短編 #0933の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
天使の調べに耳を傾けよ。 その歌を一度聴けばたちまちにして虜になり、やがてあなたは打ち震えるで あろう。−−おお、神よ。そんなありきたりの言葉を唇の端からだらしなくこ ぼしながら。 目の前にいるのはまさしく天使。輪っかをなくし、翼をもがれたかわいそう な天使。 幸いにも、彼にはその世にも稀なる美声が残った。 だが、それは彼を珍獣と同等に扱うに至る、必然の要素でもあったのだ。 変声期前の少年が美声を保つため、宦官を彷彿とさせる処置を施されていた 時代があった。 否。 若干の訂正を要しよう。 そのようにしてまで得る価値があると、天使の美声がもてはやされた時代が あった。 「蛮行」は当然のごとく、現代に生き残っていない。少なくとも公には認め られるはずがない。 だが、ここに一つの奇跡が起きる。 ヨープ=ファンダーレンという名を持つ、奇跡の体現者。 この見目も美しい少年は、生まれながらにして、睾丸を持っていなかった。 詳しくない人のために言い添えると、二つとも、である。 神か悪魔か、そのどちらの所業かは知らぬが、この一事により、ヨープは呪 縛から解き放たれた。齢を重ねるにつれ忍び寄る、変声という「恐怖」を、彼 は味わわなくて済むのだ。 彼と同じ時代に生きる幸福を噛みしめよ。 彼の歌を生で聴かずして、歌を語るなかれ。 そして、自戒を込めて−−彼の歌を言葉で人に伝えようとするでない。それ は全くの徒労に終わるであろう。 ヨープに会いたければ、マーカス=ショルツの屋敷へ足を運ぶがよい。 あなたがそれなりの社会的地位を有し、礼節をわきまえた態度に徹するので あれば、館の主は、あなたを拒みはしないであろう。ヨープにも会えるはずだ。 ただし、親切心までに付け加えると、ヨープの歌声があなたの耳に届くかど うかは、保証できない。あなたの運次第だ、恐らく。 ショルツ氏は、ヨープを独占したがっているのだ。飼い主として。 * * 揺り椅子に身を預けながら、ショルツは言った。 「おまえを四千万で買おうという奴が現れたぞ」 透明な液体の入ったグラスをかざし、それ越しにヨープを見る。 「私はここを出て行く気などありません」 有無を言わせぬきっぱりとした口調に、ショルツは満足した。これが聞きた かったが故に、わざと先の台詞を吐いた。 もう少し続けよう。 「そのものは、おまえにも自由になる金を年に一千万、支給していくとか語っ ていたな」 「関係ありません。お金や待遇の面では、現在に何ら不満はありません。一つ だけ挙げるとすれば、それは御主人様の気まぐれな戯れ言」 「ははははっ! 言うようになったな、天使も!」 笑いを収め、グラスの中身を煽るショルツ。 だが、完全には笑いが収まらず、わずかばかり、口髭に湿り気を与えてしま った。 「おまえの言う通りだ。私はおまえを手放すことができない。もし、手放すと したら、この世の終わりか……おまえが声を失ったときだ」 「よく承知しています」 物静かに返事をし、うなずくと、ヨープはたった今、自ら調合したばかりの 薬を、口中に流し込んだ。喉を痛めないよう、気を遣うのは常識。それが生命 線に直結しているのだから。 「いつまでもいてくれ」 ショルツは満足げな息を漏らした。 二人の間にあるカウンターに両拳を押し付け、クロケット捜査官は断定口調 で告げた。 「あのヨープ=ファンダーレンが犯人に決まっている!」 「根拠をお聞かせください」 落ち着いた様子の問い掛けはR。 「何で、君に話さなきゃいけないんだね。一介の探偵に過ぎない君に」 しばらくやめていて昨日より復活させた煙草を、クロケットは乱暴に灰皿に 押し付けた。 かすかに顔をしかめ、Rが言葉を紡ぐ。 「私は探偵であり、薬物調合師。お間違えなきよう。その私が能力を発揮して、 あなたの失敗を最小限の規模で防いであげようと言っているのです」 「失敗だと?」 「ヨープを逮捕したことです。彼を即刻、釈放すべき−−」 「我々は間違っておらん!」 自分の領土−−警察署内−−にいるためか、クロケットはいつも以上に高圧 的のようだ。 「同じ台詞を、前にも聞きました。そしてそのときは、私が正しかった」 Rはあくまで冷静。 その指摘に、クロケットはぐっと詰まり、歯ぎしりの音がした。 「ヨープが主を殺す動機は何ですか」 「−−ふん、やはり、君は何も知らないんだな。こちらの話を聞けば、納得し て尻尾を巻くことになるだろう」 「では、話してもらえんですね? ありがたい!」 Rの笑みに、クロケットは舌打ちをしてから始めた。 「当時、ヨープは風邪を引いていた。歌い手にとっては命と言える喉を痛めた のだ。だからこそ彼は恐れた。マーカス=ショルツ氏に捨てられるのをな。歌 えなくなったカナリヤは、誰にも相手されない。そこでヨープは主人を殺し、 莫大な遺産を手にしようとしたのだ」 「遺産が入るのですか?」 「ああ。ショルツ氏の養子に収まっていたのさ、あいつめ」 クロケットは吐き捨てると、もう充分だろうとばかり、腕組みをして胸を反 らした。 しかし、Rは食い下がる。 「待ってくれませんかね。今でも、ヨープは歌を唄えないほど、喉を悪くして いますか?」 「……いや」 悔しそうにしかめっ面を作るクロケット。 「奴は回復した。銭の取れる歌手に戻った訳だ」 「では」 「その先を言うな。分かってるぞ。だがな、そんなものは何の足しにもならな い。ショルツ氏が死んだ夜、屋敷にいたのはあいつ一人なんだ。