短編 #1077の修正
★タイトルと名前
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伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「番外編 京の都は変態だらけ」 八犬伝は、いよいよ大団円が近付いた終盤、突如として刊行形態が変になった。第 九輯下帙上、中と順調に流れてきたのに、続いて刊行されたのは、第九輯下帙之下甲 号、同乙号上套、同中套……。ズルズル引き延ばされる格好になった。どうやら、何 かの事情で、エピソードを挿入したのだろう。その第九輯下帙之下甲号(天保十年一 月刊行)、同乙号上套(同十一年一月刊行)に収められている挿話は、お伽噺のよう で、ちょっと他の部分とは雰囲気が違う。絵に描いた虎が実体化し京の都を暴れ回る。 我等が色白ムチムチ美少年、犬江親兵衛仁が退治するのだけれども、何やら謎めいて、 釈然としない。長くなるが、要約して紹介しよう。 丹波国桑田郡薬師院村に竹林巽(タケバヤシタツミ)という名の浪人が住んでいた。 元々九州は豊後、大友家の家臣だった。友人である同僚の妻と不倫し駆け落ち、流れ てきたのだ。多少の絵心はあったものの、手に職はなく、貧窮していった。妻が隣家 に住む老絵馬師の家政婦として働いた。よく仕えたので気に入られ、夫の巽も店員と して雇われた。外面の良い夫婦だったので、身寄りのない老人の養子に迎えられた。 家業を継ぐことになった。程なく老絵馬師死んだ。夫婦は本性を現した。働きもせず に過ごし、絵馬屋の営業免許を取り消された。老絵馬師の菩提を弔わず、墓を朽ちる に任せた。巽は急に病を得て、失明した。巽は、失明を仏罰だと思い当たり、老絵馬 師の墓を甲斐甲斐しく掃除し、精進生活に入った。禁酒し、妻と褥を別にした。快復 した。そんな或る日、大寺の稚児が訪ねてきた。稚児とは、上級僧侶の身の回りを世 話する為に寺に住み込み奉公した、少年である。僧侶は女色を禁じられていたが、男 色は何となく許されていたようで、「稚児(チゴ:八犬伝の表記は「行童」)」には、 男色の受け手との密かな含意がないでもない。 訪ねてきた美しい稚児は巽に、古代の画伯・巨勢金岡(コセノカナオカ)作という虎 の画を見せた。手本にして、虎の絵馬を描くよう注文した。ところで画虎には、瞳を 描き入れていなかった。金岡が嘗て描いた仁和寺の画馬は、余りに真に迫っていたた め魂が宿り、折々絵から抜けだして徘徊したとの伝説が残っていたりする。そんな金 岡だったから、虎を描いたは良いが、実体化すると困るので、ワザと瞳を描き入れな かったというのだ。 巽は、人間離れした雰囲気の稚児を、寺に安置されている寅童子(所謂十二神将の 一)の化身だと気付いた。素直に注文を受けた。稚児は、決まって巽の妻が不在の折 に訪ねてきて、絵の手ほどきをした。巽は腕を上げた。そうこうするうち、妻が稚児 の存在に気付いた。妻は巽が稚児を引き込んでイケナイ事をしていると決めつけた。 そんな妄想に取り憑かれること自体、変態性欲の発露だと思うのだが。巽の妻は、嫉 妬に狂った。巽を厳しく責め、小刀を執って襲いかかった。知人が飛び込み、仲裁し た。巽は、妻を宥めるためか、再び枕を並べるようにした。酒を飲み、生臭物を口に し、酒を飲んだ。爛れたセックスに溺れた。精進を破り、再び堕落した生活を送るよ うになった。一方、妻は夫婦家喧嘩を仲裁してくれた知人に、巽と稚児を二度と会わ せない手だてを相談した。知人は稚児を銃殺するよう提案、妻の躊躇いを無視して、 準備を進めた。或る日、稚児が訪ねてきて、穢れた巽に、注文の取り消しを通告した。 返すこと言葉なく項垂れる巽。稚児が出ていく。木陰に潜んでいた知人が銃撃する。 頽れる稚児、と思いきや、血塗れになって倒れたのは、巽の妻であった。厳密な態度 を採るならば此の稚児と妻の入れ替わりの部分、馬琴の表記は言葉足らずだが、まぁ 良い、話を進めよう。目の前で妻を撃ち殺された巽が飛び出して、知人を撲殺した。 激情に駆られて知人を殺した巽だが、我に返って逐電。画家と称して京に上ったが、 稚児に教わって上達した筈の技は何故だか失われており、落書きすら描けぬようにな っていた。稚児から預かった虎の画幅を売ろうと考えた。