長編 #5219の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「大丈夫? **病院のすぐ近くだぜ」 純子の思い浮かべていたことを、唐沢が言う。 「う、うん。分かった。これからすぐ出る」 唐沢の返事を待たず、送受器を左手で戻し、そのとき右手はパジャマの一番 上のボタンに掛かっていた。 「お母さん、私、出かけてくる!」 「どうかしたの? 随分、大きな声で話していたわね」 「よく分かんない。急いでるから、またあとで話すっ」 純子の応対は、階段を掛け上る音に紛れて、果たして母親に届いたかどうか。 自室に入ると奥にある棚の扉を引き、最初に手が触れた服を引っ張り出す。 着込むと、鏡も見ずに廊下に出た。 「気を付けるのよ」 何も知らない母の見送りの言葉を聞き流し、純子は靴の踵を踏み付けたまま、 外に飛び出した。自転車に跨ってから、ようやく靴をきちんと履いて、漕ぎ出 す。漕ぎ始めのペダルの重さが、焦れったい。 (相羽君! 事故――?) 頭の中では、断片的な単語が入り乱れ、それでも神経は集中している。自転 車は最高速度で青坂公園を目指した。 緑に囲まれた一角が、ようやく見えた。大きな公園だから、出入口は四箇所 ほどある。純子は、唐沢の言葉を頼りに、病院側に開いた出入口に向かった。 そこにいるはず。 最後の角を曲がる。唐沢の姿が視界に飛び込んでくる。「唐沢君!」 門柱に寄りかかり、腕組みをして佇んでいた唐沢は、純子の方へ顔を向けた。 門柱から背を離し、二、三歩進む。 「何があったの? 相羽君は?」 自転車が止まりきらない内に飛び降り、スタンドを立てずに、唐沢に尋ねる。 唐沢はすぐには応じず、淡いストライプ模様のジャケットの襟元を手で悠然と 直すと、咳払いをした。 「早かったね。危なくはなかった?」 「う、うん。それより」 足踏みするほど焦れったい。と、純子の目の前に、唐沢の右手が差し出され た。白く四角い厚紙が握られている。 「何、これ? 手紙?」 受け取らずに、唐沢の顔と紙を交互に見つめる純子。紙の表面には、銀色の 文字が踊っている。筆記体のアルファベットだ。 唐沢は間を取って、唱うような調子で言った。 「ハッピーバースデイ、涼原さん」 「――え?」 唐沢をまじまじと見たまま、表情が固まる。 「今日は、十月三日だろ」 純子の誕生日が来ていた。 「これ、バースデイカード。受け取ってくれよ」 厚紙の文字は、英語でハッピーバースデイとあるのが、ようやく分かった。 「きちんとしたプレゼントは、あとで」 「か、唐沢君っ!」 両手を力いっぱい握りしめ、叫ぶ。唐沢にきつい目つきで詰め寄り、立て続 けに質問を発する。 「誕生日なんか、どうでもいいのっ。一体、どうなってるのよー。どういうこ と。相羽君が大変なことになってるって」 「ふむ、必死だね」 「当たり前よ」 「心配いらない。相羽は何ともないさ」 「え?」 ほとんど涙声になりかかっていた純子が、表情を一変させる。それだけ、意 外な台詞だった。唐沢は飄々として続けた。 「とっくに気付いたと思ったんだけど、まだだったか。ごめんな、悪気はない んだ。ただ、だますつもりはちょっと、いや、かなりあったね」 「……全然、分かんない。電話で言ったのは、全部嘘?」 「嘘は言ってないぜ。俺は一言も、相羽が事故に遭ったなんて、言ってない」 「え、でも」 反論しようとして、今朝の通話を思い起こす。確か、唐沢は……。 純子は口ごもった。早朝、寝起きのところを急き立てられ、その思わせぶり な言い回しに加え、病院のすぐ隣にある公園を待ち合わせ場所に指定。 「こうも簡単に信じてくれるのは、感激ものだなぁ」 「……どうせ、私が単純なだけです」 ふてくされ、そっぽを向く純子。唐沢は特に動こうともせず、また話し掛け る。 「相羽がちょっとって言ったのは、『ちょっと遅れて来る』という意味のつも りでさ。