短編 #0030の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
小説 僕にとっての100m競争とコンピューター 昭和47年、4月29日、午後4時、神戸のO陸上競技場。そしてその時僕は400m リ レーのアンカーとして第4コーナーのバトンゾーンのスタート地点に立っていた。翌日 1 8才の誕生日を迎えようとしていた。つい5分前、僕の母校であるF高校の女子400 m リレーのアンカーH子が栄光のゴールめざして疾風のごとく駆け抜けていた。 「よっしゃ、男子も優勝するで!」無意識のうちに僕はスタンドに向かって大声でそう 叫 んでいた。ライバルは東大進学率ナンバーワンのN高校。N高校とは予選、準決勝を通 じ て別のレースで走っていた。そして準決勝でマークした44秒3はN高校と同タイムで あ った。「果して勝てるのか」「前半型のチームであるN高校はきっと先頭でアンカーに バ トンを渡すに違いにない。N高校のアンカーN君と僕の実力差は約0.3秒ある。3走 の n君が3m以内で僕にバトンを渡してくれたら・・・」僕の頭の中にあるコンピュータ ー はそんな計算をしていた。第一走者が2年生のK君、第二走者が3年生のD君、第三走 者 が2年生のn君。本当はこの中のメンバーに3年生のT君が入る筈だった。この年、F 高 校の短距離陣は好選手6名を擁していた。その中から僕を除く3名を選抜するのがキャ プ テンとしての僕の責任になっていた。数日前、僕はタイムトライアルを僕を含め6名に 対 して課した。そしてその日T君は5番目のタイムだった。僕は悩んだ。4番目のK君と 0 .1秒しか違わなかったこともあるが3年生としてチームを引っ張ってくれた彼を外す こ とが・・・。しかし、監督者はいつでも決断を余儀なくされる。 あの時の決断がよかったのかどうか、今でも考えることがある。 レースは始まった。そして僕の予想どおりにレースは展開していた。n君がバトンをも っ てきた。バトンパスは完璧だった。しかしN高校のN君は確実に僕の前にいた。その距 離 は僕が想像した限界に近いことは間違いなかった。それが3メートルだったのか5メー ト ルだったのか、今でも判らない。しかしレースを捨てなかったことだけは確かだった。 「 最後まで望みを捨てなかったものに栄光の神は微笑むのだろうか」。50mいっても6 0 mいってもその差は一向に縮まらなかった。「もうだめか」。そう思った瞬間、N君の 動 きがスローモーションのようになった。しかし、ゴールはもう10m先に迫っていた。 9 5m。並んだ。そしてゴール。僅か10cmだが、僕はN君より早く白いテープを切っ て いた。 勝った!。それはF高校にとっての初優勝であり、また兵庫県の高校史上初めての男女 ア ベック優勝でもあった。 続く・・・ 昭和47年、5月23日(日)。僕は一人、京都、龍安寺の石庭をじっと眺めていた。 インターハイ兵庫県予選まであと2週間に迫っていた。しかし、僕の脚はとても全力疾 走 できる状態ではなかった。ここ何週間も原因不明の右足太股の筋肉痛に悩まされていた 。 しかし、それを部員の誰も知らなかった。僕はキャプテンだし、どこへも逃げることも 出 来なかった。 考えれば1ケ月前僕はすごく無謀なことを考えていた。対抗戦での男子総合優勝。 僕が100m,200m,400m,400mリレー,1600mリレーの5種目にエ ン トリーし、そのすべてに優勝すれば、30点となり、チャンスはあった。 しかし、3日間に18本もレースすること自体もともと限界を超えた話だった。 しかし、「絶好調なら、100mさえクリアーすれば何とかなる」という楽観的な気持 ち もあった。確かにそれは快感だった。顧問のT先生はその要求をニヤッとして受理して く れた。しかし、それから僕の脚は急速に悪化していった。 5種目どころか参加すら危ぶまれた。 僕は追い込まれた時、よく京都のお寺に行った。別に誰に会うわけでもないのだが、不 思 議と気持ちが落ちついた。 昭和47年、6月2日(金)、曇り、午後4時。男子400m決勝。卑怯なレースはし た くなかった。8コース。前にはだれもいない。前半からすっ飛ばした。200m付近で 女 子部員の声がはっきりと聞こえた。51秒4。快勝だった。そしてこの瞬間ついに僕は 兵 庫高校の頂点にたった。僕はこの年これ以降この種目で兵庫県の高校生には一度も負け な かった。しかし僕には一瞬の安息だった。明日からは地獄のレースが待っているのだ。 6月3日(土)、雨。男子100m準決勝。2着までが決勝に進出だ。しかし結果は1 1 秒7で3位。あとは3位以下タイム上位の2名が決勝に参加出来る。僕は結果を待った 。 ところが何と「11秒7が3名」。そして大会規定により6名での決勝となった。 ここで他校選手の僕へのコメントがあった。「お前はただでは負けへんな」。 確かに僕は100mが専門ではない。僕が100mに出場していなければ、誰かしらな い が、2名が決勝へ進出し、近畿インターハイへの権利である、6位入賞もあり得たので あ る。 もうこの日はヘトヘトだった。