時に先代将軍・義政は東山 ・慈照寺銀閣に隠居していたが、民から重税を絞り上げ、その金で珍器奇物を買い集 めていた。巽は、骨董商に仲介を頼んだ。首尾良く、管領・細川政元に取り次いでも らえることになった。 因みに此の頃、主命によって犬江親兵衛仁(イヌエシンベエマサシ)が京を訪れて いたが、政元に気に入られ抑留されていた。政元は、こう考えたのだ。「他は武勇と 表裏にて女にして見まほしき美少年なるものをモシ●(ニンベンに尚)我臥房の友と 做さば恩愛是より濃にして年闌ずとも我股肱の家臣にならまく願ふべし。我は愛宕の 行者にあなれば敢女色に親しまず男色も亦今までは然ばかり懸念せざりしかども只是 他が与ならば多年の行法空になるとも惜むに足らず悔もせじ。艶簡をや遣らん媒酌を もて思ふ心を知せんか。否、それよりもうちつけに口説てこそ……」。<男の身勝手> 全開である。欲望の暗い炎を燃やしつつ政元は仁を軟禁した。 政元は一応の知性は有していたが、トンチンカンな所がある。虎の画幅を見た政元 は、瞳を描き入れるよう巽に命じた。金岡の伝説、瞳を入れたら虎が実体化するとの 言い伝えは、未完成の絵を高く売りつけようとする詐術に過ぎないと、キメ付けたの だ。命じられた巽は、恐る恐る画虎に瞳を描き込む。拙くなっていた筈なのに、何故 だか此の時ばかりは、巧く描けた。点晴された画虎は、まるで生きているようだった。 一陣の風が吹き込んできた。画幅が揺れた。と、見る間に、画虎が実体化、巽を食い 殺し、生首をくわえ、飛び出していった。警備の兵は蹴散らされ逃げ惑い、何等、有 効に機能しなかった。翌日、巽の首が洛外で発見された。刑の作法に則り、晒されて いた。 画虎実体化の責任を追及された政元は、「妙な絵を持ってきたヤツが悪い」と、骨 董商を死罪に行った。理不尽である。馬琴は此処で「苛政は虎より酷しとぞいふなる、 古人の格言思べし」と論評を加えている。でもまぁ、此の論評は、馬琴も自らフォロ ーしているけれども、適切とは言い難い。実は、此の「骨董商」悪徳商人だったのだ から、理不尽に殺されたからといって、読者は余り同情しないのだ。しかし、此処で 「苛政は虎より酷しとぞいふなる、古人の格言思べし」と云いたかったからこそ、馬 琴は云ったのだろう。まぁ、云いたかったんだから、「適切」でなくとも、仕方がな い。だいたい、実体化した画虎、<悪役>との印象が薄い。巨大で槍も刀も通じない 虎が暴れ回るのだから、さぞ京の市民は酷い目に遭っただろうと思いたくなるのだけ れども、そんなことはないのである。死んだのは巽と、実体化したときに取り押さえ ようとした雑兵、または政元の命令で捕縛に向かった狩人、風聞では市民も犠牲にな ったとされるが確かではない。傷付いたのは、上記の如く虎を捕縛しようとした者達 と、若干の悪役だけなのだ。また、この事件に乗じて里見家に敵対し仁を陥れようと した悪役二人が、美しいお姫様を浚って京から脱出しようとするが、その悪役を傷つ け、お姫様を救うのは、実は此の虎だったりする。抑も此の虎は寅童子という仏様が 化けた稚児が、巽に預けた絵から実体化したモノだ。ソレだけで、<悪役>ではない 気がする。 さて、骨董商を死刑にした政元だったが、もとより、そんなことで責任逃れは出来 ない。室町幕府での発言力も低下し、如何しても虎を退治しなければならない仕儀に 追い込まれた。しかし、今まで政元の権勢に媚びて、好き放題にのさばっていた者達 は、殆どが有効に機能しなかった。怪我をしていたり、虎退治から逃げ回ったり。唯 一頼りになる親しい男(秋篠将曹)は、朝廷の警護役であるから、虎退治に出動出来 なかった。失望し孤立感に打ちひしがれる政元に、救いの手を差し伸べたのは、仁で あった。というか、監禁され貞操の危機に瀕していた仁は、虎退治と引き替えに、安 房への帰国を願ったのだ。 政元は悩んだが結局、仁の申し出を受け入れた。詳細は略するが、仁は首尾良く虎 を退治した。二本の矢で虎の目を射抜き、赤松の大木に縫い付けたのだ。虎は消滅、 代わって画幅の中に像が再び現れた。画虎の瞳は、描かれぬままの状態であった。仁 は抑留を離れ、目出度く安房への帰途に就いた。ちょっとした邪魔はあるが、まぁ順 調に旅を続けた。が、途中で馬が死んでしまった。虎退治でも仁と行動を共にし、功 績のあった名馬である。仁は丁重に馬を葬った。大きな布でくるんで埋めた。