短編 #0401の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
子供のころ、ぼくは異常に頭ばかり大きかった。そのせいだろうか、幼稚園 に入るころまで、ぼくはよく転んで膝を擦りむいては、足に白い包帯を巻いて いたのを覚えている。 小学校から中学低学年までの僕のニックネームは、すべて頭に関係するもの であった。曰くでか頭、曰く絶壁、曰くきんちゃく等々……直接言われた訳で はないが、中にはざる頭とか空天(からてん)などというひどいあだ名も、陰 で囁かれていたらしい。大人になって背丈が大きくなってからは、あまり目立 たなくなったが、物心づいてから大人になるまでの十年近くの間、僕は異常に 大きな頭ゆえに、ひどいコンプレックスを味あわされたものだ。 旧制中学に入ったとき、学校に洋服屋が出向いてきて、身長や、胸囲や、頭 の大きさなどを測って、からだに合ったサイズのものを新入生に届けてくれた。 だが、どこでどう間違えたのか、僕に届けられた帽子はぜんぜん頭に入らなか った。 その頃、僕はひどく内気な少年で、洋服屋へ一人で行って「帽子を取り替え て下さい」と言うことができず、叔父に中学のすぐ前にあるその洋服屋へ連れ て行ってもらった。叔父の説明に、洋服屋の店員はその店にある一番大きな帽 子を出してきたが、それでも僕の頭にはきちきちで、結局のところ帽子の後ろ を切って、黒い紐で絡げて被っていたものだった。 その中学の同じ学年には、もう一人頭の大きな生徒がいた。高田君といった が、これがまた途方もない秀才であった。 東京の下町にあったその中学は、学年が進む度にクラスが編成替えになるの だが、僕はその高田君と、一年と三年のときの二回、同じクラスメートとして 顔を合わせた。 高田君の秀才ぶりに、ちょっと触れておこう。彼はぼくと同じく、早生まれ でその中学に入ってきた。旧制中学というのは五年制で、四年から旧制高校の 受験が可能である。その中学では毎年何度か、三年生、四年生、五年生、そし て補修科生(中学に付属した、浪人を対象にした予備校のようなものの生徒) と、合わせて千人に近い在校生が上級学校受験のための模擬試験を行うのだが、 彼は三年のとき、四年・五年・補修科生をおさえて早くもトップに立ってしま った。 当然のことのように、彼は四年から旧制一高(現東大教養部)に入り、その 一高の理科甲類(現理科1類)をトップの成績で卒業した。そして「君は秀才 だから物理へ行け」という訳で、いやおうなく彼は東大理学部の物理学科に入 学させられたのである。 後日、と言ってもかれこれ十数年も後のことになるが、僕はたまたま一高で 高田君と一緒だったという人と、話をするチャンスがあった。防衛庁の研究所 に勤務していたその人も、一高から東大の、それも戦前戦中を通じて工学部で は最難関と言われていた航空工学科にストレートで入ったというのだから、か なりの秀才のはずだが、「高田君という人を知っていますか?」という僕の問 いに、彼は畏敬の念をこめて答えたものである。「あんな秀才は、外に見たこ とがない」と……。 ところで頭の話だが、中学三年の時の休み時間にクラスの連中が教室の中で ガヤガヤと騒いでいたのだが、その中の一人が突然言い出した。 「高田の頭は随分とでかいんだな。この頭で勉強するんだから、俺たちかない っこないよ」 すると高田君は、すぐ目の前にいた僕の頭に目をやって言ったものである。 「頭なら俺より城の方がでかいぞ」 その場に居合わせた十人あまりのクラスメートの目が、いっせいに僕の頭に 注がれた。このときの、僕のみじめな気持ちを察して頂きたい。なにしろ僕は、 同じ学年の二百五十人ばかりの生徒の中で百番台の、それも後半の辺りをうろ ちょろしていたのだから……。 だが、その空天の僕も中学五年の秋になって、おおいに発奮して猛烈な受験 勉強を開始した。そして何よりも先生方の熱心なご指導あっての上のことなの だが、首尾よく東京のある旧制高校に合格した。 弊衣弊帽というのは、旧制高校生のシンボルである。そして、その頭の上に のせられた白線帽というのが、旧制高校生にとってはシンボルの中のシンボル だ。ぼくは合格発表の夜、興奮のあまり例の帽子をピリッと十文字に引き裂い て、そこを黒い糸で絡げると、母の裁縫箱から白いテープを捜し出して、帽子 の回りに縫いつけて白線帽を作り上げた。そして翌日から、別に用事もないの に町の中を一人でぐるぐると歩き回ったのである。 