長編 #5389の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
ベルタ おいで (盲導犬と共に) NO.8 柏木 保行 (竹木 貝石) 27 ベルタの心は童子の心 この何年来、私にとって思想上の迷いともいうべき疑問の一つは、人間果た して万物の霊長だろうかという点です。人間の誇る智恵といえども、象の鼻や 虎の牙、兎の耳と同じく、単なる一つの特徴に過ぎないのではあるまいか? さらに極論すれば、一人の人間と一つの石ころとは所詮等価値であって、ど ちらがより重要と言えないのではないだろうかということです。一人の人間が 集まって人類を構成するのと同様に、一つの石が集まって地球を形作っていま す。人間は自由自在に石を動かすことが出来るけれども、ときには一つの石が 人の運命を左右することもあるものです。だからといって、私は人生が無意味 だと考えている訳ではありませんが、我々はもっと自然を大切にしなければな らない筈です。 また、世の中における最も不合理かつ救われがたい矛盾は、生命を尊重しな ければならない反面、人間はあらゆる生き物を殺さずに生きていけないという 点ではないでしょうか! 私は自分なりに、できるだけ生命を傷つけないで暮 らしたいとは思っていても、そうすると、うっかり草原に腰を下ろすことさえ 出来なくなってしまいます。 理屈はともかくとして、私がベルタに接する場合、一段高い立場から動物を 愛護するというのではなく、自分と同じ1生物として、彼女の〈人格〉を尊重 しなければならないと思っています。 人間同士のつき合いの複雑さに比べ、ベルタは喜怒哀楽を率直に表現し、偽 ることがありませんから、無駄な神経を使う必要がなく、しかも何かしらほの 暖かいものを感じます。 以前、ある高僧から「童心に帰れ」と教え諭されたことがありましたが、ま さしくベルタの心は2、3歳の幼児の心、その純粋にして疑いを知らぬ優しい 心根に、今後も学ぶ所は多く、幾たび慰められることでしょうか。 28 隠れた親切 通勤の時の模様を、もう少し詳しく書いてみましょう。 7時15分に家を出て、線路沿いの道を歩いていくと、 「おはようございます」 と、会社員風の紳士に行き会います。 新守山駅の自動販売機で切符を買って無人改札を抜け、プラットホームを前 の方に進みます。ベルタはいつもホームの左側すれすれを歩きますが、それは 私を柱にぶっつけない為だということが近頃やっと分かりました。 ベンチが在って、大抵誰かが新聞を読んでおられます。ベルタがそばまで来 て停まると、 「どうぞ」 と、席をずれてくださいます。 たまには初顔の人も私に話しかけ、 「わたしは沖縄出身で、彫刻を習いにきてるんだが、今朝は京都へ仏像を見に 行くところだ」 など、話題も色々です。 列車が来てドアが開くと、ベルタが入り口まで誘導するので、私はそっと足 を出して列車の1段目に踏み込みます。 満員で溢れそうになっているとき、ベルタは遠慮して乗ろうとしませんから、 次の列車にしようかと思案していると、中から私の手をつかんで引っ張ってく ださる方も居ます。それで、 「どうもすみません」 と礼を述べつつ、もう1段上がって、 「COME」 と呼ぶと、ベルタは安心して飛び乗ります。シェパードは胴体が長いので案 外場所を取りますが、乗客の皆様は隙間を空けて、ベルタが回れ右できるよう にしてくださいます。ドアが閉まり、電車は1区間走ります。幸い、下車する 次の駅も同じ側のドアが開きますから、真っ先に降りればよいのです。 大曽根駅のプラットホームを20〜30メートル前へ進んで、階段を下りて 右に曲がり、出札口にさしかかると、 「はい、ご苦労さん」 と、駅員の人が切符を受け取ります。私は毎朝この駅員の声にいっそう励ま されるのです。 徒歩かバスで学校へ行きます。 バスといえば、初めてラッシュアワーの乗車許可が出た朝、市バス北車庫の 指導係の人が停留所まで来て、乗客に盲導犬の説明をしてくださったものでし た。乗務員や運転手さんもごく自然に言葉を掛けてくださいます。 学校の帰りもほぼ同じ道を戻ります。バスや列車を待っていると、 「この犬は何歳ですか?」 「訓練には何年ぐらいかかりますか?」 「食べ物は何ですか?」 などとよく尋ねられます。 子ども連れのお母さんは、 「ほらほら、見てご覧なさい。お利口なわんちゃんでしょう!」 また、数人の小学生が、 「あれ、警察犬かな?」 「違う、盲導犬と書いてあらー」 などと、感心したり珍しがったりします。 たまに犬を連れずに居ると、 「今日は盲導犬はどうしました?」 と訊かれ、駅の方や乗客のどなたかが私を階段まで案内してくださいます。 一度、満員のため降り損なって次の駅まで乗り過ごしたときには、女学生さ んが反対側のホームまで連れていってくれました。 こうした見えない親切に支えられて、私とベルタは無事通勤出来るのです。 29 ベルタをとりまく人々 勤務先の名古屋盲学校は、ベルタにとっても職場です。私が授業から戻るま で、職員室の机の横でじっと待っていなければなりません。先生方とはいつも 一緒にいるので親しみも増して、たまに雨降りでベルタを連れてこないと、 「今日はどうしたの?」 と訊かれたり、私の居ない間に、ベルタが用便を訴えて鳴くと、外へ連れ出 してくれたりします。 