、その豪華さよりも、かなり広い部屋の壁面を埋め尽くしたそ れらの品々が、皆ありとあらゆる方向を向いていることだった。一つとして同 じ向きのものがないように見える。 一見すると乱雑に置いてあるだけのようだが、全体としては妙にバランスが とれている。 「気がつきましたか」 「……」 「大原さん。どうぞ」 目の前にグラスを突き出されて、我に返った大原は、グラスを受け取った。 そのグラスにビールを注ぎながら、田村はもう一度聞いた。 「気がつきましたか」 「え、ええ」 「私もいろいろと調べてみたんですが、どうもこの品々の配置が運命と深く関 わってるようなのです。どれかに触ってみてください」 大原は言われるままに、一番近くにあった花瓶のようなものに触れてみた。 だがそれはびくともしなかった。椅子やテーブルの上の灰皿や生けてある花、 グラスなど、壁面以外にあるものは動かせるのに、壁に並んだものは何一つ動 かせなかった。 「動かせないでしょう。でもそれぞれの意志で、少しずつ動いているようなん ですよ。少しずつね」 田村は一気にグラスをあおって、話し続けた。しかし、大原を見てはいなかっ た。 「私はとうとうそれらを動かす方法を見つけたんです。何だと思いますか……。 それはね……彼女を消すことなんですよ」 田村はだんだん自分の言葉に酔い始め、あらぬ方向を見つめながら口から泡 を飛ばし始めた。目は血走り、形相は一変していた。 「彼女を殺し、運命を変えたところで、どうなるか分かりません。でも、運命 が変わらないなら、こんな宇宙はどうなっても構わないんですよ。そう、構わ ないんだよ。こんな世界は消えてしまった方がいいんだ。ふふふ。あんたもそ う思うだろ。こんな腐れ切った世界はさ。見せてやるからちょっと待ってな。 この世の最後をさ」 「……」 大原は何も言えず、田村の変貌ぶりを見つめていた。酔いは急速に引いていっ た。 田村の独演は続いていた。 「あんたにはただ見ていてもらうよ。傍観者としてね。この世の最後を誰にも 知らせず自分だけで味わうのはもったいないのでね。今夜決行するのに景気を つけていたら、あんたがたまたま隣合わせたんだよ。幸運だったな。幸運だよ。 他の奴らは何も知らないで消えていくんだからさあ。もうすぐ彼女が来る。い つものように一秒と狂わずにな。黙ってみてろよ」 そこへ彼女が帰ってきた。彼女は想像以上に美しかった。白いワンピースよ りもさらに白い顔が、静かに微笑んでいた。 「よくいらっしゃいました」 彼女はそう言うと、田村と大原に軽く挨拶を交わし、着替えてくると言った。 「ああ。私たちは勝手に飲っているよ」 そう言う田村の表情は、いつの間にか元に戻っていた。 彼女が田村の横を通り過ぎ、着替えるために奥の部屋へ向かった時、田村は スーツの内側から大振りのナイフを取り出し、彼女の背中で大きく振りかぶっ た。 気がつくと、大原は血のべっとりと付いたガラス製の灰皿を握っていた。そ の灰皿を右手からもぎはなそうとした時、足元に田村が倒れているのが見えた。 やっとの事で灰皿を放すと、ゴトッと大きな音を立てながら床に落ちた。今の 大原には、その音だけが現実のように思えた。 彼女と目があったとき、彼女の唇が「ありがとう」と動いたように大原には 思えた。 いや、気のせいだったのかもしれない。全てが夢の中の出来事のように、現 実感がなかった。大原の耳に遠くで鳴っているサイレンの音が届いていた。 「ですから……その男、田村とは飲み屋で偶然隣り合わせただけなんですよ。 刑事さん」 そう言いながら大原は思った。 私は宇宙を救ったのか。それともただの人殺しなのか。 目の前には彼女の笑顔が浮かんでいた。
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