東京の都心から電車で四、五十分はかかる、当時人口にして四、五万の、さ して知的水準が高いとも思えないその小さな都市の小学校から、旧制高校に入 るのは、毎年せいぜい一人か二人に過ぎなかった。だから僕が旧制高校に入っ たという噂は、頭につけたニックネームで僕を呼んでいた、小学校の同じ学年 の、何百という人達の間に忽ちの中にひろがった。僕はこのとき初めて、頭に つけられたニックネームゆえの劣等感から解放されたのである。戦争がようや く敗色濃くなっていった、昭和十九年の三月のことであった。 戦争が終って、人々がようやく虚脱感から解放されると、回りにいろいろな グループが誕生し始めた。男女の交際も自由になり、僕の小学校の友人たちも、 女子のクラスを含めて一緒に文化活動をすることになった。 男女の交際の自由というのは、僕らの時代の若者のとって、まさに晴天の霹 靂であった。今まで夜空の星のように遠くから眺めているだけだった若い女性 たちが、急に流れ星になって目の前に落ちてきたような感じだった。 グループ発足の日、何年かぶりに母校の小学校の教室に集まった二十人ばか りの卒業生の中で、ほぼ半数はその前年に高等女学校を卒業した若い女性たち であった。 「あら、わたくし達の学年にも高校生がいたにね」 たまたま前にいた女性の小さな囁き声を耳にして、僕はあらためてそこに集 まった男性たちを見まわした。回りには何人かの私立大学や高等専門学校の学 生がいたが、白線帽を被っているのは僕ひとりである。得意満面で帽子を被り 直そうとした僕の耳に、再び小さな囁き声が聞こえてきた。 「あなた小学校のとき、あの人のこと知ってた?」 「あら! あなた知らないの……あの人、男の子のクラスで空天って言われて た人よ」 “俺は空天なんかじゃないぞ! この白線帽が何よりの証拠じゃないか”僕 はその声の主を睨みつけて、心の中で叫んだ。 それから間もなく、旧制高校出身者の帝国大学への優先入学の特権が廃止さ れて、高校の三年間ろくな勉強もしなかった僕は、白線浪人のうき目に合うこ とになった。 そんなある日、むかし父が仕事で使っていた川合さんという人の弟が、岩手 県の田舎から父を頼って上京してきた。僕より四、五才年上だったろうか、そ の弟の方の川合さんは父の友人の経営している会社に就職し、夜は技術系の各 種学校に通学するようになった。 ある日、その川合さんが家に遊びにきて、僕の白線帽を見つけて言った。 「成ちゃん、その帽子ゆずってくれないかな。学校ではみんな学生帽を被って るんだけど、帽子屋へ行っても売ってないんだよ」 そして僕は、自分の頭に八年間かぶり続けたあの思い出の帽子と決別したの だった。 ひと月ほどたって、また川合さんが家に僕を訪ねてきた。見ると帽子を被っ ていない。僕は不審に思って訊いた。 「川合さん、僕のあげた帽子どうして被ってないんですか?」 「いやぁ、成ちゃんの頭ってでかいんだな。あの帽子、俺の頭にはぶかぶかで、 都電の窓から首を出してたら風で飛ばされちゃったよ」 そして二十年の年月が流れた。 僕の住所宛に、母校の旧制高校のOBだという人から、寮歌祭に出て欲しい 旨の案内状が送られてきた。 土曜日の午後、日比谷公会堂で行われた寮歌祭に僕は出席しなかったが、テ レビで放映されるというのでそれを見ることにした。 初めて見る寮歌祭では、政界・財界のお偉方が大きなのぼりを立て、朴歯の 下駄で床を踏みならして、寮歌をがなり立てながら踊り狂っていた。メーカー の管理職のはしくれに過ぎない僕も、寮歌祭に出ていればあのお偉方と一緒に 踊りながら、過ぎ去った青春を謳歌していたことだろう。 そのとき、ふと僕はテレビの画面の中で踊っている人たちの多くが、あの古 めかしい白線帽を被っているのに気づいた。何故なのだろう? 何故みんな白 線帽を被っているのだろう……そうだ、多分ここで踊っている人たちは、きっ と青春の思い出である白線帽を、何年ものあいだ大切に持ち続けていたのだ。 僕も持っていればよかった。あの帽子は、きっと僕の頭に乗せられることを望 んでいたのだ。川合さんの頭に乗せられることを、帽子はみずから拒否したの だ。そうでなかったら、八年ものあいだ僕の頭に被られ続けてきた帽子が、ほ んのひと月ばかりの間に無くなってしまう筈がない……。 僕の脳裏で都電の窓から飛んでいく各線帽が、風に舞いながら、次第に小さ くなって消えていった。 (完)
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