短編 #0765の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
今にも雪が降り出しそうな空だった。 山間には不釣り合いな広い舗装道路をしばらく走り続けたタクシーは、やが て大きな森で右に折れると、砂利道を少し走って停まった。午後四時をまわっ たばかりだったが、北国の冬の日暮れは早かった。 コシノはタクシーを降り立ち、そこが駅前の町並みらしいことに初めて気づ いた。しかし、開いている店らしいものは見当たらない。同僚の男もタクシー の支払いを終えて降り立つと、冷たい外気にぶるっと震えた。 初老の運転手が窓を下ろした。窓から顔を突き出している。 「郵便局はこの道をまっすぐ行くと、右手にあるよ。まだ五時前だから開いて いるはずだ。駅舎はそこを右に曲がったら正面に見える。次の列車にはまだ間 があるけどな」 凍るような冷たい空気の中をふたりは言われたとおりに進み、右手を見た。 だいだい色の灯りが点いた駅舎らしい建物が見える。その右手前にはひっそり と土産物屋らしい店もある。白い光が格子の窓から漏れて、どうやら営業中ら しかった。 「それじゃ、今日もらった小切手を書留で会社に送ってくるから。そこの土産 物屋で待っててくれよ」 同僚はそう言うと、さっさと郵便局の方へと歩きだした。コシノは同僚を見 送ると、駅前の土産物屋へと歩いた。 木製の引き戸に手をかけて引っ張ると、引き戸は思ったよりも軽く開いた。 その途端、店の中の明るさに、コシノは思わず目を細めた。 「いらっしゃいませ」 ショウケースの向こう側から、若い女がお辞儀をした。目が泣きはらしたよ うに赤い。見回しても他に客はいないようだ。しかも陳列されている土産物も 少ない。 「ちょっと見させてください」 「どうぞ」 目の赤い女はあまり商売気のない会釈を返してきた。 知らない土地に来て、並べられた土産物を見るのは楽しい。並んでいる土産 物たちには、その土地の歴史や風景の香りがするものだ。 コシノは正面のショウケースの中をのぞいた。 赤くて丸い「クレナイサブレ」、薄紅色の「ピンクフルール」、クリーム色 で大ぶりの「フラワークッキー」。それなりに可愛い箱に収められている。み んな、カタカナの名前がついており、なぜか花を連想させた。 コシノはいつもの癖で、お菓子の由来を尋ねてみた。目の赤い女は戸惑いを 見せた。 「私が小さい頃、このあたりは一面の紅花畑だったわ」 女は唐突にそう言った。そうか、これらのお菓子は紅花に因んでいるのか。 簡単に納得しかけたコシノに女は続ける。 「でも今はもう、無くなってしまった。マッチ箱のような家を建てるために、 どんどん紅花畑を掘り返して、コンクリートで固めてしまった。ひどいものよ」 コシノは、はっとなった。ひどいものよ、という女のつぶやきは、駅に来る 途中で見かけた異様な光景を思い出させた。 山と山の合間を縫うように走るただ広いだけの舗装道路。両脇には茶色の土 が段々畑のようにむき出しになっていたり、コンクリート基礎に雑草がからん でいたり・・・。 「そうだ、まったくあいつらときたら」 突然、ショウケースの向こうから男の低い声がした。若い女も振り返る。 ショウケースの奥の暗がりから出てきたのは、タクシーを運転していた初老 の男だった。ショウケースに手をついて、話を続ける。 「海辺の町からやってきたあいつらは、夢のような話をあちこちでばらまいて は、紅花畑をほじくり返し、予定が狂ったとかいってはあっと言う間に消えち まった。いったい後始末は誰がやるのだか」 言葉の強さのわりには男の肩は落ちていた。口調にはあきらめも漂っていた。 なんだか、暗い話になってきたな。 コシノは何気なく、ショウケースに貼られた紙に目を落とした。「紅花ソバ」 と読めた。 「ああ、これ食べたいな」 コシノは思わずつぶやいた。コシノの独り言に赤い目の女が笑う。 「これを欲しがる人は少ないんだけど」 女は嬉しそうに言った。初老の男が口を挟んだ。 「ああ、紅花ソバなら、俺が作ってやるよ」 見ると、初老の男は腕まくりを始めている。若い女は肩をすくめてみせた。 「お客さんはどちら行きの列車を待っているんだい?」 腕まくりをして、男が聞いた。 「海辺の町行きだよ」とコシノは答える。 「ああ、そうか。それなら大丈夫だ。谷間行きの列車が着いてから、ゆっくり 出ていっても間に合うよ。何しろ、単線だからね。必ずこの駅で待ち合わせを するんだ」 男はそう言うと、そのまま、女を促した。 「もうそろそろ時間だろ」 男の言葉に若い女は軽くうなずくと、白いコートを羽織り始めた。出かける ようだ。 表の入り口で女が声を出した。 「あら降り出したみたいね」 確かに女が開けた引き戸の外は、雪になっていた。 女は雪の中に出ていった。光の加減か、白いコートが雪の中に溶けてゆくよ うに消え、女の姿は見えなくなった。 「いったい、いつまで待ち続けるのやら」 女が出ていったのを確かめて、男がぼやいた。 