短編 #0563の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
私は文字を知らない 数字もよく記憶していない 時間が足りない だから、この文章も間違いだらけだろう それでも書きたい 何故書くのか 自分でも分からない ただ書きたい 忘れないうちに早く書きたい ラジオ深夜便が始まったのは5年くらい前かな? 民間放送のくだらない低俗な深夜番組には飽き飽きしていた さすがはNHK 内容はおおむね私の好みや趣味に合う 特に気に入ったのは 松川陽介(文字不明)アナウンサー担当の『わたしの思い出の歌』 聴取者の手紙を読んでは、ナツメロのレコードを掛ける ナツメロも好きだが、松川アナの手紙の朗読が素晴らしい! 手紙の内容が良い上に、朗読が良いのだ 松川アナの声は静かだ 発音も明解で間違いが少なく 何よりも、心を込めて話し掛けるように朗読してくれる 手紙の内容は古い思い出がほとんどだ 聴取者は私より年上の人が多く、戦前から戦中・戦後間もない頃の話 私の記憶や心情にも通じ、共鳴し共感を呼ぶことが多い 松川氏のアナウンスはいい! 中西龍アナウンサーの『語り』にも定評があるが、あれは若干オーバーだ さて、その松川アナウンサーの『深夜便』が、今夜限りで終わると聞いた。 何故なんだ 大分以前から、2週間に一度くらいしか放送に出なくなっていたが それは、評判が悪いからか? そんな筈はないから、何かの理由によるのであろう 深夜便をやめた後、どういう身の振り方になっているのだろうか? 定年退職なのか、それとも出世して偉くなるのかな それならいいけれど 出世して偉くなるような人柄とも思えないが… 偉くなる人は、立て前と本音を上手に使い分けられる人間でなければならない筈 松川氏も、そういう人なのだろうか 私は人物を見分ける能力がないからなあ それはともかくとして 今日で放送が終わりになるのなら 今夜はラジオをじっくり聞かなければ… でも、今は書きかけの文章があり、途中で休むとうまく書けなくなってしまいそう だ どうせ『わたしの思い出の歌』は午前3時からだから それまでに何とか書き上げて それからゆっくりラジオを聞くことにしよう 3時近くなったので、ラジオのスイッチを入れた 「わたしの思い出の歌、後半は、3時のニュースの後になります。」 しまった! 2時から『前半』があったのか! そんなら、へたくそな随筆など書いてるんじゃなかった 最後の放送を心ゆくまで聞くべきだったんだ しかし、人間は勝手なものだ 今までに何十回も聞く機会はあったのに ついつい忘れて眠ってしまっていて、今日急に名残惜しいなんて言ったって 『わたしの思い出の歌』の後半が始まった 「まず初めに、『教科書の中の作品』の朗読をお聞きいただきましょう。 朗読は某アナウンサーです。」 そんなもの、今日はやめて欲しい 松川さんの名調子をなるべく沢山聞きたいんだ 『親友史?』とかいうタイトルのその話は、まずまず面白かったし 朗読も悪くはなかった けれども、その10数分間が随分長く感じられた 話の内容も 私が子供の頃に、やはりラジオで聞いた、今回とそっくりな絵の友達の物語の方が 数等倍深みがあったような気がする その話は確か 自分が書いた馬の頭の絵と、友人がチョークで書いた風景の絵との比較 どんなタイトルだったか覚えていないが 『親友史?』よりも優れた作品だったような気がする 「それではこれより、わたしの思い出の歌、後半になります 沢山のリクエストをお寄せいただいておりますので、まことに申し訳ございません が 今夜は曲を2番までで停めさせていただきたいと存じます。」 いつもならナツメロを楽しむ私が、今日は歌が煩わしい 「最初のお便りは、□県□市の■■さんからです。 …………。」 「次のリクエストは、□県□郡□町、■■さんのご希望曲、昭和●年のラジオ歌謡 山茶花の歌、成美秀夫(文字不明)さんの歌でお届けします。」 これは私のおぼろげな記憶にしかない歌で、聞いてみると大変上手に歌っている 以下省略 私はアナウンスとナツメロを聞きながら、悲しい気分になっていた それは私の現実的な日々の苦しさ・情けなさからもたらされる憂愁でもあるのだ 昨日の昼、勤務先の学校から電話が入った 今は春休み、年度替わりで管理職や主任たちは忙しかろう だが、私は58歳の平教員、運営方針など預かり知らぬ所 それでも、今年度私は必死に努力を傾けてきたつもりだ 今の教育界は荒廃している 生徒も生徒なら先生も先生だ 詳しいことは今は書けないが 私は毎日どんなに心理的苦労をしているか、他人には分からないだろう それが、昼の電話で、またまた難題を押しつけられた もう沢山だ 部主事が電話を掛けて来た時には、いったん断ったが 今度は教頭が掛けてきた 日頃に似合わぬ高姿勢の言い回し 教頭と言っても、いわば私の後輩である しかしながら 年齢も、学問も、誠意も、努力も、使命感も…… そんな物は何等の力もない ただただ、事無く丸く納めるのが全て? 『松川さん』の人気は絶大だ どの手紙にも、賞賛と別れを惜しむ言葉が述べられているから 誰が聞いても、良い放送は良いのである 松川アナウンサーは、愛情を込め、誠意をもって、温かな放送を続けてきた 聴取者も満足し、松川氏も満足しているに違いない さぞかしアナウンス冥利につきるであろう それに引き替え、この私はどうなのだ 怏々として楽しまない 35年間の盲教育・理療科指導にたずさわってきて 感謝とまでは言わなくても、労苦を分かってくれる卒業生が何人いるだろうか? もしかしたら、ほとんどいないかも知れない やはり私の人格の至らなさなのだろう そうは言っても、どうしようもないではないか。 自分は何のために『頑張って』きたのか? ただ単に給料をもらうためばかりではあるまい 松川アナウンサーの最後の番組 テープレコーダーもラジカセも壊れていて録音できなかった。 残念だが、あるいはそれでよいのかも知れない 世の中に永遠な物はない 消えて無くなるなら、それも良かろう 「皆様からのお便りが、段ボールに何十箱にもなりました。 この3月で私の放送が終わりになると決まってから、 毎日それらのお便りを読んでいて、 今更のように懐かしく、ありがたく、悲しく、涙しながら拝見しております。 勿論、中には厳しい叱責もいただきました。 これらを私の生きていく宝として、大切に保存させていただきます。 今の正直な気持ちを申しますと、…ただ、感謝…。 最後に私の好きな言葉を申し上げて、放送を終わりにしたいと思います。 生きていて良かった 生かされていて良かった 貴方に会えて良かった ……… それでは皆さん、お元気でお過ごし下さい。 ごきげんよう さようなら。 [1996年3月22日 竹木貝石]
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