短編 #1086の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「 夢の中 」 ジョッシュ ひとつ大きな悪いことが起きると、連鎖的につまらないドジが続くものらしい。 結婚を申し込もうと意気込んで出かけた昼下がりの喫茶店で、あっさりと利絵 子に振られた私は、意気消沈して戻った事務所でも、客先の名前を言い違えると いう単純なへまを3回繰り返し、とうとう半白髪の先任弁護士から「業務の遂行 に著しい遅滞をもたらす」という理由で早退を言い渡された。 ちまちまと積み上げてきた法律専門家への道と、深く愛していた利絵子を同時 に失い、生きる意味を無くしたような気がして、私は車を運転しながら涙が流れ て仕方がなかった。 中途半端な昼下がりの帰り道は、車も少なくて空いていた。多摩川を渡り川崎 に入っても、私の気持ちは暗く沈んだままだった。 「ああ、いっそこのまま死んでしまいたい」 それは、ふっと出た悪魔のささやきだった。 新しくできた横浜青葉のインターチェンジが近づいてきた。真新しい陸橋の橋 脚がぴかぴか光っている。 「あそこにこのままぶつかれば、それでジ・エンドだなあ」 アクセルを踏み込んだ。車はぐんとスピードを上げた。120キロを超え、1 40キロくらいか。 中央分離帯のポールが猛スピードで後ろに流れてゆく。 「そうだ、シートベルトも外した方がいいな」 シートベルトのお陰で助かった、なんてシャレにもならない。私は急いでシー トベルトのバックルを押した。かちゃっと軽い音がして、腹の辺りにあった圧迫 感が消えた。 なんだか気持ちがせいせいする。猛スピードで走るというのはとても爽快だ。 嫌なことを忘れさせてくれそうだ。 バックミラーに何かがちらりと見えた。 ぐんぐん迫ってくる。私よりスピードを出しているようだ。スピードメーター は145キロあたりで振れている。後ろから来る奴はそうすると150キロ以上 の速度ということだ。 いくら何でもそりゃあ危ない。そんなにスピードを出すってことは、よほど嫌 なことがあったのに違いない。 後ろは赤い車らしかった。あっと言う間に私の車を抜き去り、そのまま追い越 し車線を突っ走っていた。 「あ、利絵子・・・」 赤い車の運転席に、唇をかみしめた利絵子の横顔が見えた。ほんの一瞬だった が、間違いなく利絵子だった。 丸の内でOLやってるはずの利絵子が、なぜこの時間に赤い車で、東名高速を ぶっ飛ばしているのか? 私は横浜青葉の橋脚にぶつかるのはとりあえず中止して、利絵子の赤い車を追 いかけることにした。 思い切り、アクセルを踏み込む。 エンジンがきしみ音をあげて、車は加速した。メーターは155キロ目盛りの 上でダンスを始める。車はがたぴし振動しながらも、赤い車に少しずつ追いつい ていった。 赤い車の後ろ姿は、喫茶店から小走りで出ていった利絵子の小柄な後ろ姿に見 えた。まるで私から逃げるような・・・。 でもどうして? 見習い弁護士は収入が少ないんだ。だから、結婚してくれ、と言っただけなの に。結婚すれば、食事、洗濯、掃除、アイロンかけ、小遣いの心配からも解放さ れるし、溜まっているアパート代も払えるようになれるかもしれないし。 追い越し車線を突っ走りながら、赤い車が尻を振る。私はさらにアクセルを踏 み込んだ。 バックミラーに何かが映る。また車らしい。今度は銀色の大型車だ。ぐんぐん と私の後ろに迫ってくる。こっちは155キロで走っているんだから、銀色の車 はそれ以上、まるでレーシングカー並みのスピードに違いない。 「あっ」私は息を飲んだ。 風のように追い越していった銀色の車の運転席には、半白髪の先任弁護士が乗 っていたのだ。 「いったい、何度言ったら分かるんだ。弁護士には守秘義務があるんだ。クライ アントの打ち明け話を、おもしろおかしく飲み屋で喋りまくるなんて、言語道断 だ。ばかもの!」 顔を真っ赤にして怒った先任弁護士の言葉がよみがえった。 私だってそのくらいは知っている。だから、固有名詞はいっさい出さずに喋っ たのだ。ちょっと運が悪かった。飲み屋の中にそのクライアントがたまたま居合 わせて、向こうが私の顔を覚えていた。それで、事務所の方にクレームが来たの だろう。 