短編 #0753の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
猫の首から鈴を外せ ジョッシュ ドアは自動でするすると開いた。 予想通り、店内には誰もいない。ゆっくりと店の中へ足を踏み入れる。カウ ンタの奥の方でチャイムの鳴る音がする。自動ドアに連動しているようだ。た ぶん夜勤の店員に深夜の来客を知らせるためだろう。だが私は客ではない。客 を装っているが、この24時間営業の店で何も買うつもりはない。 私は従業員通用口と書かれたドアに背を向けて、肉まんのケースの横に立ち 止まった。店内をさりげなく見回す。天井からの白色光に照らされて、買われ るのを待つ日用品や菓子類のビニール包装がきらきら光っている。飲み物の缶 やペットボトルがみっしりと詰まった冷蔵棚は、低いうなり声をあげている。 しかし、それ以外は静まり返って、確かに誰もいない。 背後でドアが開閉する音がした。店員がやってきたのだ。 愛想のない店員のようだ。通用口からわざわざ見えるところに立っているの に、声も掛けてこない。一、二、三、四...私は黙って立ったまま、頭の中で きっかり二十まで数えた。店員がじれた。 「あのお、何を差し上げましょうか。」 その店員の質問が、私にきっかけをくれた。私はポケットの中のナイフをつ かむと、さっと振り向いた。ナイフをカウンタ越しに突き出す。 「実は、君の命が欲しいんだ。」 カウンタの向こうの店員は若い男だった。学生アルバイトかもしれない。 私の要求がよほど意外だったのか、呆気にとられて、私の顔と手もとを交互 に見比べている。ぽかんと開いた口からは言葉が出てこない。 一、二...今度は頭の中でゆっくりと五まで数える。 「あまり私の顔を見ない方がいい。人にジロジロ見られるのは嫌なものだ。特 に今夜の私は神経が高ぶっている。」 軽くナイフの切っ先を振って見せた。若い店員はナイフの動きを目で追って いる。しかし、最初の驚きは消えて、もう哀しそうな顔になっていた。 おい、恐くないのか?、凶器のナイフは切れ味鋭く見えるように、入念にオ イルで拭いてきたんだけど。 「やっぱり、ついてないんだな。」 半泣きのような店員の小さなつぶやきが聞こえた。 なんだって?、私はナイフを突き出したままだ。店員は頭を振りながら話し 出した。 「今日ね、大学入試だったんですよ。いえ、大したところを狙った訳ではない んですけどね。もう去年、一昨年と二回続けて失敗してるもんで背水の陣だっ たんですよ。田舎の親にも今度が最後のチャンスと言われてたくらい。でもね、 ヤマがすっかり外れました。特に数学なんて散々でしたよ。」 なんだ、今日は一斉入試の日だったのか。私は店員の置かれている情況を正 しく認識させようと言葉を足した。 「ああ、テストとマージャンはツキ次第というからね。ところで今夜、君はこ うしてナイフを突きつけられている。これも、あまりツキのある状況ではない と思うがね。」 冷静に言いながら、店員の顔を見た。相変わらずうつろな表情だ。その表情 には記憶があった。自分もこんな顔をしたことがあったな。 去年の春だった。私も二浪だったが、合格発表の日、自分の受験番号を見つ けることができず、落胆のあまり発表会場からずっと唇を噛みしめて電車に乗 った。唇が切れた事にも気づかなかった。よほど顔色が悪かったのだろう。駅 まで迎えに来ていた同棲中の女が、改札口で泣きながら抱きついてきた。 女は慰めの言葉を探しあぐねたのか、駅の構内でそのまま激しいキスをして きた。茫然としていた私は女の舌の存在感でやっと現実に引き戻されたのだ。 血の味のキッスは初めてよ、と女は笑った。 それで終わりだった。細々と来ていた親の仕送りも途絶え、すぐに女とも別 れた。 「でもね、テスト結果の発表はまだなんだ。命はあげても良いけれど、結果を 見るまでは生きていたい気もするなあ。」 