実は昨日、俺達二人で相談して、涼原さんの誕生日に何かしようって ことになってね」 「はあ」 気抜けして、返事に力が入らない。もっとも、相羽が誕生日を覚えてくれて いたのには、心揺さぶられる。 「相羽のやつ、今日はピアノレッスンがあるから、朝一番から付き合うことは できない、遅れて来るってさ」 唐沢の説明で、全て合点が行った。 同時に、相羽が来てくれることに、複雑な気持ちを抱く。嬉しくてたまらな いのに、素直に表せられない。富井と井口に対する気兼ねの方が先に立つ。 「唐沢君、気持ちは嬉しいんだけれど――」 「用事があるから帰るなんてのは、だめだよ」 「ううん、そんなのじゃなくて、いきなりだったから、驚いて」 「驚いてくれなきゃ、困る。これはサプライズパーティなのだ」 一段階、声を高くして言い放った唐沢だが、口を閉じてしばし難しい顔をし たあと、訂正を加える。 「パーティじゃないな。サプライズには違いないが」 「……二人のどちらが、言い出したの?」 昔、鷲宇から初めて誕生日を祝ってもらったときの経緯を思い起こしつつ、 純子は静かに尋ねた。唐沢はジャケットを着直しながら、即座に答える。 「どっちがってことは言えないな。話していて、何となく決まったもので。さ あさ、そんな話はどうでもいいじゃない。とりあえず、場所を移そう」 そうして、公園内に停めてある自転車を取りに向かう。 純子は、ため息をこぼし、その様子を見守った。 (しょうがないな。お祝いしてくれる二人の気持ち、無駄にはできない。私自 身が忘れかけてた誕生日を、覚えてくれただけでも充分なほど、嬉しい) 唐沢が戻って来るまでに、家に電話しておこうと思った。この間、事務所か ら持たされた携帯電話を探して、身体のあちこちに手を当てる。が、なかった。 急ぐあまり、家に忘れてきたのだった。一番手近の公衆電話はと見渡すと、病 院内にあると思い当たる。 公園から出て来た唐沢に、純子は電話したいと告げた。しばらく待ってもら い、手短にすませて戻る。 「お待たせ。それで、どこへ行くの? さっきお母さんに聞かれて、困っちゃ ったわ。適当に答えておいたけれど」 純子は自転車に再び跨りながら聞いた。 唐沢は純子より少し前に出て、自転車に乗ると、肩越しに振り返った。 「着いてからのお楽しみってことで。しばらく、サイクリングだ!」 一声叫び、進み始めた唐沢。急いで追う。 (……そっか) 前方の唐沢の背中を見ている内に、ふっと気が付いた。 (あのストライプのジャケット、唐沢君が着てるところを初めて見た。あんな にお洒落しているのは、私を誘ってどこかへ行くためなんだ。男の子同士で、 あそこまで決めてくる必要はないわよね? 最初に見たとき、どうして気付か なかったんだろ……やっぱり、動転してたのかな) そして改めて思う。相羽の事故が本当じゃなくてよかった。 唐沢は公園から大通り沿いに西進し、川に掛かる橋を前にして、左折。今度 は上流に向かう形で、川と平行に道を行く。 「この方向に、何か、あったかしら?」 大きめの声で、唐沢に問い掛ける純子。唐沢は返事の前に、スピードを落と し、純子の横に並んだ。それでもなお、答える気配はなし。純子は重ねて聞い た。 「確か、こども自然の館があるくらい……あとは、やっぱり公園があったり、 廃校跡や墓地とか」 「そのどれでもないな」 満足そうにうなずく唐沢。次いで、秘密めかして言い足した。 「でも、涼原さんが行ったことのある場所だ」 「ええっ? 分かんないわ。行ったことのある場所と言われても」 自転車を漕ぎながら首を傾げると、唐沢の身体がすーっと前に。相手がスピ ードを上げたのか、純子のスピードが落ちたのか。 ほぼ真北に進む内に、道は川沿いの自転車道になった。天気は晴れ時々曇り といった具合で、風が弱く吹いている。サイクリングには絶好の日和と言えた。 「ねえ、唐沢君」 「ん?」 「行き先は、相羽君も知ってるのよね?」 