毎朝のように 「ベルタおはよう」 とやってきて、ひとしきり犬の話をしていく家庭科の先生や、 「うちでは前にポインターを飼ってたけど、犬というのは可愛いもんだ」 とか、 「うちのスピッツなんか、娘が毎晩綺麗に洗って櫛で解いてやってるよ」 とか、 「うちには犬が11匹も居て、毎日大騒ぎだ」 などと、犬の好きな先生も大勢居ます。 「昨日、うちの子どもが街でベルタを見たそうだ」 と話す人や、 「今日はベルタと一緒に歩いて帰ろう」 と言う物好きな人も居ます。 私と同じ視覚障害の教員も居るので、 「いよいよ盲導犬をもらうことにしようかな」 とか、 「随分早足で歩けて便利だね」 と話が弾みます。 札幌より 失明の友は 一人来ぬ 盲導犬に 手を引かれつつ という和歌を詠んだ国語の先生も居ます。 休み時間に校庭でブラシを掛けていると、 「ちょっと触らせてやってください」 と、小学部の子ども達を連れてくる先生も居れば、 「この犬はよくなめますね」 と言いながら、ベルタと遊んでいく高等部の生徒も居ます。 父兄や来賓の方も、感心したように立ち止まってベルタをなでて通ります。 帰り道には喫茶店や食堂に入ることもあり、店の人たちも最初びっくりして 目を見張りますが、2、3回行くと、もうお馴染みになります。ボーリングや パチンコをしたこともあります。 広小路の料理屋で宴会をしたときには、ベルタを座敷の上がり口に待たせて おいたところ、ほろ酔い機嫌の客が盛んにベルタを褒めてくれました。 札幌から友人が訪ねてきた折りは、ベルタと一緒に名古屋城の庭園を散歩し、 石垣や植え込みや茶室の跡を巡りつつ、有意義な土曜日の午後を過ごしました。 30 音楽会 私はクラシック音楽を聴くのが趣味で、月に1、2度、多いときは5回以上 もコンサートに出かけます。この場合ベルタと一緒なら申し分無いのですが、 残念ながら今のところ連れては行けません。初めから諦めてしまうことが多く、 思い切って頼んでみても、 「万一、犬に立ち上がったりされると演奏の妨げになるから」 と断られます。以前に何処かでそんなことがあったようにも聞きましたが、 ベルタだったらそういう間違いは決してありません。犬の体調さえ良ければ、 主人がそばについていて、盲導犬が立ち上がることはまずあり得ないし、まし て吠えるなどは思いも寄らない話です。勿論、犬の性質や主人の心構えにも依 るので一概には言えませんが、私は音楽会の厳粛さをよく心得ているつもりな ので、迷惑を掛けない自信はあります。演奏中にお子さんが奇声を発したり、 大人でも無遠慮にプログラムをガサガサとめくったりするよりは、ベルタの方 がよほど静かです。 音楽会場は各所に在って、なかなか道順を覚えきれないし、行き帰りの苦労 も大変です。現在、私はベルタといったん学校から帰り、改めて一人で出直す ことにしていますが、時間のないときは気がせくし、夜遅く、白杖を頼りにと ぼとぼ帰るのはわびしいものです。 最近完成した名古屋市民会館は、中央線で乗り換え無しに行けて便利なので すが、金山駅から会場までの地下道が曲がりくねっていて未だによく分かりま せん。私は子どもと一緒に何度も歩いて道順を覚えたつもりでも、いざ一人で 出かけると必ず迷ってしまい、通りがかりの人に連れていってもらわねばなり ません。会場の入り口から座席までは案内してもらうにしても、学校や家の行 き帰りは、ベルタさえ居れば楽々なのです。 ジャン・ピエール・ランパルのリサイタルを聴きにいったときは、事務所で ベルタを預かってもらい、念のため机の脚につないで置きました。本当は会場 に連れて入って座席の前に伏せさせておくのが、犬にとっても私にとっても一 番安心なのですが、現状では無理のようです。 同じ市民会館で、『明日に生きる希望演奏会』を聴いたこともあります。こ れは名古屋ライトハウス主催のチャリティーショーで、出演は、長島愛生園の ハンセン病患者による「青い鳥楽団」、愛知県、石川県の視覚障害者で組織す る「アンサンブル アミー」、「ロス エルマーノス」、いずれも身体に障害を 持つアマチュアの音楽グループですが、立派な演奏会でした。ベルタの他に3 頭の盲導犬も入場し、当然ながら身動き一つせずに、2時間に渡る演奏をじっ と聴いていました。 視覚障害者(盲人)と晴眼者(眼の見える人)が一緒に活動しているグルー プも色々あり、私は、『あけぼの合唱団』と『はくじょう会』に加わっていま す。『あけぼの合唱団』は、毎月第四日曜日に練習し、レクリエーションやハ イキングや交歓会などの行事を行い、年齢・男女・晴盲を問わず、実になごや かで楽しい雰囲気です。『はくじょう会』は、登山、オリエンテーリング、料 理実習など多方面の活動を行い、昨年富士登山に成功したときには、ベルタは 家で留守番でしたが、山田君の盲導犬ケルンは見事頂上まで行ってきました。 『東海地区盲導犬使用者研究会』を結成し、第1回総会を豊橋市の石巻山で 行ったときには、岐阜や大阪からも家族連れで参加しました。まず、神社の境 内で犬を遊ばせ、その後旅館に入って夜通し語り合いました。大きい犬や小さ い犬、落ちついた犬やお茶目な犬、それぞれ特色があって面白く、旅館の人た ちも快く盲導犬を受け入れてくれました。
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