短編 #0672の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
南の壁際に備え付けられたベッドに腰掛け、ただだまってテレビを眺めて いた。左手の小さな窓からは、西日が安物の質素なカーテンの隙間を通して 薄く室内を照らしだしていた。テレビのちらついた光が、ときおり思い出し たかのように、出来損ないのコンクリの床を砂嵐でたたいていた。 なにもする気がおきない。 わたしはうつろな目でテレビを眺めていた。ベッドの横に置かれた目覚ま し時計によると、午後4時をいくぶんまわっているようだ。いつまでもこん なことはしていられない。かといって、わたしにはすることが何もなかった。 また、する気力もなかった。 ただ、たまらなく喉が乾いていた。 初めてそれが認識されたのは、実のところ1年も前のことだった。例年に ないほどの水不足。このところの異常気象というやつが日本各地で水不足を 引き起こし、北海道や一部の地域を除いて、給水制限が始まった。 このご時世、よほどの田舎でもなければ水道水を飲み水にする者はいない。 カルキなのか錆なのか、元々の水自体が汚れきっているのか、生で直接味わ ってみるなど、とてもじゃないが願い下げだ。しかし、そうはいってももち ろん、コーヒーや料理などには使うし、風呂や洗濯、皿洗いといった生活用 水一般、そして工業用水として、水は無くてはならない第一の必需品である。 給水制限が始まった頃は、誰しもがそれほど気に病んではいなかったよう だ。この数年ほど、水不足はなにも珍しいものではなくなっていたからだ。 気象の専門家がいくらテレビで見通しが暗いとはいってても、夏場を越え秋 になれば、目減りしている水量もそれなりに回復して制限も解かれるに違い ない。誰もがそう思っていたはずだ。いつものことだと。 しかし、今回の水不足には終わりがなかった。 秋になったが、台風の通り道といわれる日本列島に恵みの嵐は起こらなか った。冬になってもそれは変わらず、春の小川には流れるだけの雪解け水さ えみることができない有り様だった。 当然その間も日本全土で給水制限は続いた。制限される時間はだんだんと 長くなり、貯水池が完全に干上がるにつれ、一箇所いっかしょ都市の水道は 沈黙していった。 国民も政府も、そうなるまでただだまって見ていたわけではない。節水は もちろんのこと、海外援助の要請など、水を確保しようとあらゆる手を尽く してはいた。海水を、飲み水は無理としてもなんとか生活用水ていどに利用 できないかと取り組み始めたりもしていた。 飲み水はまだそれほど窮してはいなかった。「エビアン」などに代表され る自然水、ミネラルウォーターと呼ばれる商品がこれまでにも大量に海外か ら買い入れられていたからだ。それ以外にもコーラやコーヒーなどのジュー ス類を含めれば、1億3千万弱の飲料としてはなんとか足りていた。 だが、日本中の水道が完全にその機能を停止してしまうと、じょじょに破 綻が忍び寄ってきた。それまでにも不足していた工業用水が、海外とコネの ある大企業以外、まったくといっていいほど手に入らなくなってしまい、あ っというまに日本の経済は荒廃をむかえた。 街には失業者があふれ、各地で暴動が起こった。 頼みの海外援助や、海外からの輸入にも限度があり、水は金よりも貴重な 価値を持った。飲料水は日毎に値上がりしていき、失業することはすなわち 渇くことだった。 純金のごとく水を使うことが出来たのは、一部の金持ちだけになった。も っとも、それだけ財産を持っている金持ちや有名人などは、とっくに海外脱 出を果たしてはいたようだが。 こうなるともう、渇き死にする者も珍しくなくなり、神だけが頼りの信仰 宗教に走る者も多く、水が元の殺し合いは茶飯事になり、はては一家自殺や 集団自殺が、日本文化最後のはやりとなっていった。 日本は完全にひからびてしまった。 することもなく、人気もない東京のアパートの一室で、わたしはミネラル ウォーターの空きビンを窓から投げ捨てた。4階からコンクリの道路に落ち たビンは、遠い音をさせて砕け散った。 路面はにわかに黒ずみを見せ、日本という国の最後に夕立が降りそぼった。 (完) *(VTA80326) 【パグ】
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