短編 #0492の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
玲子は軒下の風鈴をじっとみつめて居た。 涼しそうな絵柄の硝子は微かな風 に深海を思わせる蒼で輝いて見せた。 だが、その舌に吊るされた短冊はくるく ると緩やかに回って見せるばかりで一向にその舌で鈴を打ち鳴らす気配は無い。 玲子は手にしていた団扇で扇ぎかけたが、ふとその手を止めた。 無表情に振り 返ると薄暗くなりかけた部屋の角におかれた机の上の時計に眼をやり、そして静 かに左腕を持ち上げる様に折り曲げて、腕時計の針をみる。 折られて曲げ上げ られた左腕を浴衣の袖が滑る様に下がり、透ける様な白い腕がみえて居る。 着痩せをする玲子の豊満な肢体には浴衣が良く似合って居た。 鳴らぬ鈴の音に見えぬ風を怨みましょうか… 見えぬ風の姿に 此の手を差し出して闇に笑顔を捨てましょうか寂しさもう一度 思い出しましょう… あなたは旅人、時は巡り繰り返すだけ… 玲子は静かに腕時計を外し机の上に置いた。 もう一度軒下の風鈴を振り向いて見たが、相変わらず短冊は頼りなく靡いて見せ るばかりで、鈴の音は微かにも響きそうには無い。 玲子はガラス戸を閉め、カーテンを引いた。 暗くなった部屋を横切り、玄関 のドアを開けると燃え残りの夏が湿った熱で覆った街が見えた。 鍵を掛けた手 が、なかなかノブから離れない… 約束の時間はとっくに過ぎていた。 閉ざさ れたドアの中から電話のベルは聴こえてきそうにも無い… ただ無人の静寂が息 を潜めて居る… 闇の気配だけが何処までも広がって感じられるばかりだ。 諦 めた様にドアを離れて歩き始めた玲子に行く当てなどは無かった。 街は夏祭りで賑わっていた。 道行く人々は夫々に幸せそうに見える。 誰も が夏祭りの夜を待ちわびて居たかの様に… そして今、其れを満喫しようと陽気 にはしゃぎながら射翳夜に輝いている。 熱い風の尻尾が街を撫でて行く。 玲 子は独りで壕縁の公園へと向かった。 其処には古くからの大きな人工池があり 毎年の夏祭りでは目玉の花火が打ち上げられる所だ。 池の周りは沢山の人山だ ったが… その中でたった独り… ただ独りぼっちだと玲子は痛感した。 独りでぼんやり佇む美しい玲子を陽気な男達は見逃さない… あからさまに誘 ってくる若者… 興味深そうに眺めて通り過ぎる若者… 嫉妬に近い女達の眼差 し… そして全ては一瞬のすれ違い… 待つ人も、約束も失った玲子にとってい たたまれない時間はとても長く感じられた。 独りで暗い部屋に蹲り、朝の来る のを待って居た方が余程ましだったかも知れない… 何だか、その方が絶えられ ないほど寂しくて辛い事の様に思えたから独りで出て来たのだが… 取り留めの ない苛立ちが悲しみにすり換わる。 物憂い無表情の玲子を突然照らし出したのは夜空に打ち上げられた花火だ。 青… 紫… 緑… 赤… 光線色に照らされた玲子は一層美しく見えた。 煙り が夜空で弾ける頃、湿った風の中で隠るように丸い炸裂音が響く… 歓喜のどよ めきも綺麗な光りも、玲子の知らない所で、何処か遠くに感じられて居た。 何気なく人垣を辿って居た玲子の視線が止まった。 みんなが皆、打ち上げられた花火を見上げている時、花火など気にも止まらない と云った眼差しで視線を水面の上に覆い被さる闇にさまよわせている… その周 りの人の影形さえ定かには見て取れぬ距離にありながら、その人の眼差しだけが つい目の前の事の様に分かる。 ひとつ… ふたつ… みっつ… 幾つの花火を 数えたのだろう… 玲子は相変わらず無表情なその視線の虜になって居た。 人混みの中を流れるように縫いながら、少しずつ近寄って行く自分に気付きな がら、玲子は肯定も否定もしない。 誰か他人を見て居る様な無意識の中で意識 が麻痺して無意識のもっと奥の方で玲子自身を見つめる玲子が居た。 玲子がや っとその人の側に辿り付き並んで立つ頃、夏祭りの花火は最高潮に達していた。 一際大輪の光りの花は見事に観客を圧倒する華やかさで湖面を覆い尽くした。 玲子は今宵の花火を初めて見上げた。 花火にも増して美しい玲子の横顔は、幸 せそうに微笑んでさえ見える。 