「もちろん。相羽から教えてもらったんだよん、実は」 おどけた調子になる唐沢。だが、それは声だけで、表情にあまり変化はない。 「それでもって、俺自身は行ったことがないという」 「ええーっ? 大丈夫? 場所を言ってもらって、私が案内した方がいいんじ ゃないかなあ」 「迷ったりはしないさ。いざとなったら動物的勘で……」 ジョークに、純子は笑えなかった。どこへ行くのだろうと、不安が生じる。 「着く前に、先に教えてくれてもいいと思うんだけれど、だめ?」 「だめだめ。これもサプライズの一環だからね」 一蹴されてしまった。こう言われては、追究できない。しばらくの間、会話 のないまま、行進が続いた。 川を遡って行く内に、純子の記憶を刺激する光景が現れた。具体的には思い 出せないが、間違いなく見覚えのある景色が、視野いっぱいに広がっている。 「随分、奥まで……。何の用事で、来たことあるんだったっけ」 純子のそんなつぶやきを、唐沢がキャッチした。 「お? 思い出したかい? 俺には判断できないんだよな」 「昔、来たわ。そのときも、やっぱり自転車で」 「目的地は、すぐそこだよ」 顎をしゃくって、前方を示す唐沢。河原へと降りて行く坂が、なだらかに続 いているのが分かった。 「――あ。分かった、思い出したわ」 純子の目が見開かれる。もし自転車でなく、歩いていれば、両手を打ったか もしれない。 (初めてモデルをしたとき、ここで撮影したんだった!) 一気に思い出がよみがえる。指名されて、急遽代役を務めた、一度限りのモ デルのはずが、今、色々な仕事に首を突っ込んでいる。全てのきっかけは、こ こから始まった。 河原まで下り、自転車を降りて、周囲を見渡す。身体ごと、ぐるっと。 「懐かしいーっ。何年ぶりかしら。色はだいぶ違うけれど、川や山は全然変わ ってない」 「俺も、その場に居合わせたかな。スター誕生の瞬間を見たかった」 「スターじゃないよー」 唐沢までが、楽しげに言う。純子も同じように応じた。 それから初めての撮影のときだけでなく、それ以降の様々なことを思い起こ していた純子は、ふと疑問に感じた。足を揃えて、唐沢へと向き直る。 「唐沢君。何故、ここへ?」 「驚いただろ。その上、懐かしいだろうと思ったから」 当たり前と言えば当たり前に過ぎる返事に、純子は反射的にうなずく。台詞 に、「でも」とつなげようとして、唐沢に遮られた。 「仕事に疲れて嫌になったときは、原点に返って、見つめ直すのが一番」 「私、別に嫌になってなんかないんだけれど。ただ、疲れてはいるかもね」 くすりと笑いながら、純子は切り返す。 すると、唐沢は存外、真剣な反応を見せた。 「それに――涼原さんにとって、相羽のやつが特別な存在になった原点でもあ るんじゃないか」 「特別な存在って……」 意表を突かれた気がして、言い淀む。一秒の内に気持ちを整え直して、答を 紡ぐ。 「それは、もちろん、モデルをしたことで、相羽君と親しくなったわ。それだ けのことよ」 「本当に、そうか?」 「……どういう意味で言ってるの」 「親しくなっただけ、お友達になっただけかって、聞いてるの」 語尾を真似て、唐沢は意地の悪そうな笑みを覗かせた。 これだけ広い場所にいて、二人の間はやけに近い。純子は顔を伏せがちにし、 後ずさるようにして距離を少し取った。 唇を内側に噛みしめ、言葉が出て来ない。何故なら、唐沢の意図が全く理解 できなかったのが大きい。 (何故、そんなことを聞くの? 今、ここで……) 純子は顔を越して、相手の表情を窺った。微笑を張り付けたままの唐沢、そ の視線には包み込むような優しさと責めるような厳しさが同居している。純子 には、やっぱり分からない。 太陽が、濃い雲に隠れた。 それを機に、唐沢が口を開く。 「相羽を好きなんだろ」 ――つづく
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