「どういうこと?」 コシノが気にして問い返す。 「もう三ヶ月になるかな。ああして列車が来る度に、プラットホームに迎えに 出るんだ」 男は湯気の立っている丼を運んできた。代金を払う。紅花ソバはその名の通 りのピンク色の麺だった。甘い匂いがする。 「最後の連絡からもう三ヶ月だ。普通なら諦める頃合いなんだけどな、あいつ は違うんだ。信じているというか、奇跡を待っているんだ」 コシノは紅花ソバをすする。男はしばらく黙り込んだ。 「お客さん、紅花畑を見たことがあるかい?」 初老の男の問いに、コシノは正直に首を振る。 「ちょっと来てみな」 男はショウケースの奥の方を指し示した。 土産物屋の土間伝いにショウケースの裏へ回り込み、奥へ歩くとすぐに店の 裏に出た。裏口のすぐ横に、小さなガラスハウスがあった。 男がガラスハウスのドアを開けて手招きをする。ドアはコシノの背よりも小 さいようだ。 背を屈めてドアをくぐり抜け、コシノは、はっと息を呑んだ。 ガラスハウスの中は、黄赤色の海だった。風もないのに、ゆらゆら揺れてい る。それが紅花の細い花弁の集まりだと気づくのに、少し時間が必要だった。 まるで花弁たちは息でもするかのように、ゆらゆら揺れていた。 コシノは黄赤色の海辺に言葉をなくして立ちつくしていた。 どの位経っただろう。 「もういいかい」 息を呑んで立ちつくしたコシノを、初老の男がガラスハウスの外へと引っぱ り出した。冬の冷気に触れ、コシノはやっと我に返った。男がつぶやく。 「あいつはこの町全部をまた、紅花で一杯にしようという気らしいんだ。そん なことを言い残して去った奴を、あてもないのに待ち続けている。我が娘なが ら、その一本気なところには恐れ入るよ」 彼女ならやれるかもしれない。コシノはそう思った。それほどガラスハウス の中は生気にあふれていた。 「あいつはいつも、口癖のように言うんだ」 男はコシノを案内して戻りながらそう言った。 「どんなことを?」 コシノはショウケースの前に戻ってから聞いた。 「奇跡はいつか起きる、とね。ははは、でも無理さ無理さ。紅花を植えように も、もう肝心の平地がない。いつまで待っていても、待ち人も来ない」 その時、がらりと店の引き戸が開いて、同僚が戻ってきた。 「ああ、外はすごい雪降りになったぞ」 同僚は手をこすり合わせながら、大きな声でそう言った。 もうそろそろ列車の時間だった。コシノは礼を言おうと振り返ったが、ショ ウケースの向こうについ先ほどまでいた初老の男の姿は見当たらなかった。 仕方なくそのまま店を出た。 外はもう真っ暗だった。土産物屋から漏れる白い明かりの中で、大きな綿雪 が狂ったように乱舞している。駅舎のだいだい色の灯りも降る雪にかき消され そうだ。 駅に向かって歩きながら、同僚が話し出す。 「郵便局で聞いたが、ここらあたりにはウサギ女がいるというんだ」 コシノは黙々と歩く。同僚は話を続けた。 「ウサギ女は紅花畑を探しているらしい。昔このあたりは、一面の紅花畑だっ たらしいからね」 コシノは白いコートを着て出ていった若い女を思った。駅舎のだいだい色の 灯りはもう目の前だった。 「ウサギ女を見分けるのには目を見ればいいんだ。人間と違い、赤い目をして いるから、すぐ分かるってさ」 その同僚の言葉に、コシノは足を止め、土産物屋を振り返った。土産物屋は 降りしきる雪の中にひっそりと白い光を投げていた。なぜかほっとした。 「おや、もう列車が着いているぞ。急がないと」 同僚が焦った声で言った。改札口の向こうには、列車の青い車両が見えてい た。 ふたりは慌てて改札口を駆け抜け、海辺の町行きの列車に飛び乗った。 列車の中はむっとするほど暖房が効いていた。乗客のざわめきとタバコの煙 に混じって、少しばかりのアルコールのにおいも鼻をついた。 コシノは窓側の席に腰を下ろすと、すっかり曇った窓ガラスをセーターの袖 で拭いた。顔をつけるようにして外の雪に見入る。 ごとん。 大きな音を立てて列車が動き出した。 窓ガラスを通して、雪の降り止まないホームの前方に白いものが見えた。白 いコートを着た人影だった。列車は少しずつ速度を上げて、人影もだんだん近 づいてくる。 「おい、あれがウサギ女じゃないのか?」 同僚も、めざとく白いコートに気づいたらしい。窓ガラスに鼻をくっつける ようにして外を見ている。 列車の速度が上がる。白いコートの人影は、あっという間に車窓を駆け抜け ていった。 「おい、見たか?、確かに赤い目をしていたぞ。あれはウサギ女だ」 同僚の興奮した声が聞こえる。 しかし、コシノは見たと思った。泣きはらしたウサギ女に向かって駆け寄っ てゆく、黒い外套の人影を、確かに目の端でとらえたと思った。 「奇跡はいつか起きる・・・か」 だいだい色の灯りの駅はどんどん遠ざかり、やがて降る雪の中に溶けて消えた。 お題>紅花畑(了)
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