玲子が夜空から視線をゆっくりと降ろして行き 隣に立って居よう筈の不思議な眼差しの主の方に向けられた時、初めてその人と 玲子の視線が合った。 一陣の清々しい微風が吹き抜け、玲子はその風を初めて 涼しいと感じた事で、まとわりつく様な熱気の中に在った事に気付いた。 その 人は一瞬戸惑いの色を隠さず玲子の瞳を見つめて居たが、微笑み掛けた玲子につ られてか、直ぐに優しい微笑みを返して来た。 玲子は不思議と落ちついて居た。 初めて出逢う人とは思えない… 今日此処で待ち合わせて居たかの様な… 逢う 事が当然の様に、約束されて居た事の様に… ごく自然に思えて居た。 極自然 に思えると云う事にさえ気付きもしなかった。 花火は時折大がかりな仕掛け花 火を交えながら、祭りの終盤へと走り続けて居る。 周りの観客の歓声に混じり 玲子も感嘆の声をもらす。 時折眼差しを向ければ微笑みながら見つめ返してく れる… まるで、恋人同士の様だと思った時、恋人同士では無かった事に気付く … だが、そんな言葉や形に縛られる必要の無い、確かな一時… 今まで一度も 思いもしなかった幸せに抱かれた時間が心を満たして居る。 花火が終わると夏祭りも終わりだ。 それは間違いなく、夏が終わった事を告 げている。 夏は今日を境に緩やかな放物線を描きながら晩夏を経て初秋へと向 かう… 暑さも輝きも熱から冷めて透明な光りと影に換わって行く。 束の間の 夏は、今宵の花火の様に一瞬の華やかさを引替に燃え尽きる。 夏の虫達がその 短い命を終える様に… 鳥達が収穫の秋を目指す様に… 草木が実りを始める様 に全てが移ろい姿を変える。 取り残されるもの達は見送り迎え… 繰り返す時 の中を無意味にさまよう… 玲子はその人に寄り添い人々の流れに混じって居た。 気の早い露天の屋台は既に片付けに取り掛かって居る。 店の前で座り込みの実 力行使に出て居る男の子… 鳴きながら抱き抱えれて退散する男の子… 名残惜 しそうに手を繋いだ若い男女… 家族… 恋人… 友達… 様々な繋がりが織り なす祭りの終わりを描いた風景にも何一つ変わりのない繰り返しと云う名前の幸 せが在るものなのだろう。 その繰り返しを護れるか… 壊すか… 壊れるか… やはり、人間もまた時の流れの中では不変で無意味では居られないもののひとつ だったのだ。 玲子がその人に寄り添う様にして歩いて行くと、店の軒先に風鈴をびっしりと 吊るした屋台が目に留まった。 硝子の風鈴は裸電球の飾りの無い光りを受けて 輝き、さながら夏の草原から海辺へと吹き抜ける光りの風の様に透明に輝いて見 える。 夫々の鈴は夫々の舌に吊るされた短冊が受ける僅かな風に鳴り響いて居 る様に見えたが、玲子達が屋台の前まで来ると短冊は突然動きを止め、鈴は響き を忘れた。 二人は気に留めるでも無い様子で、その前を通り過ぎたが二三軒先 の屋台の辺りで立ち止まった玲子が振り向いた一瞬、爽やかな風が吹き抜けて、 響きを忘れて居た風鈴は壊れんばかりに一斉に鳴り響いた。 店の前にいた沢山 の人だかりの中には一組の若い家族の幸せそうな顔があった。 二人の子供を連 れた夫に寄り添う若い妻は優しそうで生き生きとして居た。 突然鳴り響いた鈴 の音に、子供達ははしゃぎ喜び、妻は驚いた様に微笑んだ。 夫は、一瞬虚ろな 眼差しで確かに玲子の瞳を見つめて居た。 その眼差しには悲しみの色は無く、 ただ遠い何かを思い出した様な懐かしそうな… そして優しい眼差しだった。 玲子はとても満足そうに微笑んだ… まるで、其れはあどけない少女の様な可 愛い笑顔だった。 人の流れが疎らになる辺り、池から離れて小高い丘を抜ける小道に差し掛かる 頃、その人は気配もなく立ち止まる。 玲子には分かって居た。 その人は此の 池から、もうこれ以上離れられない事を… それは玲子が、もう十数年もの間、 果たされる事のない約束を信じて、毎年の夏に此の池に通い続けている事と同じ 事なのだと… 玲子はいっそこのままその人と共に此処に留まっても良いと思っ た。 或いはそう思った瞬間、全てに終止符が打たれたのかも知れない。 玲子は、その美しい顔に安らかな笑みを浮かべると、忍び始めた夜霧に融け込 む様に静かに幽いで消えて行った。 聖 紫
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