長編 #5399の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
撮影スタッフの面々より先んじて、相羽の母の車で帰途を辿る。しばらく、 曲がりくねったアスファルト道が続いた。 「――純子ちゃん、眠らなくていいの?」 後部座席に座る純子へ、相羽の母がルームミラーを通じて目を向ける。リラ ックスして身体を座席に預けていた純子は、しかし両眼をぱっちり開けていた。 「はい、眠くなくて。まだ緊張というか興奮してるみたい」 「目を閉じるだけでもしていれば? ……芸能面の方を含めて、最近特に忙し いみたいだけれど、体調はどうなのかしら」 相羽の母が、改めて尋ねてきた。純子は心持ち、瞼を下ろした。 「不思議なことに、体調はいいんですよね、あは。どこか悪くなれば、休める んですけど」 「休みたい?」 「いえ、仕事は面白いから、続けたいんですけど。ただ、この頃、学校のこと に手が回らなくなってきて」 「そうよね。高校生の他に、三役やっているようなものだから。勉強について は、うちの息子を頼っていいから」 いくらか冗談めかし、軽い口調で言った相羽の母。 純子は再び目を見開き、胸に手を当てる。返事が遅れた。 「純子ちゃん?」 「そ、そうですね。おばさまに言われる前から、ずっと頼りにしてまぁす」 「クラスが別々になって、少し不便よね。進み具合や宿題に、少しずれが生じ るでしょう? 二年生では一緒になれるといいわね」 「はい」 これは心底思う。机が隣り合わせなんて贅沢なことまでは願わないが、せめ て同じクラスになりたい。富井達と真の仲直りができた今、これくらい願って も、罰は当たるまい……。 「まだ時間があるかな」 町中まで降りてきて、相羽の母は、車内の時計で時刻を確かめた。 「学校に向かう前に、途中でよそに寄って行っていい?」 「え? ええ、もちろんかまいません」 すぐさま答えて、身を乗り出す純子。助手席の枕部分に手を回し、前を見や った。どこへ行くのか、興味を覚える。 「ふふふ、気になる?」 「あ……はい。買い物ですか? それとも仕事の関係で」 尋ねられたのを機に、聞きたかったことを尋ね返す。すると、相羽の母は笑 みをたたえたまま、あっさり言った。 「信一を迎えに行くのよ」 「えっ。信一君を……」 思わず振り向き、相羽の母の横顔を見つめた。急なことに、心臓がどきどき し始める。 「あら、どうかした? まずいことでもありそうな顔に見えるわ」 「い、いえ。ただ、びっくりしたと言うか……あの、信一君は家にいるんです よね?」 「ううん。それが、ここのところずっと朝練だといって、早くから出てしまう のよ。今朝は私の方が早かったんだけれど」 「朝練というのは、ひょっとすると、武道の練習ですか?」 「そうなのよ。――純子ちゃんも、あれとピアノとを両立させるのは無理だと 思うでしょう?」 純子の表情を読み取ったのか、同意を求めてくる。もちろん、うなずいた。 「試合をまたするんでしょうか?」 「そうみたい。練習試合だそうだけれど、ほどほどにしてくれないと、ピアノ の方ができなくなってしまうかもしれないのに……と言い聞かせても、全然聞 かないんだから」 しょうがない子――そんな風に苦笑する母親。ハンドルを切って、大通りの 交差点を右に曲がった。 「それじゃあ、道場を目指しているんですね?」 「そうよ。純子ちゃんも行ったことある?」 「はい、何回か。あの中で試合してた相羽君……信一君は、何だか別人みたい でした。でも、試合が終わったあとや練習のときは、いつも通りで、そういう 武道をやってるにしては、優しい顔つきをしてて、つかみどころがないような ……あ、すみません」 「いいのよ。あの子が練習しているところを、私はまだ一度も見たことがなか ったから、教えてもらえてちょうどよかった」 「強いみたいですよ。だいぶ前ですけど、先生が誉めていらしてました」 純子の言に、相羽の母は大げさに嘆息した。 「護身術を身に着けるのが主目的と言っていたのだから、特に強くならなくて もいいのに、まだ続けてるんだから、違う魅力に取り付かれたのかしら」 「あ……信一君は多分、いざというとき、おばさまを守れる男になりたいから、 始めたんだと思います。それを忘れてはいません」 「それは聞いているけれど……でも、変に腕っ節が強くなってしまうのが、心 配の種。まさかそんなことはないと思うけれど、トラブルに巻き込まれたとき に、逃げれば助かるものを、立ち向かって、危険に身をさらすような……」 相羽の母は一瞬、右手で目元を覆った。すぐに離し、吹っ切るかのように首 を振る。 「ごめんなさいね。縁起でもない話をして」 「いえ……」 そう返事したものの、純子は内心で訝しんでいた。母親の気持ちとは、そこ まで子供のことを気に掛けるものなのだろうか。いささか心配性に過ぎるので は、と感じた。 純子の様子に気付いたらしく、相羽の母は踏切で一時停止したのを折りに、 しばし考えるような顔つきになる。視線が前方の斜め下辺り、焦点を合わせる でもなく見据え、さまよう。 遮断機が上がり、車が再発進をすると同時に、口を開いた。 「純子ちゃんは、私の夫のことを、信一から聞いてる?」 「え? ええ、何となく……」 「あの人がピアノをあきらめたのは、つまんない喧嘩に関わってしまったせい なのよ」 「……」 黙り込む純子。母親としての気持ちが、痛いほど理解できた。 相羽の母は、それ以上は語らなかった。 「ラジオでも入れようか?」 「はい、そうですね」 「純子ちゃんが望むのなら、あなたの新曲でもいいんだけれど。ここにもらっ たディスクがあるわ」 車内に笑いが戻る。純子は安堵したのも束の間、それだけはとお願いするの に忙しかった。 * * 信一は着替える前に、指を一本ずつ動かしてみて、まずは安心できた。そし て反省する。 (やっぱり、パンチの練習は控えよう) 今日は久しぶりにオープンフィンガーグローブを装着し、軽く打撃の練習を してみた。当たり前ではあるが、思い切りよく打ち込めず、中途半端なものと なって、実りに乏しいトレーニングだったかもしれない。ただ、スウェイやフ ェイント等の動きの勘を取り戻すのには、よいきっかけになった。 学校の制服に着替え、鞄を持って、道場の外へ出る。中で身体を動かし続け ていただけに、寒風に震えがきた。汗は入念に拭き取ったから、風邪を引くよ うなことはないだろうが。 (正月から津野嶋と試合初めが決まったから、今の内にやっておかないとまず い。アルバイト、こっそり始めたばかりだけど、しばらく休ませてもらって、 時間を取らないといけないかな) そんなことを考え、道に一歩を踏み出した信一。学校へ通じる方角へ身体を 向けた瞬間、車のクラクションが軽やかに鳴る。 振り向くと、見覚えのある車があった。目を見開く。運転席に母の姿を見つ けて、意外感にとらわれた。 (確か仕事……。あ、純子ちゃんもいる) 助手席に腕を絡める純子にも、すぐ気が付く。 「相羽君! 早く早く!」 後部座席の窓が開いて、純子が手を出し、大きく振った。 きびすを返し、駆けつける信一。助手席に乗り込んだ。 「終わったんだ?」 母親に尋ねると、首肯が返って来た。続いて説明を受ける。 「ええ。早めに終わったから、あなたを拾っていこうと思ったの。ちょうど間 に合ったわね。このまま学校へ行くから」 「え? 駅まででいいよ」 信一は言って、純子へ振り返った。対する純子は、どうして?という風に小 首を傾げる。 「学校までだと、時間が掛かる。母さんが大変だよ」 「今日はこのあと、昼からの出勤だから、かまわないのよ」 「でも」 また後方へ視線を投げかけた。