短編 #0332の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
魔女の家 町に一軒しかない床屋の角でひび割れた舗装道路を北に曲がり、すこし頭のおかし いハンク爺さんのボロ小屋を左手に見ながら枯れかけた楓の小さな木立ちを通り抜け、 蛙も住まない小川を渡るとそこはもうアンビル・バレイの鉱山跡だ。雑草と赤茶けた ガレキで埋め尽くされた数千エーカーの荒れ地を小一時間も登って両側の岩崖が迫って きたところ、細い坂道のどんづまりにその魔女の家はあった。 魔女は――すくなくともノックスビルの子供たちには――気も遠くなるほどの年寄り で、伝説のエム・アンド・ケイ・スチールが健在であった遥かな昔からこの地に住み ついていると信じられていた。……もっとも彼らのうちで、老人たちが郷愁とともに 語るその古き良き時代がいったいどれぐらい昔なのか、はっきり知っている者は一人 もいなかったのだが。……中央駅舎に数十分ごとに大陸横断の長距離列車が滑り込み、 石だたみを早足に歩く何百もの靴音がホールに響いていたというその時代。いま週に 一度オークス雑貨商のトラックが埃をたてて走るメインストリートには雑草が膝のたけ ほども生えて、この見捨てられた町に過去の繁栄の名残りはもうどこにもない。 「ちょっと、あんた。どこまでついてくるつもりよ?」 アンは振り向いて言った。 「せめて今日だけは悪戯はやめてよね」 ビリイはにやにや笑うだけで何も言わない。少女は弟の汚れた顔をせいいっぱいの 威厳をこめてにらみつけた。 「まさか、またルシファーをからかうつもりじゃないでしょうね」 「……知らねえよ」 「あのね、今日は遊びじゃないんだから。……絶対に邪魔したら承知しないからね。 あんた穴が開いてて馬鹿みたいよ。にやにや笑ってないで帰んなさい」 三日前に抜けた門歯のことを言われて不機嫌そうに舌を出すと、ビリイはまわれ右 して両方の腕を回しながら石ころだらけの小道を飛ぶように駆け下って行った。 「まったく……。いつまでたってもガキなんだから」 「そう言うなって」 フレッドがかばうように言った。 「きっと寂しいのさ……。来週の初めじゃないか、きみが町を出るの」 「そんなんじゃないわよ、あいつ」 アンは溜め息をついた。 「ほんと、ガキなだけ……」 姉の一行が岩影に隠れて見えなくなるところまで降りるとビリイは道を外れ、ざら ざら落ちる乾いた砂礫の急坂を広い歩幅で登り始めた。ベイカー・ヘッジの露天掘り跡 を通りぬければ姉たちの先回りが出来る。……血のように赤い汚水を溜めた深い縦抗が いくつも口を開けている岩場はこの上なく危険な場所だったから、大人たちは子供た ちにそこへの立ち入りを厳しく禁じていた。しかし結局のところ少年たちはひとり残 らず、その魅力的な土地を味わい尽くすことになるのだった。 遊び仲間に入れてもらって間もないうちはビリイも、そうした血溜まりの中から不意 に腐敗したゾンビが現われるんじゃないかとびくびくしながら、年長の少年たちの後 ろをすがるように歩いたものだった。しかし今ではなんのためらいもなく、迷いやす い土地を彼は確実な足取りで一人歩いた。生き埋められた坑夫の歩く死体なんて、 ……大人たちの例の嘘のひとつなのだ。 崖を下る急な岩場の獣道は魔女の家の裏手に続く。そしてそこにあの洞窟もほの暗 く口を開いていた。背後の山から流れ下る地下水が小さな泉となって崩れかかった母 屋の脇に湧き出ている。そこにはまるで取り残されたように樫の古木たちが涼しげな 葉影を落としていた。家の前のわずかな庭には晩い夏の風に吹かれてウォータークレス やカモミールの茂みがわびしげに揺れている。 ビリイは物音ひとつ立てないように用心深く母屋の横にあるニワトリ小屋の後ろに 身を潜めた。卵を抱いて目を閉じていた雌鶏たちのうちの数羽がびくりと身を起こし かけたが、少年がそれ以上近づく気配を見せないとやがて再び不満気に藁のなかに腰 を落ち着けた。 ひんやりとした湿り気が心地好い。どこからかものうく甲高い羽音が聞こえる。虻 だろうか、それとも蜂か。周囲の荒涼とした荒れ地のなかでここにだけ自然が残って いることを知っているのか、残り少ない夏を惜しむように虫たちは山の向こうの遠い 沼地から小さな羽ではるばる飛んでくるようだった。 かすかな水音が荒れ地をひとり歩いてきた少年の心をやさしく和ませる。あの呪わ れた土地を無事に通り抜けた小さな勇者はその喉の渇きを癒す立派な資格があるはず だった。