短編 #1091の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
『夢』とは何だろう? 私は幾度となく自問している。自分にとっては、ビジネスとしての意味合いが大き い。だが、普通の人間にとって、そうではないはずだ。 毎度見る夢は、眠りからの贈り物だ。それは非論理的な物語ではあるが、人生の パートナーとして存在している。 起きながら見る夢は、単なる期待がかもしだす淡い幻想にすぎない。宝くじが当た ったら、家を建てて----と、役に立たぬ、だが心楽しませる夢をサラリーマンは見る。 人間から夢を奪えば、どうなるのか。問うまでも無い。パンドラの箱を開けて以来、 人間が生きていく最後の命綱は『希望』という名の夢と決まっているのだから。 私は患者の住所をメモで確認してから、紙片を白衣の胸ポケットにしまった。 湿気を含んだ風を頬に受ける。見上げても天界は一面の銀幕が覆い、青のかけらも 見当たらない。イロ鳥の甲高い鳴き声をきいて、通り見まわした。コンクリートブロ ックの塀を回した二階建ての家、小さいが手入れの行き届いた庭、苔むした庭石と咲 き誇るシンクロナガヤの若木が自慢というところだろうか。黄色い小花が散るアプ ローチを進みながら、わずかに腰を折り、ベランダを伺うが窓から人影は見うけられ ない。ドアの前で足を止め、皮のトランクケースを右手から左手に持ち替えチャイム を押した。同時にドアを開け、後ろ手で閉めた。 「はい」 か細い女性の声がうつろに響き、廊下の突き当たりの引き戸が開いた。やつれた年 配の女性と青畳が妙に似合っている。 「いいのですね?」 私の問いに女性は無言で応えた。靴を脱ぎ、履き揃えてのち、うながされるまま部 屋へと導かれた。女性は戸を閉めると、私の対面に立ち、右手で座布団を示した。私 は座った。次いで女性が座った。 私の目の前には布団がある。その中で老人が眠っている。人生の労苦が刻んだのだ ろうか、深い皺が表情を奪い、翁とも呼べないほど年齢を感じさせている。 「長いのですか?」 「寝たっきりになって八年ほどでしょうか」 抑揚を消した声で女性が応える。 「いいのですね」再度、問う。 女性は沈黙を守った。 「わかりました」 私は正座のまま、膝元でトランクを開いた。中には文字通りブラックボックスが入 っている。ボックスからケーブルを引き出し、端のリストバンドを手首に巻きつけた。 もう一本ケーブルを引き出し、老人の手首にリストバンドを巻きつけた。女性は興味 深げに私の挙動を見守っている。 黒い箱の上部で赤いランプが明滅した。私は半眼に伏せ、ゆるやかに呼吸を始めた。 吐く息に合わせて数を数えていく。ひとつ、ふたつ・・・・、十まで数えると私の意識は 停止する。思惟の完全停止だ。次いで老人を観察する主体としての私と、観察される 老人という客体が交換される。主客転倒ともいうべき現象を禅では「私は花、花は 私」という文字で表している。私は禿げ上がった自分の頭部を見ている。たるんだ頬、 血の気の抜けた唇を見ている。枯れ枝のように細い指先、そして見栄だけの白衣。純 粋に自分自身を観察している。深い感慨は無い。ただ虚無だけが広がっていく。次い で私の意識は老人の心の中へと潜っていく。暗黒と漆黒が混じり、日の光もない。伸 ばした自分の指先すら見えないような空間をどこまでも落ちていく。 やがてうっすらと白光が射す空間に出た。不安定にゆらめく大地に足を付け、人の 気配を感じて振り返った。ぼんやりと歪んだ無数の顔が浮かんでいる。亡霊のように 精気がなく、口を開くものもいない。顔だけの行列が前から後ろへと延々と続いてい る。 老人が今まで出会った人との記憶が映像化されているのだろう。経験からそう判断 した。 私は列の後方へ、さらに後方へと移動した。人の顔は進むに従い曖昧さを増してい く。順に白い輪郭だけとなり、やがてそれも消えた。 小一時間ほどさまよった、そう感覚が告げる頃、陽光の地へと辿りつくことができ た。突然、ドアが開いたように私の眼前に飛びこんできたのだ。 「洋平、待ってよ。ねえ、ちょっと待ってよ」 明るい声が響き渡った。私の横を髪の長い女性が通りすぎていく。ミニのスカート から日に焼けた生足が飛び出し、キャミソールのような服を風に遊ばせながらかけて いく。その先には筋骨たくましい青年がいる。彼は立ち止まると、溢れんばかりの愛 情を満面の笑顔と両手を広げることで表現した。女性の身体が彼の胸の中に納まる。 私は映画を見るように、二人の観察を続けた。二人は出会い、恋をした。胸をとき めかせ、せつなさに苦しみ、時を経て愛を誓った。 場面は暗転する。 彼女は泣き崩れていた。親と世間の無理解ゆえ、二人は結ばれなかったのだ。だが、 その泣き顔は瞬時に消え、また戸惑いを浮かべた表情から、笑顔へと変化をとげた。 出会いから別れまで、それが延々と繰り返されている。 私が知りたいことは全て分かった。役目は終わったのだ。 半眼のまま、呼吸を元に戻していく。夢という映像は消え、私は現実世界に帰還し た。正座を崩し、手首からリストバンドを外した。老人からリストバンドを外すとき、 脈をとる。一拍置いてから胸前で合掌すると、年配の女性は声を押し殺して泣いた。 口の端がかすかに吊り上り笑っているようにも見えた。私はトランクを閉じ、「で は」と一言だけ述べて老人を後にした。 古ぼけた洋館に天から涙がこぼれおちてくる。窓辺に流れる雨水を眺めながら、深 く息を吐き出した。トランクのブラックボックスにケーブルを接続して、データは全 てコンピューターのメモリーバンクに放り込んだ。今、サーバーのメモリとCPUの中 で老人の恋愛体験は再演されている。プログラムが破壊されるまで、未来永劫にわた り上演されるだろう。 私は老人の恋愛という夢を吸い出したのだ。彼が大切にしていた、寝たっきりにな ってさえ生き続けることのできる、たった一つの夢を吸い出したのだ。 老人は死んだ。看護に疲れた彼の家族も、これで楽になれるだろう。頬がこけた年 配の女性を、私は思い返していた。 老人は死んだ。だが本当に死んだのだろうか? 彼の精神ともいえる夢、それを私 はダウンロードしてコンピューターに移植したというのに。 私には分からない。
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