長編 #5490の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
能 今日は能を見に行った。客の入りは少なく、席には十分な余裕があっ た。人に話せば老人のようだと言われるが、私はあの音楽のような台詞 の言い方が好きなのだ。優雅な立ち居振舞いを見ているうちに、話は中 盤にさしかかっていた。 舞台中央に中将の面をつけ、厚板の着付けに大口をはいた武将が立ち、 扇をゆるやかに上下させている。 「おやーじのーせたーけ、さんーめーとる」 能を鑑賞するという行為は、ヒーリングと似ている。観客は幽玄の世 界にひたり、日常のわずらわしい事柄から解放される。 「洗濯機にいいいー、洗剤を入れるつもりでえええー、床にこぼして、 おおおおおーあわああーてー」 江戸、あるいはもっと昔の室町の時代には、芸術などではなく、純粋 に娯楽であったはずだ。今の映画や芝居にあたるものだ。 「靴の中にいい、糊を満たしいい、足を入れて感触を楽しむうう」 ドラマの俳優は面をつけないが、別の人間になりきるということは、 面をつけるのと同じではないだろうか。 「インスタントやきそばのおお、湯切りに失敗してええ、麺を流しにぶ ちいいまけええるうう」 笛と鼓の囃子が入る。 「天からーボクサーがああー、いきなり降ってきてええー、パンチされ たらーいやああーだなあああー」 現代人にとっては、お芝居を楽しむというよりも、むしろ原始的な音 楽にあわせてダンスを踊る民族を見る感覚に近い。 「口がああ裂けてもおお、痛くないいー。目のおお中にいい入れてもお お、しゃべええらないいー」 落語や相撲も、やがて芸術作品として尊ばれる日がやって来るのだろ うか。 「千利休がああ、出された茶を飲んでええ、こんなもん飲めるかと言っ てええ、ちゃぶ台をひっくりいい返すうう」 日本古来のものは、心情に訴える。海外から来たものは、エンターテ イメントの要素が強い、と思う。 「ダイエットしても痩せられない風船んんん、体中がかっかと熱くなる でんんんしれんじいいい」 俳句に代表されるように、わびとさびの文化なのだ。ひかえめで自己 主張しない日本人の性格がよく表れている。戦後、海外に追いつけ、追 い越せという競争社会になったが、それはアメリカの影響が大きいのだ ろう。大昔のムラの時代、その生活は実に慎ましやかなものであった。 一旦競う道を歩み始めると、もう後戻りはできないのだ。子供達は受 験という過酷な試練によって、無理やりこの道に引きずり込まれる。そ れ以前に自分のやりたい事を見つけられなければ、否応なしにこの関門 をくぐらされる。そして大人になってから、もっと大切な事に使うべき 時間を削ってまで勉強した国語、算数、理科、社会の知識が、ほとんど 役に立たない事実を知って愕然とするのだ。ただ、人と競うことを習わ されただけである。 むろん、昔も、武士は戦わなければならなかった。しかし農民や商人 が人口の多くを占めており、彼らは少数であった。今は日本国民の大部 分が侍になってしまったように思える。 「街を闊歩するプリンター星人んんん。口からA四サイズの紙を大量に 吐き出すううう。街はプリンター用紙でいっぱいだああ。その紙には『稲 庭うどん星人に気をつけろ』と書いーてあるーうう」 能のような癒しの文化が残っているのは、大変貴重なことだと、私は 思うのだ。 私の仕事 私は月、水、金曜日にバーコード職人をやっている。シールにあの密 集した縦線を捺印するための印鑑を作っているのだ。熟練した腕と、い い材料を選ぶ優れた目が必要になる。 最も良い印材と言えば、本象牙であろう。ワシントン条約によって輸 入が規制されているために希少価値が高く、硬度、印肉のなじみ、印影 の美しさ、どれをとっても素晴らしい。 そしてオランダ牛の角。一本一本違うマーブル模様に味わいがあり、 乾燥による反りや割れが生じにくい。黒水牛もいい。深みある艶と色む らのない漆黒の肌、きめの細かい繊維質が特徴で、プラスチック材には 真似の出来ない鮮明な捺印が可能だ。 より良い材料を求め、北へ、南へと転勤する。そのため私は単身赴任 だ。 私は今、もっとも慎重さが要求される象牙に取り組んでいる。刀をそ の面にあて、全精神を指先に注ぎ、一ミリの狂いもなく彫っていく。だ が、職人にとって一番重要なのは正確さではない。心だ。 「機械さん、機械さん、これはお惣菜ですよ。小なすのそぼろあんかけ で、二百三十九円ですよ」と念じながら彫る。でなければ読み取り機に は通じない。そういう気持ちが大切だ。 安い食材にも最高級の印鑑を使ってくれるお店は有り難い。だから真 剣さも普段の十倍は必要だ。 人のけはいを感じた。見ると、いつの間に来たのか弟子の深山君が正 座をし、私の匠の技を注視していた。 私は印刀を置き、微笑んで、自分の右腕を軽く二度叩いた。 「盗めよ」 「いや師匠、それはいいんですけど」と彼は言った。 「なんだ。今集中しているところなのだが」 「師匠のバーコードが、読み取りエラーが多発しているという苦情が殺 到しているのですが」 私は驚いて、深山君に向かって右手を、何かを鷲づかみにしようとす るかのような格好にして突き出し、そしてすぐさま引いた。 「ニャチョーン!」 彼は冷静なまま、じっとしている。 「ううむ、そうか。私の気持ちの入れ方が足りなかったのだろうか。