しかしそれは禁じられた泉なのだ。ビリイはいままで幾度もその泉の水を盗み 飲もうと試み、そしてその都度“魔女”につまみだされていた。 厳重に守られた泉と、洞窟……。ここ一年あまり、そうしてつまみだされる度に少年 は、かえってそれらの謎に心ひかれていくのだった。彼の知っているかぎり、子供たち のなかで誰ひとり洞窟の中へ入ったものはいない。魔女はまるで他人に知らせたくない 大切な何かを守るように、いつだって家の窓から油断なく表を見張っているのだ。 ビリイには勇敢な――どこか彼自身に似た――ひとりの少年の姿を想像することが できた。彼はそうした抜け目ない魔女との知恵比べについに勝って魔法の泉の水を飲む ことに成功するのだった。そして彼は不思議な力に守られて魔物たちの住む洞の奥へ と果敢に進んでいく。その暗闇は、いつしか別世界へと少年を導いていくのだ。 ……しじまのなか時おり奇怪な鳴き声のかすかにこだまする暗い森。半ば草木に埋 もれた古代の廃墟……。そこにはきっと素晴らしい謎の答えがあるに違いない。それは 失われたいにしえの王家の財宝? あるいは手にした者に超人力を授ける聖なる剣? なんであろうとそれは自らを見出す勇敢な者をずっと待ちつづけているのだった。 ……木漏れ日のなかの夢想から覚め、ビリイはしばらくそのままの姿勢で泉に近づく 新たな算段を考えていた。やがて何かを思いついた少年はそっと身をずらし、鳥小屋の 割れ目ごしに泉の縁の黒い姿をうかがう。……ルシファー。魔女の飼い犬。真っ黒く獰 猛な悪魔だ。ビリイはこいつのためにいままで幾度となく無念のうちの敗退を強いられ てきていた。しかし、今日こそはきっと……。 少年は頭上の小枝の動きをちょっとのあいだ観察した。……風向きはいつもの通り、 山からだ。かがんだまま足許を探り、古着から仕立て直されたぶかぶかの半ズボンの ポケットにそら豆ほどの小石を幾つか入れると、彼は静かに鳥小屋を離れた。 母屋の陰をつたいながら風下へとまわり込み、茂みの後ろで距離を計る。それから 彼は息をつめて小石を放った。 最初の石は背後に落ちて、眠っている犬を目覚めさせた。尖った耳を立て、音のし たあたりをしきりにうかがう。二番目はすぐ脇に落ち、ルシファーは狼狽ぎみに立ち 上がり身構えた。犬の目には暗い陰から投げられる小石は見えないのだ。 少年の狙い澄ました次の一投が脇腹を直撃して番犬は小さな悲鳴を上げ飛び上がっ た。たちまち戸口が開いて魔女が舞台に登場する。頭巾からはみ出た玉蜀黍のような 髪。鋭い眼光と疣のある鍵鼻。手に持つ古びた菷までもがお定まり……。 「誰だね……」 彼女は誰もいない庭に向かって怒鳴った。 「ルシファーに悪さをしているのは? ……出ておいで」 手についた粉をしきりに前掛けになすりつけているのはどうやらパン生地を捏ねて いたためらしい。 「……またノックスビルの悪餓鬼だ。わかっているよ、ビリイ! ……お前だね」 もちろんビリイは身動きひとつしない。ひとしきり悪態を並べたてたものの、彼女に はどうすることもできないということが彼にはわかっていた。うっかり戸口を離れて 探しに出たら洞窟への道を隠れている者たちに開け放ってしまうことになる。 「なんて性悪な小僧どもだ」 あらかた歯の抜けた口でそう言い捨てて魔女は再び家のなかに戻っていく。 ビリイはふたたび石を投げた。 ――キャン! 老婆は間髪を入れずに飛び出してきた。 「いいかげんにおし! ……ようし、それなら痛い目見せてやろうか」 彼女は番犬のところに行きそれを繋ぎ止めている白茶けた皮紐を首輪からはずした。 「さあ、ルシファーや。悪さするやつの向こうずねに思いっきり噛みついておやり」 犬は一声吠えると走り出した。しかしその方向は少年の隠れている茂みとは逆、町か らの登り道の方角だ。 ……思った通り。ビリイは欠けた歯を見せてにやりと笑った。 魔女は腰に手をあて、家の前に仁王立って犬の行方を見送っている。その間に少年 は素早くしなやかな動きでふたたびニワトリ小屋へと這いもどった。彼女が目のすみ にかすかな動きを捉えて振り返ったときにはもう遅かった。 「まあ、なんてことを……。やめなさい!」 しかし、すでにビリイは鳥小屋の金網の戸を開け放って中に飛び込んでいた。 「そうら! 走れ。走れ!」 たちまち鶏たちは庭中に走り出す。魔女はそれをあわてて追いかける。二羽の雌鶏 が彼女の足許をすり抜け、よろけた腕の下をかいくぐった少年は泉へとつっぱしった。 