短編 #0600の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
もうすぐ終わるだろう。これでぼくもぼくの義務を果たせるだろう。 くだらない話だった。どうしてこういうことになったのかも、話したくはない。 とにかくぼくは主に父とのからみのために、ある組織に入って、ある奇怪な存在と 戦うことを余儀なくされている。 正直いって、ずいぶんながいあいだ、ぼくはこの組織、この場所になじめていな いような気がしていた。同僚に、ドイツ帰りの生意気な女の子がひとりいて、その 子がこの組織にきたころには凸凹コンビとして傍目にはずいぶんなじんできたよう にも見えていたかもしれないけど、ぼく自身にそういう実感がまるでなかったのは まちがいない事実だったんだ。 自分でもたしかに思うよ。才能はあったかもしれない。けれど、ぼく自身はこの 組織で与えられた職務をこなすことに関しては、いささかの情熱もおぼえていなか ったから。どこかやる気のない、優秀だが熱意のない態度をとっていたっていうこ とはね。 ぼくはただ、静かに、しあわせに暮らしたかっただけなんだけど、それがぼくに 期待された役割からはほど遠い望みだったんだってことも感覚で知っていた。それ があるひとにとっては歯がゆかったんだろうし、またべつの種類のひとにとっては 嫌みな態度とさえ思えていたんだと思う。 だから、いつのまにかつめたい距離をおいて陰口の壁のむこうがわに追いやられ るようになっていたのも、とうぜんのことだとぼくには思えたんだ。 そういうぼくの、悪い意味で達観した態度が、それこそよけいに一部の連中の反 感を刺激したんだろうけど、ぼくはそれでもべつにいいと思っていたんだ。ほかに いく場所のあてがあったわけでもないし、どこへいってもまわりの人間の態度なん てそんなにかわらないじゃないかって、そう、あきらめてもいたのかもしれない。 べつにたいしたことじゃない。 そういう顔を、むりにしていたんだってことも、自分でわかっていた。 ただ、そのころ、心の底ではたしかに苦痛と感じていた居心地の悪いこの場所に、 ぼくがすました顔をよそおっていすわりつづけていたのは、ほかにいくあてがなか ったからだけじゃなかったんだ。 意地になっていたんだと思う。 必要とされていたかどうかはわからないけど、すくなくとも嫌悪感をもたれ、つ まはじきにされていたその状態に敗けて、ほうきで掃き出されるみたいにして逃げ 出していくのがどうしてもいやでたまらなかったんだ。 いないほうがましだ、と思われてるんなら、意地でもいすわりつづけてやる。 そういうふうに、考えていたんだ。 早雲山の駅前に、おいしい天丼屋ができたってうわさになったのも、たぶんその ころだったと思う。そう。よくおぼえている。だって、ぼくはその店に一度もいっ たことがなかったのだから。 組織の職員たちのあいだでは、その店のなんとか天丼とかいうのが特にこの世の ものとも思えぬおいしさだって評判で、ぼくの周囲のひとたちも何度かつれだって そこへ食べにいっていたらしいんだ。それで、うわさ以上のおいしさだったとか、 また何度でもみんなで食べにいこうねとか、特にドイツ帰りの女の子なんかを中心 にしてそういうふうにさわぎたてている光景を何度か、ぼくも目にしていた。 もちろん、ぼくは一度だってさそわれなかったし、さそってほしいなんて思って もいないんだよ、というような態度をこれみよがしにとってもいたんだ。 さびしかったけどね。 でも、ぼくなんていないほうがいいんだって、そのころは思っていたから。 だからいすわりつづけてやるし、それでもさそわれもしない場所にすすんで仲間 に入れてもらうほどのこともないって、自分にいいきかせつづけていたんだよ。 いま思えば、ずいぶんばかなまねをしていたなって感じだけど、それでもこれは ぼくの習い性みたいなもので、いまでももしかしたら似たようなことをくりかえし ているような気もするけどさ。 それでもその状態を見かねたぼくの上司のひとがよけいなおせっかいを焼いてく れて、「かれとの仲がうまくいかないのはなぜか、かれをもまじえて考えよう」な んておぞましい場をセッティングしてくれたりもしたのさ。 ぼくにとってはいい迷惑でしかなかったけど、せっかくだからこの機会を利用さ せてもらおう、そう思ってぼくは、その席上でぼくの思っていることやぼくの感じ ていることをできるだけ正直に、他人に憎まれるかもしれないようなことでもつつ み隠さずに(ある意味では露悪するような気分で)ぶちまけたんだ。 もちろん非難ごうごうで、まさしく隠されていた不満やら嫌悪感やらが堰を切っ たようにどっとあふれかえってぼくにむかってあびせ返されたんだけど、ぼくには 不思議に爽快な体験だったし「「ある意味で、ぼくをきらっていた連中にとっても おなじような効果を、そのできごとは発揮していたらしいんだ。 そういう意味では、くだらないおせっかいもぼくにとっては感謝すべきものだっ たのかもしれない。 とにかくそれ以来、ぼくをきらっている連中はぼくへの嫌悪感をあいかわらず抱 きつづけてはいたようだけど、以前のように組織的で陰湿ないやがらせはしないよ うになったし、そうでない連中はなんとなくそれまであった壁がなくなってでもし まったかのように、どことなく気軽にぼくに接してくれるようになったんだ。 そしてごくたまには、ぼくをきらっている連中とさえいっしょにどこかへ出かけ るという経験もするようになったし、それはそれで案外楽しい経験だったりもした んだ。 つまりどうやら、よくも悪しくもぼくという人間がかれらに理解されてしまった ようなんだ。それによってよけいな垣根はとりはらわれて、ぼくはそれ以前にくら べればずいぶんよく笑うようになったらしいし、ぼくのほうからどこかへいこうと か何を食べようとか誘うこともできるようになっていたんだよ。 そしてぼくは気づいたんだ。 そうなってくるとその場所はずいぶん居心地もいいし苦しいことも多いかわりに 楽しいこともたくさんある、なかなか悪くない場所だってことに。 要するに、ぼくはここにいることを容認されたんだ。ぼくはここにいてもいいん だ、ってことにね。 そしてもうひとつ。 ぼくは、ここにいたくはないんだ「「ということにもね。 意地になって、むりにいすわりつづけていた反動もあったかもしれない。 でも、そこでやっていた仕事は、ぼくの性格にはまったくあっていない、精神に 澱をためていくような、ぼくにとっては非常に重圧のかかる仕事だったんだってね。 それに、そうやって組織を円滑にすすめていくために浄化作用をむりやり演出す るようなその組織の体勢にも、やっぱりぼくは違和感を感じていたんだ。 だからぼくはもう、決めたよ。 つらい仕事だったけど、すくなくともぼくのいるポジションにおいては、もうす ぐめどがつきそうなんだ。これでぼくも、ぼくの義務を果たせると思う。 だから、それが終わったら、ぼくはここを去る。 そういうことさ。 そうそう。例の天丼屋の話だけど。 後日、仲間の数人といってみたんだ。ぼくのほかはみんな、そこの天丼の味を知 っていたひとたちばかりだったけど。 想像していたのとはかなりちがう味だった。でもおいしかったよ。 それでも「「ぼくは、ぼくの想像していた味を、このぼくの手でつくりたくなっ たんだ。 だから。 ぼくはつぎの場所へいく。 それだけさ。べつに深い意味なんかないけど、そういうことなんだ。 ぼくはここにいてもいいんだ。 でもぼくはここにはいたくない。 「「了
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