短編 #0700の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
古いラジオは、ぼつぼつとしか音を拾わない。 助手席には子供の首。 ラジオは何世紀も昔の歌を流し続ける。この電波は本当に苦流瀬市放送局からの 電波なのか? 死んじまった惑星の、小惑星群から流れてくる想い出だ。 俺はこみ上げる苦いものを薄いコーヒーで飲み下しながらハンドルを握る。 出かける前になじみの宿で詰めてもらったコーヒーは、とっくに温度をなくして ただ、ポットの中で揺れている黒い液体だ。 俺が悪いんじゃない。 受け取ったときにはもう首だった。新都の金瞳璃阿から廃都になっちまった苦流 瀬まで、輸送の仕事を受けただけだ。 俺は自分に言い訳しながら、何か楽しいことを考えようと試みる。赤い街角に花 宿。白や黒の女たち。手にする金で買う新しいトラック。タイヤはパンクしないや つがいい。もう何年も身体のオーバーホールをしていない。左目の照準はうまく合 わなくなって随分になるし、右肩は動かすたびにぎしぎしときしむのだ。修理に出 してもおかしくはあるまい。 いやどっちも新品を買おう。大金が手に入るのだ。 首を無事に届ければ。 また首か。 華やかな幻想を展開し損ねて俺はコーヒーを一口。 まずい。酸っぱすぎる。こんなのはコーヒーとは言えない。 帰ったら、いいコーヒーを飲もう。豆からひいた本物のコーヒーを。麻薬もやろ う。身体の隅々まで、ボルトの一本一本までしびれるやつを。脳だけイく安物はも うごめんだ。身体が暴走してひどいことになる。あの特上の薬は南の館で売ってる 最新の薬で噂によれば子供の…… 子供の脳から抽出する成分で出来ている。 まことしやかなこの噂は、くだんの薬の霊験あらたかなるを宣伝し、値段をつり 上げた。本当の所は売人でも知らない。 子供の頭上で水が跳ねた。 臭ってきそうな液体に、子供の首は浸かっている。命をなくした薄青い瞼の下に、 何色の瞳があったのだろう。 あのとき軍に志願していなければ、彼女と故郷で暮らしていれば、俺にもこのく らいの子供がいただろうか? 赤い砂を噛んで、タイヤがきしむ。 首を収めた耐圧ガラスのポットがごろりと寝返る。水が揺れる。 あの戦争で彼女は死んだ。流星がささやかなコロニーを襲った時に。 夜空を飾った二つの月も今はない。星々と、とぼけたヘッドライトだけが行く手 を照らしてくれる。 苦流瀬は地下都市で、新都のようなドームはない。遠くから灯りをのぞむのは無 理だ。それにまだ遠い。夜明けまでに着くだろうか。 車内には二つの灯り。 ラジオのパネルと首のポットが放つ青い燐光。 青ざめた、作り物めいた子供の顔。薄い瞼を透かして、瞳が動いたような気がす る。見たくない。眠っているだけにも見える、おだやかな表情。こめかみに透ける 血管。もう流れていない血液。 子供の首が高値で取り引きされている。噂だ。 若い女の首にも見える。街角で殺されていた、一度だけ抱いた娼婦。やつれて痩 けた青い頬。色鮮やかに染められた、赤い胸。 薄い唇。髪がゆらゆらと海藻のように揺れる。海藻を見たことがあるかって? もちろん見たさ、子供の頃、海洋館で。あんなにたくさんの水があるのか、人類の 故郷には。 ラジオが陽気な曲を流し始める。電波状況が良くなったのか、去年流行ったばか りのダンスミュージックだ。踊ろうとして踊れなかった苦い記憶。嫌いだが、今の 気分にはありがたかった。 もう一口、コーヒーをすする。ハイボールでも詰めてもらえばよかった。酒なら 冷えていても心を温める。まずいコーヒーの三倍値でも。 砂を噛んだ。また寝返りだ。水の音がする。 首の切り口が見える。すぱっと、見事に切断された組織。 透明なポットの中で、首がくるくると踊る。曲に合わせて。 培養液に浸されていても、もう死んでいる。俺のせいじゃない。俺の責任じゃな い。俺に何が出来たと言うんだ? ただの運び屋の俺に。俺は荷物を受け取った。 届ける。それでいい。 唇が開いて、白い歯がのぞく。きれいに並んだ、子供の歯。 この子の母親は、我が子の躯を抱いて子守歌を歌うのだろうか。首のない。 ラジオが子守歌を歌う。ゆらゆらと。 雑音がひどくて、聞き取れない。何か古い子守歌だ。ぶつぶつと低い声で、やさ しい子供の声で。 「俺が悪いんじゃない」 首に話しかけても死んでいる。 「俺が殺したんじゃないぞ」 アクセルを踏み込む。くそ、このボロ車は、ちっとも進みやしない。 ずるずると砂の上を這いずって行くのだ。子守歌のテンポで。 『そう殺したのはおまえじゃない』 誰だ。 誰が答えた。風か。 子守歌の雑音がひどくなる。 『殺したのはおまえじゃない』 子守歌がささやく。 なんてタイミングだ冗談じゃない。ラジオの電源を切り、コーヒーを……ない。 切れた。プラスティックのポットを投げ捨て、ボックスを探る。最後の一箱、紙巻 きの煙草があったはずだ。木星航路の奴からもらった…… 『殺したのはおまえじゃない』 陽気にスピーカーが歌った。 アクセルを踏む。電源は落としたはずだ! どうして切れない? 薬を買う金はもうとっくになくなってる。今は子供みたいにきれいな身体だ。 『殺したのはおまえじゃない』 もう一度同じ声が歌う。 ……これはセイレンだ。砂漠のセイレン。魔女が俺を呼んでいる。ハンドルが汗 で滑る。切れなくなる。そして最後には…… セイレンに呼び込まれないように、歌を歌うんだ、歌を。何でもいい。唸り声に しか聞こえなくても。 「こ、殺してない、運んでるだけ、だ」 さっきのダンスナンバーにのっけて、呻く。メロディなんて出てこない。 『そう殺してない。罪もない子供の首を運んでるだけさ』 続きのフレーズをラジオが歌った! なんてこった。セイレンの歌を聴いたら引 き込まれる。自分で歌を…… 『おいおまえ、僕がこれからどうなるのか知りたくないか』 声がはっきりしてきた。ノイズが消えている。 『運んでいる荷物が、何なのか知りたくないか』 アクセルを踏む。とてもとても耐えられない。 早く進め、車。生首の幻に憑かれるほど、俺はこんなにも疲れていたのか。 俺は五体満足だ。身体の半分以上は機械になっちまったが、まだまだ使える立派 な身体がある。タイヤはざくざくと乾いた砂を噛む。少しは進んでるのか、この! 『身体は焼却されたんだ。目の前でね』 スピーカーが微笑った。 首は瞼を閉じたまま、少しも変わらず死んだままだ。 『苦流瀬には水がない。水の工場を戦争で壊されたからさ』 俺の生まれた街だ。そして彼女が死んだ場所。郊外の家から、用事で出かけてそ れに遭った。砕かれた二つの月と一緒に降り注いだ、あの機械の死神たちに。 軍にいた俺が一度も出会わなかったのに、非戦闘員だった彼女はそいつらに殺さ れた。 奴らの投入で戦争は終わった。軍は解体され、この赤い星は取り残された。 すべての事から。外の世界がどうなったのか、わからない。誰も知らない。 この火星で、水のない都市は死ぬしかない。人の生き血をすすり救援までを生き 延びた奴らは、故郷を捨てた。今じゃ幽霊と麻薬商人くらいしかいやしない。 「く……苦流瀬の幽霊ならおかど違いだぜ。俺はおまえらを一人だって殺しちゃい ない。フォボスの戦線を維持できなかったのは悪かったが、今じゃこのポンコツ体 を引きずってようやっと生きてるって有様さ」 自分でもばかげてるが、幽霊に話しかけてしまった。 『水の工場は、頭を壊されただけだ。今でもかつて市民を養った貯水タンクには、 水がたっぷり蓄えられている。頭があれば、いつでもいくらでも使えるのさ』 「嘘をつけ、幽霊。そんな水があったら誰かが大金持ちに」 『頭がなければ使えない。この都市を攻撃した戦闘ユニットたちは、占領後、即使 用に耐えるよう破壊工作を行えと命令されたんだからな』 スピーカーは楽しそうに続ける。 『命令は実行された。だが、命令者は降りてこなかった。次の命令まで、ユニット たちは待機しろと命令されて、今も命令を守っている』 首都苦流瀬を攻撃した戦闘ユニットは、両手の指に足りないと聞いた。死に絶え た街で主の命令を待ち続ける、恐怖の殺戮機械たち……。人工の背骨に、何年ぶり かで悪寒が走った。 「なんで俺にそんな話をする」 『僕は、給水工場を稼働させるつもりはない。あんたが僕の首をこの砂漠に放り出 していってくれるのなら、何か金儲けのネタを教えてやる』 「……なんだって?」 『僕は工場の機械につながれるつもりはない。工場を稼働させるくらいなら、爆破 する。しかし現状維持が最後の命令だった』 瞼を閉じた、小さな子供の首。力なく殺されたいきものの首。 「……幽霊が」 吐き捨てるように言おうとして失敗した。 『車をとめろ。ボッドを割れ! 外から開けられる水のタンクを一つ教えてやる。 一生遊んで暮らせるぞ』 口の中が乾いて、痛い。タイヤと一緒で赤い砂を噛んでいる。 『金塊が詰め込まれた倉庫でもいい。その身体をオーバーホールできる、使われて ない自動システムの場所でもいい』 フォボスが散ったあの日、上官が言った。 「ちくしょう、奴らは悪魔の子供たちだ……ここはおしまいだ」 悪魔の子供たち。今のいままでこの俺が、想像できただろうか。その兵器の事を。 右腕で窓を叩き割った。どんなに改造を繰り返しても、故郷ほどには濃くならな かった大気が、風となって流れ込む。 風の音が、声を消せばいい。こんな首の、言うことが信じられるものか。俺の故 郷、俺の女、俺の人生! 俺は荷物を運んで金を受け取る。それが俺だ。 『いい暮らし……ない……か、れ』 車が悲鳴を上げている。思ったより早く進んでる。約束の場所、ああ、赤と青の ライトが二つ縦に並ぶ目印だ。 ブレーキを踏んで、ドアを開ける。左腕には首。 「早かったな」 約束の金さえ受け取れれば、相手など誰でもいい。割り符を交換し、金を受け取 る。スピーカーはもう、何も言わなかった。 男たちと首に背を向け、俺は車に戻ってキーを回した。よくなじんだエンジン音。 俺の相棒。 暗闇を、どれくらい走ってからだろう。 背中を、光が灼いたと思った。そして地響き。長く続いた。 空から水が、大量に落ちてきた。フォボス基地に降りそそいだミサイルのように、 そしてあの日苦流瀬の地上部分を焼き払った流星のように。 一財産どころか、火星そのものも買えるほどの水で俺と車はびしょぬれになった。 たぶん、俺は泣いていたのだ。
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