すばしこさなら老女などビリイの敵ではない。彼は栄光のゴールへと突進し、あの清く 秘めやかな水音はすぐ彼の鼻先にあった。 しかし、腐った板きれが思わぬ罠を作っていたのだ。石造りの流しに渡されたそれ を彼の足は踏み抜き、あとわずかの距離で確実と思われた勝利は少年の手から奪われ た。ビリイは顔を歪めながら湿った大地へと崩おれていき、その手は摺り抜けていった とどかぬ素晴らしい夢へと伸ばされていた。……流しの縁にいやというほど顎をぶつ け、彼は目がくらんでしばらくは動くことができなかった。 重々しい足音が背後から迫り、太い腕が彼の衿首をむずとつかんだ。荒々しく引き 立てられ戒めに振り動かされる彼の目に、初秋の木漏れ日がぶれた残像を描いた。 「なんて悪い子だ! おまけに流しを壊しちまって!」 それからすこし心配そうに付け加える、 「どうした、見せてごらん。……怪我しなかったろうね?」 屈辱感と自己憐愍に打ちのめされた少年は答えることができなかった。 「まあ、ビリイ……! あーあ、何てことなの!」 甲高い声が聞こえ、二人は振り向いた。そこには花束をかかえたまま庭の惨状に立 ちすくむアンと、黒い小さなムク犬に吠えたてられて困惑しているフレッドの姿とが あった。 「まったく、……あきれて物も言えないわ!」 帰り道の姉の説教は正しく彼の予想どおりだった。 「ガキだ、ガキだと思っていたけれど、こんなに馬鹿だったとは思いもしなかった わよ! ああ、フレディ。なんでよりによってこんなのが私の弟なのかしら!」 幼馴染みのボーイフレンドは苦笑を浮かべた。 「ペンフィールドさんみたいな立派な方を困らすなんて、とんだ恥曝しだわよ。あ んたいったい何のつもりなの?」 ビリイは顎の見事な青アザを手で隠しながらぶすっとしているだけだ。 「何度、説明してもあんたのからっぽ頭を素通りするだけなのかしらね? いい、 ペンフィールドさんはご主人に先だたれてからずっとあの小屋に一人住んで、子供た ちがあの付近で遊ばないようにああして番をして下さっているの。……洞窟の奥に大昔 の“発電所”から出た危険なゴミが埋めてあるからだわ。あなたも聞いてるでしょう! ……小さな子があの岩穴の奥に入ったり湧き出ている泉の水を飲んだりしたら、病気 になったり大きくなって子供が出来なくなったりするのよ! そうして何十年もあの人 はノックスビルの子供たちを守ってくださっているの。だからわたしたちは無事に都会 に働きにでられるようになったお礼に、今日クッキーと花束でささやかなお茶の会を 開こうとしたのよ。だけど、あなたのおかげで万事ぶちこわしじゃないの!」 姉の怒りがふたたび高まってくる兆候を敏感に感じとったビリイは、心の耳をふさい で夕暮れの景色をながめることにした。地平線に積み重なった茜の雲と赤黒く錆びた 一条のレールのほか何も見えない青灰色の大地を背景に、山裾に埋もれたように瞬く わずかな家々の明りが寄り添っている。……いつもと同じ単調な風景だ。しかしなぜ か今こうして見るノックスビルは、しばらく前まで彼が慣れ親しんだ町ではなかった。 まるで何かが――寂れはてた町並みをその内側から照らし出していた何かが――突然 失われてしまったような妙に空ろな感じがあった。それに気づいたショックとともに ビリイは自分がどうしようもなく心細くなっていくのがわかった。 ……こんな気持ちは一昨年の冬、老犬のホワイティが死んだとき以来だ。 「あんたが逃がしたニワトリを集めなきゃならなかったんで、お別れのご挨拶もろく に出来なかったわ。日曜に町を出るんだからもう二度とチャンスはないっていうのに ……」 「あの婆さんは……」 ビリイは不意にいたたまれなくなった。 「わたしの言ってることわかったの? ペンフィールドさんはあんたの思ってるよ うな“魔女”なんかじゃないの……」 「知ってるさ! あの婆さんは……」 湧きあがってくる衝動に身をまかせ坂を駆けくだりながらビリイは叫んだ。 「……ただの“クソばばあ”さ!」 乱暴な弟の言葉にショックを受けてアンは沈黙した。 「まあ、」 しばらくして彼女は言った。 「……あきれた。なんてことでしょう! 父さんに言ってこっぴどく叱ってもらわ なくちゃ。」 しかしフレッドは答えなかった。彼は“魔女の家”を振り向いていたのだ。 ……このごろ父親によく似てきたその目は少し悲しく、そしてどこか寂しげだった。 ――おわり
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