純子が何も言おうとしないので、信一は仕方 なく、自分で言うことに。 「一緒に行くと目立つよ。しかも自動車通学と来れば」 「そんなこと、気にするの? へえー」 心底意外そうに、母が声を上げた。 「気にする」 「今さらという気がするけれど。純子ちゃんは気になる?」 母親の声が、自分を迂回して、後ろへと届く。信一は前を見たまま、聞き耳 を立てた。 「え、わ、私は、別に、どちらでもないです、ええ」 慌てる様子が、目に浮かぶよう。信一は頭の位置をずらし、ルームミラーで 純子の顔を見ようとした。が、うまく行かない。このまま我慢もできそうにな いので、やむを得ず、振り返る。 純子は笑みを浮かべ、ほんのり赤くなっていた。 (……喜ぶべきなんだろうか、これは) 考える信一の前で、純子が「何?」と再び首を傾げる。初めて合った頃と変 わらず、どきどきさせられる。 (喜ぶべきだな、うん) 一人で合点し、うなずく信一であった。そして一応、返事しておく。 「いや。君がいいのなら、いいかと思っただけ」 「わ、私はいいんだけど、相羽君にはファンが多いから、恨まれちゃう」 「……」 信一は口を開きかけ、やめた。前を向いて、姿勢を正し、考える。 (別に恨まれてもいいじゃないか。僕が君のことを好きなのを知ってるのに、 どうしてそんな思わせぶりな台詞を言うんだい?) 「ね、ね。今年のクリスマスイブも、鷲宇さんのコンサートに加わるの?」 「え? いや、何も聞いてない」 突然の質問に戸惑い、そしてその意味を理解して、密かに歯ぎしりをする。 (つまり、純子ちゃんはイブ、鷲宇さん達と一緒ってことか。――まあ、他の 奴と一緒にいる訳じゃないんだから、まだまし) 自らをそう説得し、小さくうなずく信一だった。 そんな彼の肩を、純子が揺さぶる。 「そ、それじゃ、他に予定が入ってるの?」 「今のところ、何にも。多分、母さんと一緒に家にいる」 運転席の方を見やる。母親は特に反応しなかった。 「その前後なら、道場やマンションでの餅つきがある。ああ、それと、エリオ ットさんから早めのクリスマスパーティに誘われている。一時帰国前に、やっ ておきたいみたい。どうするかは、まだ決めてないんだけどね」 「相羽君のピアノ、聴きたいな。ボランティアコンサートで聴けないと知った から、なおさらよ。そのパーティで弾くの?」 「そんなの、分かるもんか。先生のエリオットを差し置いて、弾かせてくださ いなんて言えるわけがないし」 苦笑混じりに応じつつ、心中では、結局はピアノの演奏目当てなのか……と 複雑な気持ちになる。 「それより純子ちゃん、ますます忙しそうだね。えっと、久住の新曲のあと、 ついに女の子としてもデビューできるとかって聞いたけれど、ほんと?」 「え、ええ」 「あれだけ顔を出すのを嫌がっていたのに」 この点、信一は少なからず、不満を持っている。自分が言っても仕方がない ことではあるが。 「それが、声だけでデビューさせてくれそうな風向きで……そうですよね、お ばさま?」 「ええ。レコード会社の方と折衝中で、一部の反対を押し切れるかどうかが鍵 のようよ。あとはもう、鷲宇さんの力次第かしら」 母親が当たり前のように話すのを聞いて、信一は、先に教えてくれてもいい のにと、またも撫然とした感情にとらわれる。 「あと、アニメの方とどう調整するか、よね」 「アニメって、何それ」 信一は問い掛けつつも、額を押さえたくなった。自分の知らないところで、 純子の世間への露出がどんどん広がっているのを実感して、手の届かない存在 のように思えてきた。 純子本人からの説明を聞き流し、信一はあくびをこらえるポーズをした。 「着くまで、一眠りできるかな」 * * 「今朝、相羽と一緒に来てたみたいだけど」 ――つづく
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