短編 #0062の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
山深き緑の中に、うっそりと山門の佇む。前に立つと不覚にも浄土への想いが 湧いてしまう。しかし、仏は、寺を建てよと言うたか? 仏は、宗門を立てよと 言うたのか? 王侯の栄華を捨て、愛する妻を子を捨て、出家したのではなかっ たか。 儂も捨てた。所領を太刀を妻を子も捨て、寺に拠らず遊行に生きてきた。捨て 果てて、念仏を唱えれば、往生を遂ぐると思うておった。が、捨てきれなんだ。 瞳を閉じれば…… 目を見てみよ。赤い筋が見えよう。これが浄土へ行けぬよう俗世に縛りつけて おる絆なのだ。この筋があるうちは、往生できぬ。死なねば、この筋の消えるこ とはなかろう。我が亡き後も宗門を立てることは許さぬ。我が教えは、我一代の もの。いや、一身のもの。 ようやく往生できそうだ。 母上…… ・・・・・・・・・・蛇足・・・・・・・・・・ (前略)十八日のあした、聖戒を呼び給ひて、我が目を見よ、赤き物やある、と 仰せらる。見奉るに赤き筋あり。即ちある由を申すに、その筋失せむ時を最後と 思ふべし、と云々(中略)于時春秋五十一、八廿三日辰の始、晨朝の礼讃の懺悔 の帰三宝の程に、出入の行き交ひ給ふも見えず、禅定に入るが如くして往生し給 ひぬ。眼の中さわやかに赤き物もなし(後略) (「一遍聖絵 第十二巻」一遍臨終の場面) 一遍上人。延応元(一二三九)年、伊予国道後(松山市)に生まれる。祖父は 源頼朝幕下の有力御家人、伊予国守護河野四郎通信。父は河野別府七郎左衛門尉 通広。幼名松寿丸。十歳の時、母を失ったため出家、法名、随縁。後に改名し、 智真。九州、京都で浄土教を学ぶ。二十五の時、父、没。家督を継いで還俗。通 尚と称する。何らかの理由で三十三の時、再出家。「岩屋」などに参篭した後、 三十六の時から全国を遊行。名を一遍と改める。寺に属さず「捨聖」と呼ばれた。 人の善悪、「浄、不浄」を隔てず浄土への切符として念仏を書いた紙片を配り、 踊り念仏を広めた。放浪の果てに正応二(一二八九)年八月二十三日、兵庫で没。 一遍は教団を立てることを許さなかったが死後、直弟子が「時宗」を開いた。開 宗後、一気に勢力を拡大し全国に展開したが度重なる弾圧により勢力は縮小、現 在では僅かに三百寺を残すのみとなっている。 参考文献:大橋俊雄「人物叢書 一遍」吉川弘文館 伊予史談会双書「一遍聖絵・遊行日鑑」(史料集) 日本の絵巻20「一遍上人絵伝」中央公論社 今井雅晴「一遍辞典」東京堂出版 栗田勇「思想読本 一遍」法蔵館 他 上記本文を5MSGぐらいにしたものを今年中にアップできれば、と思ってまふ。 でも、アップの時、活劇になってるかオチャラケになってるか私にも解りません。
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