400mリレーの決勝もあったのだが、6位以内に入っ た という記憶があるだけで何位に入ったのかすら記憶がない。 6月4日(日)、雨。200m男子決勝。自分ではゴール前で逆転したと思ったのだが 、 判定は2位と同タイムの23秒4の4位。やはり好調時の後半の冴えがなかったようだ 。 1600mリレーの決勝もあったのだが、6位以内に入ったという記憶があるだけで何 位 に入ったのかすら記憶がない。 野望はともかく、男子200m,400m,400mリレー,1600mリレー,女子 4 00m,400mリレーの計6種目で、次の近畿インターハイの出場権を掴んだのだっ た 。 僕にとってのライバルと好きな女の子 昭和46年、6月27日(日)、夕方。僕は家の片隅で泣いていた。バケツ一杯の涙が 出 たのではないかと思えるくらい、男泣きに泣いていた。 僕はF高校に入った時から同じ陸上部のY子のことが好きでたまらなかった。彼女はT 中 学の陸上部にいた時からいいコーチに恵まれ、いい家庭に恵まれ、常に日の当たる道を 歩 んでいた。そして僕はと言えば、貧乏な家庭に生まれ、E中学という神戸市のマイナー な 中学でその天才的な才能を開花させることなく埋もれていた。僕のE中学の砂場には僕 が 神戸市の大会で走り幅跳びに優勝するまで「踏切板」というものがなかったのだから。 僕が神戸市の大会で頭角を現し始めたころ、ようやくT中学の名コーチF先生が僕に声 を かけてくれた。「S君、よかったらうちの夏合宿に参加せんか」。 それは僕にとって初めての不思議な体験だった。当時T中学は有名な進学校でもあった 。 練習も厳しかったがそれにも増して夜の学習は夜中の0時に及ぶこともあった。 僕はそれまで、E中学で300人中いつも100番前後だったのに、この合宿のあと、 一 気に30番にランクされた。 そしてその合宿で僕はY子に一目惚れしてしまった。でもその時の僕にはY子は遠い存 在 でしかなかった。 昭和45年、春。僕はF高校で再びY子と再開した。そして奇しくも二人は400mの 名 スプリンターとなった。 昭和46年、6月26日(土)、夕方、大阪N競技場。近畿インターハイ、男子200 m 決勝。僕は2年生ランナーとしてたった一人決勝に残っていた。6位に入れば全国イン タ ーハイに行ける。僕には7割方確信があった。「6位でいいんだ」。僕は自分に言い聞 か せて慎重なスタートを切った。コーナーを回って直線に出た。あと残り80m。前には 5 人が走っていた。「いける」。190m。まだ5人しかいない。やった! 無意識に後ろを振り返った。僕の視界には2名のランナーがいるはずだった。 しかし、ひどく遅れた1名のランナーしか目に映らなかった。「ウソー〜〜」。 不安な気持ちでの着順発表。1着・・・ 2着・・・。 しかし、6着の選手名は僕の名前ではなかった。 同僚は「惜しかったな」と慰めてくれた。僕もこの時、確かにショックはあったが、明 日 は専門の400mがあったので、すぐに気分を切り換えることができた。 昭和46年、6月27日(日)、夕方、大阪N競技場。近畿インターハイ、男子400 m 決勝。Y子も僕も順調に予選、準決勝を勝ち抜いて決勝に駒を進めていた。 決勝には2年生が2名残っていた。僕ともうひとり奈良K高校のS君。彼は1年前の近 畿 ジュニアの400m決勝で僕が優勝したとき、2位に入った選手だった。しかし僕には ま ったく記憶がなかった。しかしあとで彼から聞いた話だが、僕に負けて以来僕のことを 片 時も忘れることなく、猛練習をしていたという。事実準決勝の記録は僕のそれを0.2 秒 だが上回っていた。僕はこの大会までのベスト記録は52秒1だった。それを準決勝で は 50秒9をマークしていた。しかしS君はそれ以上の短縮をはたしていたのだ。 6位入賞はS君とのマッチレースと考えてよかった。そしてレースは想像していたとお り 展開した。最終コーナーを回った。直線。あと50m。前には5名のランナーしかいな い 。あと10m。まだ6位だ。ゴール。しかしまた振り返った僕の後ろには1名のランナ ー しかいなかった。「まさか・・・」 S君は50秒0で5位に入っていた。僕の名前はついに放送されなかった。6位の記録 が 50秒5であったから、少なくとも自己記録が出ていたはずなのについに7位の記録は 幻 の記録に終わってしまった。せめて記録だけでも発表して公認してほしかった。 今でもこのことは残念でならない。陸上競技は最後には記録の世界なのだから・・・ その10分後、女子400mの決勝が始まった。僕は最後の気力を振り絞ってY子を応 援 した。そしてY子は1分を切る、59秒2で堂々6位に入賞した。 しかし、僕は天国から地獄にたたき落とされたような気持ちだった。 部員はみんな元気だった。同僚もT顧問も「来年があるさ」と言ってくれた。 しかし、あのレースの負け方はどう考えても神が僕を見捨てていたとしか思えなかった 。 「ライバルに負けた」。大切な女の子なのにそんなふうにしか考えられなかった、当時
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