銀色の車は、みるみるうちに遠ざかっていき、いつの間にか利絵子の赤い車も 視界から消えていた。先任弁護士も私というへまばっかりの見習い弁護士から逃 げ出したかったのだろうか。 今さらアクセルを踏み込んでも駄目だった。 すでにアクセルペダルは床に着くくらいに踏み込まれている。車はがたぴしと 振動しながら走り続けていた。 気がつくと、私の車のスピードが落ちてきていた。エンジンがオーバーヒート 気味になっているらしい。ボンネットから、湯気が立ち上り始め、足元も焦げ臭 い。 それでも私はアクセルペダルを踏み続けた。 クランクシャフトから異音がする。マフラーから黒い煙が吐き出され、バック ミラーの視界を遮った。 前方に白いオートバイが見えた。あのスピードなら追いつける。私は力一杯ア クセルを踏み続けた。右足が痺れている。でも、大丈夫。あのオートバイになら 追いつける。 車はゆっくりと確実にそのオートバイに近づいていった。 横に並ぶと、白いヘルメットに水色の制服姿が笑っていた。 私も窓を下ろすと思いきり笑い返した。 「あのなあ」白バイに乗った警察官は私の車に併走しながら言った。「警察の車 に追い越しをかけるというのは、どういう了見なんだ」 「置いてきぼりばっかりだったもんで、追いつきたかったんですよ」私は笑いな がら答えた。なにやら、無性に嬉しくて、そしてそんな自分がおかしかった。 「まあ、停まりなさい。スピード違反、それからシートベルト不着用だね」 「ああ、そうですか」私は痺れた右足をアクセルペダルから外そうとした。しか し、床まで踏み込まれたアクセルペダルは、まるで右足にくっついてしまったか のように下がったまま。いうことをきかなかった。 私はエンジンを切ることにした。それから左足でブレーキを踏めばいいだろう。 「ところで、質問していいですか」キーを回しながら私は声をかけた。「私の前 に赤い車と銀色の車が、160キロくらいの猛スピードで走っていたはずなんで すけど、見かけませんでした?」 「赤い車? 銀色の車? はてなあ。横浜青葉から横浜町田インターの間を行っ たり来たりしているんだが、スピード違反は君の車だけだね。この時間はほとん どトラックしか走っていないしね」 「は? そんなバカな。横浜青葉と横浜町田の間に出口ってありましたっけ」 「いや、ないね」 「ということは、私の車を猛スピードで追い越していったあの車二台は、いった いどこへ行ったのでしょう」 「さあねぇ。昼間っから夢でも見たんじゃないの」 夢? 利絵子と先任弁護士の車、あれは白昼夢だったということ? 私は左足でブレーキを加減しながら、先導する白バイの後をついて路側帯に近 づいた。エンジンが停まった車のボンネットからは白い煙が猛烈に立ち上ってい た。先を走る白バイが煙の中で揺れ、やがてその姿が煙に紛れて見えなくなった。 急に私は不安になった。 まさか、この警察官も白昼夢? 私は力一杯、ブレーキを踏み込んだ。タイヤが甲高い音をあげ、車体がスリッ プした。ボンネットからの煙で視界は閉ざされている。急いでハンドルを切り返 してみるけれど、車のスリップは停まらない。まるで氷上を滑っているような感 じだった。 これも白昼夢に違いない。 私はそう思いこもうとした。ハンドルにしがみついたまま、ブレーキを力一杯 踏みつけながら、私は必死に頭を巡らせた。 いったいどこから夢が始まったのだろう。昼間の喫茶店での利絵子との会話。 あそこが私の空想(ファンタジー)の始まりか。それとも弁護士事務所での先任 弁護士の叱責。あそこから夢想がはじまったのか。 車はスライドを続けた。それは短い時間のようだったし、長くも感じられた。 でも夢ならきっといつかは醒める。必ず醒める。どんな悪い夢でも、どんな楽 しい夢でも朝になったらきっと醒める。そしたらまた、やり直せばいいさ。 ボンネットからの白い煙に一瞬の切れ間ができた。 その向こうには、白バイを降りて仁王立ちした警察官がいた。顔が恐怖に歪ん でいる。その警察官めがけて、私の車は確実にスライドしていった。 (了)
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