短編 #0993の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
雨が降っていた。 私は一人静かに喫茶店で、人を待っていた。 今朝から雨が、物憂い溜息みたいに降り続いている。せめて洗剤も一緒に降ってく れればいいのに、そんな雨。外は寒い。けれど、まだ雪に変わるには早すぎる。 ボリュームを抑えて流されるクラッシック音楽も、窓をたたく雨音も、カップのぶ つかる音も、聞き取れないくぐもった人の話し声も、すべてが私の世界を無音にして しまう。 雨は止んで欲しくもあるけれど、そのときの街を輝かせる太陽の陽射しも眩しくて、 複雑な気持ち。どんよりと曇った天気はさらに嫌。 あの人はまだこない。 コーヒーカップを回してみる。細波をたてながら、歩くことと佇むことのの意味な どをぼんやり吟味してる。大げさに言えば。 朝起きたとき、よほど意識しなければ夢はすぐに忘れてしまう。ちょうどそんなふ うに、無数のとりとめも脈絡もないことを思いめぐらしてる。浮かんでは消える。泡 沫の夢。どこへ。 この今さえも似たようなものかもしれない。 女子高生の明るい笑い声が、後ろの席で聞こえた。どうやら吉田君の好きな女の子 は、平山さんらしい。 私。私。私。一枚の写真。高校生の自分。同い年の初めての彼氏。 肩を抱かれて。いい笑顔してる。どちらも。 このときの彼の紺のセーターの感触はまだ憶えているみたい。右の手の甲で頬に触 れてみる。あの頃の肌は化粧の下に隠されている。 もう六年近くの過去こと。 時ってどんな姿をしてるんだろう。口はあるだろうか。話す言葉はなんだろうか。 人の姿をしているだろうか。スーツ姿は似合うだろうか。たとえば私の隣に座って、 こちらを向いたとき、私はにっこりと笑えるだろうか、私はその彼を抱きしめられる だろうか。少年みたいな声で、第一声が、ごめん。そしてあちらこちらに頭を下げて まわる。あり得る。 暴君もみかけだおし。 そんなトキならば私はきっと愛しくなる。額の汗をハンカチでぬぐう、その華奢な 指を、私は自分の手のひらで包んであげたくなる。瞳のおくに潜む、悲しげな色を、 私はじっと笑みを浮かべて見つめることで、癒してあげたくなる。きっと。 あれ。 写真のなかの私が何か言った。もう一度お願い、私。 私が一度、隣の彼と目を合わせて微笑む。彼の目元が優しい。 つまらない大人にはならない。輝いてる大人になれる気がする、私。ノイズ混じり の言葉。そのときのぬくもりも一緒に。 つまらない大人にはならない。輝いてる大人になれる気がする、私。 自分の部屋。雨沿いをつたっておちる雨をみている私。確か創立記念日。雨音にほ とんどかきけされているDJの声。隣の弟の部屋からはテレビの音声。それもよく聞 こえない。 秒針の動く音だけはリアル。それは私の心の熱情を刻んで料理する。 心の中に一つ大きなかまどがある。傍らに私は一人静かにいる。じっと中をのぞい ている。ときどきゆっくりとかき混ぜる。 世界は美しい。この世界にあるものはすべて美しい。 外界からの刺激が弱まってゆく浮遊感。 逆に心の中でふつふつと沸騰するかまど。何があらわれるのだろう。 家のそばを車が一台すーとすべるようにすぎた。 今度はラジオから流れるアイラビューの音楽と私は一体になった。存在する唯一の もののように。果てのない心の世界。うねり。 自分は何だって出来ると、うなずいた。少し開けられた窓から、七月の雨の匂がし た。抑えきれないなにかが、自信に満ちた笑みとなって私の顔に溢れた。 私はウェイトレスを呼ぶ。彼女は素敵な笑顔をしてる。こちらもつられて微笑む。 知らずに見とれてしまう。同い年か少し私の方が年下なくらい。顔の筋肉の弛緩は心 の弛緩と密接に関連してる。すべてのものを受け入れる微笑み。私の目を覗き込むそ の姿も不快ではない。ブレンドコーヒーのお代わりを注文する。 「かしこまりました」 その背までも目に心地よい。 私は髪を掻き上げる。肩までに切ったばかり。 タバコをくゆらせた。立ち昇る煙。人前では吸わない。 やがて溜息を一つ。目に力を入れて、一度息を吸う。 緊張感のある春の教室は好きだった。まだ知らない人のいるクラス。やわらかい陽 射しが教室に満ちている。オレンジのカーテンを通過する光が、教室をオレンジにし ている。机の上の、教科書もノートもオレンジに染められている。そして私の指先も。 昼食後の心地よい眠気。サンドイッチが消化されていくのを意識できる。 水中にいるような感じ。その水はほとんど質量を感じられない。 先生の板書の音が乾いて聞こえる。端でのかすかな私語と交じると静けさになる。 私はその教室に確かにいる。そう。私はそこにいる。 突然指名された男子生徒のちんぷんかんぷんな答え。教室が笑いにつつまれる。振 り返るとその彼と目があった。彼は目を伏せて恥ずかしそうに頭を掻いた。 風。 ふんわりとカーテンが漂う。窓際の生徒の姿がそのなかへ消える。そしてそのすき 間からのぞくうららかな春の緑の光景。 にわかに雨音のトーンが変化した。アスファルトが霧で煙る。客待ちのタクシーの フロントガラスでは、ワイパーが規則正しく右、左、右、左、と仕事をこなしていた。 淡々と。 一人の少年が骨の折れた蝙蝠傘をさしていた。堂々とした歩きぶりに、知らずに目 がひきつけられていた。