若い店員は独り言のように喋った。 それはそうかもしれない。私も入試に自信は全くなかったが、ひょっとした らと思って発表会場まで行ったのだ。結果は予想通り、駄目だったけれど。 「君の気持ちは良く分かる。しかし、私もこうしてナイフを突きつけているん だ。このまま手ぶらでは帰れない。なにか論理的な落とし前が必要だね。」 私は店員の反応を待った。深夜の店の中は本当に静まり返っている。稀に表 通りを深夜便のトラックが通り過ぎるだけだ。店員は、目の前のキャッシャを 目で示した。 「このキャッシャの中に今日の売上金が入っている。その中から、いくらか気 に入る金額だけ盗むというのはどうだろう。」 その提案は十分に魅力的なものだった。定職につけない私は、経済的にかな り逼迫していた。ここで五千円くらいあればたいそう助かる。殺人ほどの気持 ちの高揚感はないが、美学だけでは生きて行けない。時には現実的にならなけ れば。 私はうなずいた。 「ああ、それなら強盗だね。ナイフを突きつけての強盗も悪くないか。」 私が提案に合意したので、店員はキャッシャに鍵を差し込んだ。その途端、 鈴が鳴るような音がして、キャッシャから引き出しが飛び出てきた。紙幣や硬 貨が種類別に几帳面に仕切られている。 「五千円にしておこう。」 私は宣言した。それで、この一週間は生活できる。言いながら、強盗らしく ナイフの切っ先を上下に振った。 「千円札にしますか、それとも百円玉も混ぜますか?」 店員が余計な質問をした。 私は血が頭にのぼり、もう少しでナイフを男の胸に突き立てるところだった。 すんでの所で思いとどまり、はあーっと息をつく。店員は私の様子に初めて恐 怖の色を見せた。キャッシャから後ずさりする。 私はナイフを突き出したまま、もう一方の白手袋の手を伸ばして、五千円札 を一枚だけキャッシャの中からつまみ上げた。ズボンのポケットにねじ込む。 だいたいこれで強盗になっただろう。そこでようやく、私は店の防犯カメラ を見上げた。ちゃんと作動しているようだ。でも濃い色のサングラスに大きな 口マスクをした私を、カメラの映像からは手配はできまい。さて走り逃げるこ とにしよう。ラバーソールの靴は、静かな夜に走り逃げるのには絶好だ。靴音 はしないし、滑りにくい。 その時、カウンタの方で鈴の音がした。 キャッシャの引き出しを店員が閉めたのかもしれない。それでは強盗らしく ない。 「おい、強盗が逃げるときには、キャッシャは開けっぱなしにしておくものだ ろう。」 出口に向かいかけて立ち止まり、私はそう言った。 たとえ強盗でも、犯行現場の形にはこだわるのだ。 ところが、見るとキャッシャの引き出しは開いたままだった。 どういうことだ?、それじゃあ今の音はなんだ?、私の問いに、店員は困っ たような顔をしている。また、鈴の音がした。店員といっしょに音のする方に 目をやる。 大きな水色の毛の猫だった。いつの間にかカウンタの端に座ってあくびをし ている。太い首には五百円玉くらいの鈴がついていた。あくびをする度に、意 外と大きく鈴の音がした。目を細めてこちらを見ている。 「君の大学入試の結果がわかった頃に、また戻るよ。この次はナイフじゃなく て、ピストルにしようか。あれは狙い所さえ間違わなければ、瞬時に楽にな る。」 店員は軽く会釈を返してきた。これだけ静かな店なら、サイレンサも必要だ ろうな。私はそう考えながら出口に向かった。自動ドアはするすると開いた。 外の冷気が入ってくる。私は振り返った。 「おっと、言い忘れるところだった。紛らわしいから次に来るときまでには、 その猫の鈴は何とかしておいてくれませんか。」 「はい、承知いたしました。」 店員はにっこり笑ってお辞儀をした。 了。
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