短編 #0780の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「あの子は、風でした」 日本海にうち寄せる波は荒く、冷たい。 一人旅の最中にふと立ち寄った岸壁。そこで私が出会った和服姿の婦人は、海 を見下ろしながらそう語りだした。 「風?」 「もう十五年近くも前になるかしら。そう、あの日もこんな風の冷たい日でした。 あの子が山菜取りに出かけたのです」 「あの子?」 「そう。私の息子です。山田三平といいました」 過去形にしたところをみると、息子さんはもう亡くなっているのだろうか。そ れは初対面の女性にこちらから聞くのはためらわれた。 女は海を見たまま語り続ける。 「人一人いない山の中で、あの子はずっと待ち続けたのです」 「あの、待ち続けたって、何を」 「山菜をです」 「はあ」 「待っても待っても山菜は来ませんでした。もう日も暮れようとしている頃、あ の子の視線をよぎるものがあったのです。あの子は息を殺して近づきました。そ っとそっと、気づかれないように、自分の気配を押し殺して、山菜の背後に回り ました」 「背後に」 「そして両の手で、がしっと」 女がいきなり中空をつかんだので私は危うく崖からすべり落ちそうになった。 「山菜を捕まえました。確かな手応えがありました、でもあの子の手の中にあっ たのは、あの子の手の中にあったのは……山菜ではなく蛙だったのです」 それっきり女は黙ってしまった。私はどうしても続きが知りたいわけではなか ったが、何かこちらがしゃべらねばいけないような気がして尋ねた。 「それで……息子さんはどうしたんですか」 「あの子は風でした」 女はさっきの言葉を繰り返した。 「あの子は、自分は山菜取りに来たのではなくて蛙取りに来たのだということに したんです」 波の音が静かに響く。 私は頭の中で「どんな種類の蛙でしたか」とか「その蛙はマッチ箱より大きか ったですか」とか当たり障りのない質問をいろいろ考えてはいたのだが、何を話 しかけたらいいのか考えあぐねていた。 「愚かな母だとお笑いでしょうね」 前後のつながりがわからなかったものでついうっかり「はい」と答えてしまっ た。女はそんなことを気にする風でもなく語りだした。 「あの子がタケノコ掘りにいった話……しましたっけ」 聞いたことにすればよかったのかも知れないが、つい正直に「いえ」と答えて しまった。 「あの日もこんな風の強い日でした。あの子がタケノコ掘りに出かけたのです。 あの子は山の中を探して探して探し回ったんです。泥まみれになりながら、草で 手を切りながら。そしてついにあの子は見つけたんです。全長三メートルはあろ うかという、青々としたタケノコを」 それはタケノコではなくてタケそのものではないかとは思ったが、話の腰を折 るのも気がひけたので女の次の言葉を待つことにした。 「この話はこれで終わりです」 「そうだったんですか……」私は話し始めた。別に話す内容があったわけではな いが、こちらが話の主導権を握ってそろそろまとめにかからないといつまでたっ ても終わらないと思ったからだ。 「あの子がイノシシ狩りにいった話、まだですよね」 結局私は十五時間三十分にわたって女の話を聞き続けた。そこで「失礼します」 といって無理矢理帰ってきたが、女は私が去ったことなど気にもせず話し続けて いるようだった。もしかするとまだしゃべり続けているかも知れない。 さらば、山田三平の母よ。
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