仁は此 の時、蘊蓄を垂れる。「我聞唐山古昔の制度に狗を埋るに蔽蓋を以し、馬を埋るに蔽 帷を以すといへり。この事礼記の檀弓に載てあり」(百六十六回)。因みに、礼記檀 弓下第四に、仁の引用箇所があるが、その直前に、有名な句「苛政猛於虎也」がある。 馬琴が、悪徳骨董商の刑死に当たって唐突に持ち出した「苛政は虎より酷しとぞいふ なる、古人の格言思べし」の典拠である。 仁が安房へと向かっているとき、京では、ちょっとした事件が起こっていた。虎の 画幅は当初の予定通り、足利義政の所蔵となっていた。珍しモン好きの義政は、この 画幅を座右に掛けて喜んでいた。フラリと禅宗の高僧・一休宗純が現れた。一休は、 近世に於いても有名な坊様で、何種類か伝記も刊行されたようだ。その中での一休さ んは、頓知が利くといぅか人を舐めきっているといぅか、奔放といぅか天衣無縫とい ぅか、まぁとにかく変なヤツだ。「衆道狂い(男色が好きで好きで堪らない)」と暴 露され、少年にラブレターを送ったり得意の頓知でウマく思いを遂げたりしている。 また、能の大成者・世阿弥のパトロン&愛人だった室町幕府三代将軍・足利義満に、 絵の虎を捕らえよと命じられ、「だったら此の場で虎を絵から追い出してみろ」と切 り返したって逸話も残っている。天皇の落胤だとも伝えられている。その一休さんが 突如として義政を訪ね、云いたい放題に諫言する。「虎が暴れ回ったのは結局、お前 のセイだ!」と。抑も虎の画幅が持ち込まれたのは、義政が珍器奇物を好み金に糸目 を付けずに買い漁っていたからだ。そうでなきゃ、悪徳商人が跳梁し、怪しげな物を 売りにも来なかった。そんな放蕩ばかりして、政を顧みないから、世が乱れているの だ。亡国である。亡国は、妖怪の跳梁によって、予言される。今回の画虎は、まさし く天の警告であったと云うのだ。 ならば一休さんは、画虎が実体化して暴れたことを肯定しているのかと云えば、聊 か歯切れが悪い。続けて、こんな事を言っている。「譬ば、本性奸佞にて、且邪智あ る者、或は亦庸才なるも、憖に漢学して眼其用を做すときは、心高慢り己に惚て、博 に誇り俗を欺き、利を尋ね名を鬻ぎて、反て身を修め心を正しくし、家を成し、道を 行ふ、真の学問には疎にて、只世俗を非とし賤しめて、身は是魔界に在るを思はず、 甚だしきに至りては、乱を起して刑せられ、衆と争ふて兵せらる。かくの如き白物の、 悪名を貽すが如きは、瞳子なかりし這虎の、眼に点して遂に那禍事を惹出せしと、亦 年を同くして論ずべし。……中略……眼目の資助は人によるべし」 即ち一休さんは、虎の実体化を政権の腐敗・退廃のためだとして責任を追及しつつ も、虎そのものに対しては否定的なのだ。また、従来、八犬伝読みの先人たちは、こ の画虎実体化事件を、大塩平八郎の乱に重ねて見てきた。是認すべき解釈であろう。 確かに大塩の乱の首謀者、平八郎の、高慢だとか何だとか、特殊なパーソナリティー 故に起こされたものだとも、当時は説明されていた。まだ幕府の権力は強大だった。 少なくとも公刊の場で、あからさまな批判は慎むべきものだった。コレは則ち、幕府 に敵対する者を批判しなければならないことをも意味する。敵に敵対しない者は即ち 敵であるという、幼稚でヒステリックな心性が陥り易いトンチンカンを幕府が有して いたならば、もしくは有していると目されていたならば、庶民は保身のために、幕府 に敵する者にこそ敵対する態度を見せねばならない。それは心の真実を表現したもの ではない。処世術といぅヤツだ。 とはいえ、私は馬琴が保身のために、心にもなく虎の実体化に、<下手に学問して 慢心した者が、智恵を付けて今まで見えなかったモノが見えだしたため不磨をもつに 至り、暴動を起こした>との隠喩を付したと断言したいワケではない。まぁ、その気 持ちは嘘ではなかっただろう。ただ、一休さんの会話文中、虎を聖なるものと規定し て権力の腐敗・退廃を責める部分と、虎への否定的な評価の部分は、文章表記上かな り接続がギコチない。義政への批判が飽くまで本筋であり虎への否定的評価は<取っ て付けた>印象が拭えないのだけれども、まぁ、其処までは追及できない。義挙であ ろうが暴動であろうが、多くの人々が命を落とし傷付き焼け出されたとしたら、その 行為を肯定評価することは出来ない。