そ して君は若いので、何のギャグか分からないかもしれないが」 私は再び彼の顔を握ろうとするかのように手をのばし、引いた。 「ピャチョーン!」 「師匠、唾がとびます」 私は腕組みした。 「そもそも、バーコードとは何だ」 「はあ、商品の値段を読み取るための、まあ記号というか符号というか」 「喝!」 「かつって……」 「バーコードとは、人間から機械へ言葉を伝えるための手段なのだ。こ れはマスクメロンですよ。ええとても高いんです。千五百円もするんで す。どうかよろしくお願いしますね。そういうもんだ。だから気持ちを こめて彫らなければならん」 「どちらかというと、物から機械へ情報を伝達するための」 「大昔、人間は天にまで届く塔を築こうとした。これに怒った神は人々 の言葉をばらばらにした。この時からコミュニケーションの難しさが発 生したのだ。だが外国人の言葉を理解しようとする気持ちがあったから こそ日本は国際社会でこれほどまでの地位を維持しているし君は若いか ら私よりもよほど知っていると思うが」 「あの、今回の件はいかがいたしましょう」 「機械にコミュニケーションさせる手段として電気信号を使うことを人 間は考えそしてそれは一と〇の膨大な組み合わせからなり文字も絵も音 さえも最小単位はビットで人の心を電気的に伝える方法を発明したとい うことは画期的なのだ」 「本社に、連絡した方が」 「だから偉大な発明をした人に感謝するために精一杯の気持ちをこめな ければならず例えばインターネットは大繁盛しているがこれは個人が世 界に向けて自分の気持ちを伝えたいということのあらわれではなかろう か」 「あのう、師匠」深山君はとても困った顔をしていた。 私は立ち上がった。 「修行だ。気持ちのこめ方が足りなかったのだ。滝に打たれてくる」 「た、滝に打たれるのですか?」 「ここから電車で一時間ほど行ったところに温泉があったな。確かあそ こに打たせ湯があるはずだ」 温泉かよ! と深山君の目が訴えていた。 デジタルな世界 私は内壁が機械類でびっしりと埋まったチューブの中を高速飛行して いた。背中に取り付けた噴射機によって、流れるように空中を移動する。 和太鼓とコンピュータによって作り出された音がミックスされたミュー ジックが鳴り響いている。もうすぐ奴の居場所に着く。私は緊張が全身 を支配するのを感じた。何重もの扉が、私をいざなうように次々と開い ていく。 「ここから先は、危険。ここから先は、危険」機械的な女性の声が響き 渡る。「システム・メンテナンス以外の目的で入るあなたのチップIDI DIDオーバーフローオーバーフローオーバーフロー」 コンピュータは私が狂わせておいた。でなければ、私は今頃セキュリ ティ・システムによって蜂の巣にされていただろう。 最終兵器マッドマンの破壊、それが私の使命だ。 ついに、人類が作り出してしまったもっとも禍々しい悪魔の住処にた どり着いた。赤、青、緑、様々な光が渦巻く巨大な球の内部に、奴がい た。 ぬるっとした銀色に輝く鎧に覆われた巨人が宙に浮き、瞳のない眼で 私をにらんだ。 「とうとうここまで来たか、トーテム・ポール」 「私はそんな名前ではない!」 「我を倒そうなど、一年早いわ、ポール」 「そんなに短くていいのか!」 私達を取り囲む球はゆっくりと回っている。 「死ね、ポール!」 大量の赤い三角錐が、回転しながら飛んできた。私はその一つ一つを レーザー銃で正確にねらい、撃ち落した。 「ひしゃくな奴だ」 「こしゃくなだろ……お?」 カクカクしたポリゴンの柄杓が向かってきた。撃つと、それは無数の 四角錐や直方体となって飛散した。 「おしゃくな奴だ」 「まあ、一杯」と言いながら、銚子を持ったワイヤーフレームの中年親 父が回転しながら迫ってきた。 間に合わない! とっさの判断で私はよけた。 「手助けするぞ」 声に驚き横を見ると、今はすっかり歳をとって田舎に引っ込んでいる はずの父が、皮のような光沢を持つ戦闘服に身を包み、浮いていた。 「バカめ。人間ごときが束になってかかってきても、すずめ蜂が刺すほ どにも感じぬわ」 それは結構痛いのではないか? 「はああっ!」マッドマンは手の平をこちらに突き出した。私はすばや くかわした。 「ああっ」隣りで声がした。 なんという事だ。テクスチャーを貼りつけやがった。父は木目調にな った。 「お前……あれを使え」 「分かった」私は腰に装着したバッグから究極の武器を取り出した。 サルティンバンビッチ博士から聞いた、唯一奴に対抗できる兵器、そ れは豆腐だ。 「やああっ」私は思いきり投げた。見事にマッドマンの口に入った。 だが、次に彼が吐いたのは実に意外な言葉だった。 「うがあ、異次元の味が」 「なに? 酒にひたしてあったのか! いつの間に」 私は目を覚ました。電脳空間は影も形もなく、かわりに汚い我が家が 次第にはっきりと見えてきた。卓の上にワイングラスと、倒れたビンが のっている。どうやら酔いつぶれてしまったらしい。まろやかな赤い酒 に、ためしに浮かべた豆腐は三つあったはずだが、いつの間にか二つに 減っていた。誤って口に入れたのか? そうしたらすぐに分かるはずだ が、酔っ払って食べてしまったのだろうか。ああ恐ろしい。それでこん な悪夢を!
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE