短編 #0985の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
山手線の中で、胸ポケットの携帯電話が振るえだした。僕は、周りを気にして少し 焦りながら、電話を取り出し、ボタンを押した。 「もしもし」 「もしもし、私。今どこ?」 京子だった。 「ええと・・・・・・、上野を出たところ」 「じゃあ余裕で間に合うわね、労働法の追試。これ落としたらあなた、卒業できない ものね」 「ああ。」 嫌なことを思い出させてくれる。 「私、一限からだから先行くね」 「うん、後でまた」 「それじゃ」 京子から電話を切った。 京子の云う通り、この労働法を取得しないと、僕の卒業はない。この、たった一科 目のために、どれだけ苦労したことか。ゆうべはほとんど寝ていない。自信も全くな い。いっそのこと受けないで帰ってしまおうか。でも卒業はしたい。嫌だ嫌だ。 僕は、首から下げたお守りを、セーターの上からきつく握りしめた。小学校の頃か ら、肌身離さず身につけているお守りだ。これのおかげで、緊張しそうな場面、たと えば高校、大学の受験や、就職の面接試験も、上がらずに受けることができた。ただ 、このお守りの出所は、昔の記憶があまり定かでなく、思い出すことができない。お ばあちゃんに貰ったのか、母親に貰ったのか、まあそんなところだろう。中学や高校 のときは、着替える時に、これを見られてよくからかわれた。僕は、あまり気にして なかったけど。 山手線は、神田の駅に着いた。まだ通勤客が多く、吐き出されるように電車から降 りた。 中央線は、あまり混んでいなかった。この時間の下りは、新宿まで行くとほとんど の客が降りるから、もっとすくだろう。 空いていた席に座った。車両のはじの三人掛けの席だ。電車は、駅をスムーズに発 車した。 京子とは、僕たちが二年の時からのつきあいだ。同じ体育会系の部に所属している 。僕のことをいつも気にかけていてくれる。その割に、さっぱりした性格で、一緒に いて気詰まりを感じさせない娘だ。彼女は何でも頑張る。勉強も部活も。泣き言を言 ってるところも見たことがない。僕なんてしょっちゅう云ってる。僕にはもったいな いと思う。 前に一度、何で僕と一緒にいるのか聞いてみたが、あなたには過去の匂 いが希薄だから、と訳の分からないことを云っていた。 「あなたは?」 と、聞き返された。 答えられなかった。考えてみると、僕は何で彼女と一緒にいるのかなんて考えたこ とがない。僕は彼女のことがとても好きで、彼女も僕のことが好きみたいだから別に 良いのだけれど。結局、何で好きになったかなんて、一緒にいる時間が長くなればな るほど、問題にならなくなっていくのではないだろうか。 電車は、高円寺を出たところで停車してしまった。物思いに耽っていて、いつ止ま ったのか僕は分からないでいた。ふと気付くと、もう止まっていた。 <お客様にお伝えいたします。この電車は、緊急信号のため、しばらくの間停車いた します> 僕は少し焦った。追試に間に合うか、不安になったのだ。腕時計を見ると、九時半 だった。試験は十一時からだから、まだ一時間ちょっとある。だが、電車がなぜ止ま ったのかが分からなくて、焦ってしまったのだ。 その時、車内放送が流れた。 <お客様にお伝えいたします。前の電車のお客様に、急病人が発生いたしました関係 で、この電車、停車いたしました。大変ご迷惑を・・・・・・> 僕は、ほっと胸をなで下ろした。それなら、電車はすぐに動き出すだろう。追試に も間に合う。 そう思って安心していると、隣に一つ空けた席に座っていた女の人がしくしくと泣 いているのに気が付いた。顔を伏せ、ハンカチを目尻に当てて、時折鼻をすすってい る。僕と同じ年か、一つ上と云ったところだろう。周りには、他の乗客はいなかった 。今まで気付かなかったが、この車両には僕とその泣いている女の人しかいなかった のだ。 どうして良いのか分からずに黙っていると、その女の人は顔を上げ、僕に話しかけ てきた。 「母が死んだの。これから実家に帰るところ」 上の網棚を見ると、確かに大きな旅行鞄がのっかっていた。僕はどう答えて良いの か分からず、はあ、と小さな声を出した。 「あまりお金に余裕が無くて、鈍行で帰るの」 「そうですか」 と、答えながら僕は少し身構えた。そんなに大きな人でもない、ましてや女性に身 構えるなんて自分でも少し情けないが、お金をせびられるんじゃないかと思ったのだ 。僕は臆病な人間だ。 「別にお金を貸してくれなんて云わないわ。少し話をしたいの」 僕の動作に気付いたように、彼女はそう云った。 「かまいませんけど」 僕は体の緊張を解いて云った。 「うん。私は東京に出てきて大学に通ってたの。でもお母さんがあんな事になっちゃ って、実家に帰って働くことにしたの」 僕は、本当に何と言っていいのか分からなかった。彼女の苦労もろくに知らないく せに、大変ですね、とか、偉いですね、とか、そんな無責任なことは云えなかった。 僕は、何にも知らないことに安易に感想や意見を云うのは、とてもひどいことだと思 っている。「でもね、仕方なくそうするんじゃないの。私は、私がそうしたいからそ うするの。私自身の意志なのよ」 僕は黙って聞いていた。自分でもなぜだか分からないけれど、胸のお守りを握って いた。 電車はまだ止まっている。 彼女は、涙を拭いた。 「ごめんなさい。あなたにこんな話しちゃって」 「良いんです。僕は全然気にしていませんから」 僕は、本当に気にしていなかった。今僕にできることは、黙って彼女の話を聞くこ とだけだった。その頃には、追試のことはもう忘れていた。 「昔ね、そう、小学校の頃だった。好きだった男の子がね、転校することになったの 。その男の子は、転校なんてしたくない、僕はずっとここにいるんだ、って駄々をこ ねてた。私、その時、彼に手紙を書いて渡したの。彼がそれを読んだのかどうかは分 からないんだけど。その手紙にこう書いたの。 『自分がしたくないと思ってることでも、仕方ないことが、しなければならないこ とが世の中にはたくさんあるの。でもそれを嫌々するんじゃ、自分が成長しない。そ れは自分のために、自分の意志でするんだ、そう思えばどんなことでもできるのよ』 小学生のくせにずいぶん大人びた事書いたなって、今でも思うんだけど、私は彼に こう書いた手紙を渡したの。彼がその後、どういう生き方をしたのかは分からないけ れど、私は、あのとき手紙に書いたことが、今の私にも云えるんだと思った。実家に 帰るのは、自分のために、自分の意志なんだって。」 何かが僕の記憶を横切った。 彼女はそこまで云うと、急に黙った。電車が動き出したからだろうか。電車は遅れ た時間を取り戻そうとでもするように、スピ−ドをどんどん上げていった。 荻窪を出たところで、彼女は云った。 「私の話、聞いてくれて本当に有り難う。ごめんなさいね、つまらない話しちゃって 」「いえ、いいんです」 僕の通う大学のある駅が近づいてきた。僕は、電車を降りる用意をした。 「何も云って上げられなくて・・・・・・、無責任に、頑張って、とか云うの好きじゃない から」 「いいの、本当に有り難う」 「一つ聞いていいですか?」 「どうぞ」 「その男の子は、今どんな人になっていると思いますか?」 彼女は少し考えてから云った。 「思慮深い人」 「少しは成長してるかな?」 「それは分からないわ」 彼女を乗せた電車は、ほろ苦い想い出と一緒に駅を出ていった。 そう、僕は思いだした。この胸のお守りの出所を。 彼女に貰ったのだ。僕が転校する日に、見送りに来てくれたときに。 彼女は僕のことを覚えていた。だから僕に話しかけたんだ。でも、僕は彼女のこと をすっかり忘れていた。少し胸が痛んだ。 僕は、服の下からお守りを取り出した。紫色のひもで結んである口を開くと、訳の 分からない字の書いてあるお札と一緒に、小さな紙切れが畳んで入っていた。開いて みると、彼女からの手紙が十何年ぶりかに、僕の元に届いた。 労働法の追試には間に合いそうだ。僕は、駅の自動改札を抜けた。 「遅かったね」 横から話しかけられた。京子だった。 「待っててくれたのか。授業は?」 「今日、休講だったの、忘れてた」 「そっか」 「追試、頑張らないとね」 「ああ、今日は何でもできる気がするよ」 「どうしたの?その自信。嫌だ嫌だって云ってたのに」 「ちょっとね」 「ふうん」 「あのさ、云っておきたいことがあるんだけど」 「なに?」 「俺さ、君の頑張ってるところが好きだよ。泣き言を、きっとあるんだろうけど、云 わないところがすごいなって思う。尊敬してる」 「何なの、急に。なんだか、今日は変よ」 「いいの、いいの。急がないと追試が受けられなくなっちゃう。行こう」 「絶対変よ」 終
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