しかも、遺体 のそばに落ちていた凶器のナイフには、ヨープの指紋がべったりと付着してい た」 「それは確か、ショルツ氏の遺体を発見したヨープが、動転のあまり思わず拾 ったために付着したんじゃありませんでしたか?」 「本人が言ってるだけだ。何の証拠もない」 決め付けると、クロケットは片手の甲をRに向け、出て行くように指示する 身振りをした。 「私を追い払うことはできませんよ」 「何をふざけているんだ、R」 「私には開いていない札がある。クロケットさんが札を隠していたようにね。 それはたった一枚だが、完全なる切り札なのさ」 「おいおい、じゃあ、何か? 警察が調べ出せなかったことを、おまえは調べ 上げたというのかい?」 ぐいっと顔を近付け、にらむクロケット。 Rは肩をすくめた。 「調べ上げたのではない。体験しただけです、幸運にもね」 「どういう意味だ」 「その前に……マーカス=ショルツは不治の病にかかっていたはず。それを確 認したいのですが」 「な……」 絶句した様子のクロケットを、Rはさらに追及する。 「警察のよくないところだ。自分達にとって都合の悪いところは、大衆から隠 してしまう」 「ドクターに……聞いたのか? あの医院を見つけ出して?」 「違います。今の質問は、真の意味で、想像の確認でしかありません」 「じゃあ、R。あんたはショルツ氏が不治の病であると想像したのだな。どう いう理屈からだ?」 対して、Rは首をゆっくりと横に振った。 「そちらが先に喋ってください」 もはや主客転倒。Rの命に、クロケットは従うしかない。 「……ああ、確かに、言う通りだ。死んだ時点で、ショルツ氏は余命いくばく もなかった」 「ありがとう、正直に明かしてくれて、感謝しますよ。では、こちらも切り札 を見せる時間だ。私の探偵能力には全く無関係なので、誇れるようなものでは ないのですが」 「もったいぶらず、早く言ってくれ」 「ショルツは生前、私を訪ねて来たのですよ」 「何だって? い、いつ。どんな用件だったんだ?」 カウンターを乗り越えかねない勢いで、クロケットは唾を飛ばす。 「事件の起きるちょうど一週間前でした。朝早くに来て、サトルの案内で私の 前に現れたマーカス=ショルツは、憔悴している節がありました。そして言う のです。『喉の湿り気を奪う薬はないだろうか』とね」 「……何だあ、そりゃ」 「注文主当人の説明によると、身体の免疫力が弱くなって、口中にかびが生え かけてたまらない。湿り気のせいだと思うので、その湿り気をなくす薬がほし い、ということでした」 「R。君は薬を調合したのか?」 「ええ。処方箋なしでもね。それが仕事ですから」 微笑するR。 「もちろん、依頼人が嘘を言って毒薬を持って行かぬよう、犯罪絡みであるか どうかは完璧に見極めていますから、安心してください」 「完璧に見極めるだと! よく言えるな! こうして実際に人が死んでる。間 接的とはいえ、おまえが関係しているようじゃないか?」 すると、Rは高らかに笑った。 「誤解も甚だしい! どうして気付かないのですか。ショルツは他殺を装った 自殺を敢行し、ヨープに罪を着せようと考えたのですよ!」 「……馬鹿な。そんなこと、あるものか」 「果たしてそうでしょうか? 私から買った薬を、ヨープに密かに飲ませ続け たら……恐らく、ヨープは喉を痛め、風邪を引きやすくなるでしょう」 「そ、それがどうしたと言うのだ」 クロケットの声は震えていた。Rの話の続きを聞きたくないのかもしれない。 だが、聞かねばならない。 「動機を用意するためです。ショルツはヨープが自分を殺しておかしくない状 況を作り上げてから、自殺したのです。凶器のナイフは、遺体のすぐ近くに落 ちていたのでしょう? 自らを刺して、ナイフを抜き取り、放り出すぐらい、 たやすい。死を賭しての行為なら、たいていのことはできる」 「……指紋のことだが……」 観念した風に、クロケットは白状した。あたかも、頑なに犯行を否定してき た犯人が落ちる瞬間のように。 「実は、ナイフの柄そのものには着いていなかった。ナイフに降りかかった血 の上から、指紋は着いていたのだ」 「なるほど。ヨープが、凶器として使われる前のナイフには触らず、使用後に なって初めて触れたという証拠ですね」 「……仮に、R。君の推測が当たっているとしてだな」 最後のプライドを保つかのように、強調するクロケット。 「何故、ショルツ氏はそんなことをしでかさなきゃならん? いくら自分の命 があと少しだと言っても」 「たわいのない理由でしょうね、恐らく」 もうそろそろ終わりだと、Rは髪をかき上げた。 「事件後になって耳にしたのですが、ショルツはヨープを溺愛していたそうじ ゃないですか。その愛情が、声のみを対象にしたものか、それとも他の部分を も含めたものかは知りませんが……とにかく、尋常じゃなかったらしい。そう なると、答は見えたも同然」 Rはクロケットに目配せした。 捜査官は、忌々しそうに口を開く。 「自分が死んだあとも、ヨープ=ファンダーレンを自由にさせたくなかった。 そういうことか?」 「だと思います。ただし、永遠に束縛するつもりはなかったのでしょう」 「どうして、そんなことが言える」 クロケットの質問に、Rは自信に満ちた表情をなした。 「もしもシュルツがヨープを永遠に束縛したかったのであれば、薬の調合を私 に頼みに来るはずがありません。この名探偵でもある私にね」 −−幕
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