馬琴が、例えば一休さんの如き仏教者にシンパ を抱いていたならば、禅宗を排撃した平八郎より一休さんの立場に近かったなら、尚 更だ。 上記要約で、仁を除いて、キーパーソンは三人いる。巽の配偶者、細川政元、そし て一休宗純だ。巽は重要な機能を果たすが、彼の転機は、駆け落ちも再び堕落して稚 児に見放されるのも、配偶者の存在に依る。鍵となるのは、配偶者の方である。この キーパーソン、考えてみれば皆、変態だ。一休さんは、まぁ八犬伝中ではオイタをせ ずに澄ましているが、要約の中に滑り込ませた如く、変態和尚だった(ことに少なく とも近世ではなっていた)。政元が愛宕信仰、即ちダキニ法の熱心な行者であったこ とは、どうやら事実であったようだから女色を注意深く避けた事も本当だろう。男色 に耽っていたとしても、不自然ではない。また、巽の妻も変態だ。一休さんと政元は、 その環境になければ、男色家にならなかったかもしれない。しかし、巽の配偶者だけ は、別だ。彼女は、女性である。夫と見知らぬ少年が、一つ屋根で過ごし事を以て、 <ヤったんだろう!>とキメ付ける。かなり不自然である。そりゃぁ、「稚児」には、 僧侶の<性的対象(desired)>なニュアンスも確かにある。しかし、だから といって、キメ付けるか? 普通。夫が斯道を嗜んだ<前科>があれば、また別だが、 そんな設定には、八犬伝は触れていない。 ……巽の妻、夫との爛れたセックスに溺れるだけでは飽き足らず、夫と男の子のセ ックスを妄想したのだ。一休さんや政元より、変態だ。二人は、まぁ性欲の存在を前 提とするならば、<仕方無しに>男色に走ったとも弁護し得る。しかし、巽の配偶者 には、そんな必要はない。<好きで>オトコとオトコのセックスを妄想したのだ。こ れを変態と云わずして、何をか変態と云う。 ……此処で疑問が涌く。巽の配偶者が女性であるとの前提に立てば、確かに変態だ。 では、男性であるとの前提に立てば? ……やっぱり変態である。しかし、変態は変 態でも、両者の質は相違する。巽の配偶者が男性であれば、唐突に夫が男色を犯した とキメつけるトンチンカンは、不自然ではなくなるのだ。男性なら、男性である巽と のセックスに溺れていたなら、他の男性と巽が仲良く一つ屋根で過ごせば、<ヤった んでしょ!>と激しく嫉妬しキメ付けることは、不自然でなくなるのだ。そういえば、 巽の配偶者、当時の女性としては、何だか妙な名前だったが……。そうそう、巽の配 偶者の名前は、「於兎子」だった。「オトコ」である。だから、オトコとオトコのセ ックスは、当たり前、自分が日常で、やってることなのだ。だから,夫と稚児の間に 性交渉があったと疑うことは、正当なのである。 「●●子」といぅ女性名は、前近代には主に貴人に使われ、庶民や下級武士の女性 名に、決して使われなかったとは云わないが、少なくともフィクションの中で使った ら不自然な印象を与えかねない。ベテラン作家・馬琴が、そんな失敗をする筈もない。 何かの必要があって、名付けたに違いない。「於兎(オト)」でも立派に女性名とし て通用する筈なのに、わざわざ「於兎子」と付けた以上は、やはり「オトコ」と読ま せたかったからだろう。 但し、作中では、あくまで女性として描かれている。だから、オトコは完全なオト コではないが、オトコの形質を有するモノと考えられる。巽はオトコを妻としていた、 だから他でもない「稚児」、性的な対象との含意を有つ種の男性が訪れる。配偶者で あるオトコが、関係を邪推する。<男色>を媒介に、一連の事実は、イメージ上の連 鎖をする。とりあえずは、そういうことにしておこう。 しかし、それだけでは不十分だ。単純すぎる。相手は馬琴だ。もう一歩だけ妄想を 進めよう。於兎子は、オトコである。但し、やはり、女性である。即ち、於兎子は、 或る男性をモデルにしていると、私は疑っている。そして、だからこそ、於兎子は稚 児と誤認され殺された。いや、ソレは誤認ではなく、両者は共通した何かだった。彼 女は、稚児でもあったのだ。そして更に彼女は、怨念を消去された八百比丘尼でもあ る。同時に、仁の気が最高潮に達することを約束する存在でもあるのだ。この説明に は、少々行数を要する。残念ながら、此処ではできない。またの機会、「虎、トラ、 寅」まで、ご機嫌よう。 (お粗末様)
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