やがて人混みのなかに消えた。沢山の人のなかの一人になっ た。 心地よいほどの雨。街を洗浄するかのように。 何故、と漠然とつぶやいてみたり。 朝。目を覚ます。雛からかわいがっていた文鳥。カーテンのすき間から差し込む棒 状の光を半分、体にうけて、文鳥が、ベッドのなかの私をみていた。板の間におかれ た篭のなかで。 春の光に照らされた埃が、ゆっくりと上昇している。きらきらと輝いて。 どこかで布団の叩かれる音。一回、二回、三回、と知らずに数えてしまっている。 他にも何かが聞こえる気がする。耳には入らなくても。 日曜日の朝。とても明るかった。 文鳥が短くさえずる。再び、目を向けると、文鳥が私に首をかたむけて、鳴いた。 私はいつものように文鳥を手に乗せる。ベッドで寝そべったまま。撫でた。気持ち よさそうに体をすくませる。首筋に唇をうずめてやる。 人差し指にのせようとしたとき、文鳥が飛び立った。部屋を旋回し、出窓に止まっ た。一度私を振り返り鳴いた。次に、躊躇せず外へ飛び出した。 眩しい。 光。 彼女の飛翔。 青空の点。 遠くで。 母が下で私を呼んでいる。私はかまわずにずっと空をみていた。朝の心地よくひん やりとした空気を呼吸しながら。 彼氏の部屋。苦手な数学を私は教わっている。 彼の芯のある声にじっと耳を傾けているのが好きだった。その音の響きがはっきり 伝わる範囲が私の一番安心できる場所だった。 その日いつになく落ちつかない彼の調子を私は感じていた。そわそわとした様子。 私にも伝わる。 小さなテーブルに頬づえをついて彼は隣で、私の問題を解く姿をみてる。ノートに 走らせるペンがとまると、彼がアドバイスをしてくれる。 部屋の隅で加湿器がスチームをもくもくと吐き出していた。 彼の手が私の髪にふれた。平静を装うため問題を解いてるふりを私は続けた。頭皮 に彼の指がときどきふれる。 顔を向けると、唇に彼の初めての唇を感じた。 アルバムを開けば、白黒の写真ばかりの数カ月がある。小学生、中学生、高校生前 半とカラー写真できて、その次に数頁白黒の写真が続く。 既成の色がすべて破棄された写真は、かわりに当時は何の意味ももたなかった音さ えも色として保存する。 グループで遊園地の入口で撮影した写真。 雲一つない一〇月の青空に浮かぶジェット機の飛行音。 遠足の小学生のはしゃぐ声。引率の先生が子供をたしなめている。 そしてそこにもやはり私が確かにいた。不思議。何故。 いつも私は笑っていた。 私のことを常に気にかけてくれる友人たちの輪のなかにいて、男子同士の元気のい いかけあいを微笑んでながめているとき私は幸せだった。何も考えなかった。ただ幸 せでいた。 どの写真も、私は彼の隣にいる。私の気持ちが皆にばれた理由。 水族館のカラフルな魚たちまで白黒なのは行き過ぎかしら。 雨は静かになった。 トキは私の前の前の席に座っていた。所在なげにコーヒーをスプーンでかき回して いる。きっと私と同じところをみて。 ガラスの向こう。人の足がばしゃばしゃと水をはねている。 どれだけの雨粒。 黄色のレインコートをきた子供が泣いてる。若い母親は、颯爽と手をひいて歩いて いる。まるで泣く子供など存在しないかのように。 雨は一瞬悲鳴をあげる。けれど雨はやがて再び天へと戻ることを知っている。 ものうい悲嘆だろうか。 あるいは歓喜だろうか。 聞こえてくるのは。 水たまりにおちる雨の波紋。 喫茶店の扉が開いた。 背後で感じるそのあけかたで、なんとなく彼な気がした。 耳に入る雨音が大きくなる。外界の喧噪が店に入り込む。 ウェイトレスの素敵で澄んだガラスのような声がする。よく響く。世界のなかを自 由に優雅に楽しんで舞う。世界は私のもの、そうその声は思っているような。 彼が謝りながら、私の前に腰を下ろす。力強い首筋と顎。彼の動くたび力強さが伝 わり、空気に適度に緊張を与える。一挙一動にすべてへの肯定を感じる。会社の先輩。 とても頼もしい人。頼もしすぎる人。 「映画まであと一時間あるけれど、でないか。プランタンで買い物がしたくて」 「いいよ」 「あそこにあるVVという書店知ってるか。面白い書店でね、店長の趣味でやって るようなところなんだ。雑貨店みたいな雰囲気がある」 伝票を持って立ち上がる。彼の大きな背中。それとりんとしたウェイトレスの姿と が目に入っている。まっすぐ彼の顔をみて会計を読み上げている。 彼女の頬に自然にのる笑み。 写真のなかの私に似ている。 そう。 だから私は目がいくのだ、と気づいた。 彼の傘のなか。彼の音としての声をただ心のなかに通過させていた。付き合って一 年。いつになく無口な私に彼は気づいて、心配する。 「私」 と、私は口にした。私のなかのずっと深いところで、誰かが操ったように。そして 私はその人をよく知っている、と思った。 彼が私をみる。 「私」 「どうした」 「私……あなたと……もう会わないことにする」 彼のどう反応していいのかわからない顔をみていて、初めて、自分の言葉の場違い さ唐突さを感じ入った。彼が嫌いになったわけじゃない。初めとかわらず好き。 彼、は、好き。 嫌いなのは……。 雨音。アスファルトからと彼の傘から。 そして、あの頃と同じ、雨の匂いがした。 . .. . κει . .. .
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