長編 #5182の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
* * 「信一、今日はここまでで切り上げよう。そうした方がよさそうだ」 「――分かりました」 エリオットの言葉に素直にうなずくと、片付けようと、手を動かしかけた相 羽。それを当のエリオットがストップする。 「その前に、一つ、答えてもらいたい」 「何でしょう」 「今日の出来は、君が夏休み中に無茶をしたことだけが原因かね?」 武道の練習を再開した事実を、相羽はエリオットに伝えてあった。隠し通せ るはずがないと考えたからだ。実際、演奏にも悪い影響がわずかながら出た。 無論、ピアノのレッスンの間隔が開いたせいもあっただろうが。 ところが、今日の出来映えは、それをも下回る。最初は根無し草のように頼 りない、ふわふわした演奏になってしまい、その点を修正しようと意識すると、 今度は徐々に刺々しい音になっていった。相羽自身、耳障りに感じたほど。 「……すみません、答えようがありません」 相羽は小さく首を振りながら、伏し目がちになった。内心では、演奏が乱れ た原因について当たりを着けていた。 (みんなが聴いていたから、だろうな。恐らく) もっとも、誰か他人に聴かれるという状況自体は、相羽の身心に特別な変化 をもたらしはしまい。重要なのは、今日に至るまでの過程。 本来、純子一人に聴いてもらうつもりが、純子の提案によって当てが外れた 形となった。その上、土壇場になって、唐沢まで連れて来るという連絡を受け、 志気が落ちていたようだ。 (今の純子ちゃんは、僕のことを何とも思ってないのか、な) 漠然と、そんな思考が相羽を支配していた。彼とて一介の高校生。頭を二、 三度振って払拭できるほど、人間できていない。 「まあ、いい。調子が悪いときというものはある。ただ、大事な時期だという ことだけは、脳裏に刻んでおいてほしい」 「はい」 「ピアノの道を進むことを目指すのであれば、ここ一、二年が最後のチャンス なんだよ。他の者達は、もっと小さな頃から、もっと専門的な指導を受けてい る。その差を埋め、君の素質を目一杯引き出すには、今が大切なんだ。武道な んてやめろと命令したいぐらいだ」 「指に負担を掛けないようにしますから……許してください。ご忠告、ありが とうございます」 頭を下げる。上から、嘆息の音が聞こえた。鼻息が、つむじ辺りにぶつかり さえしたかもしれない。 「どうやら、彼女のおかげで上の空だったな」 唐突な台詞に、相羽は顔を起こした。エリオットの横目が、純子のいる方を 捉えている。 「それは」 否定しようとした。でも、エリオットが言葉を覆い被せてきた。低めた声で。 「隠さなくていいよ。今日は、彼ら彼女らと思う存分、遊んできなさい。しか し、もし次回の見学の折もこんな調子だと、以後、見学は一切断るからね」 「……はい。ありがとうございます。今日は、本当に申し訳ありませんでした」 再度、頭を下げ、片付けを始めようとする相羽を、エリオットのやや節くれ 立った手が押し止める。 「ここはいいから、早く行きたまえ。私の気が変わらない内にな」 * * 相羽が同行できるようになって、富井と井口の二人が喜びを露にしたのは言 うまでもない。町田も歓迎したし、唐沢は口では「予定が狂う」などと悪態を つきながら、こうなることを見越していた節が窺えた。 純子だけが、複雑な気持ちでいた。相羽の存在が楽しくないはずないけれど、 それ故に、自分の気持ちをうまく隠せるよう、神経を張り詰めなければ。 町中に移動する電車に揺られつつ対策を考え、出した結論は――。 (唐沢君に引っ付いていよう) 単純だが、我ながら名案だと思う……思うことにした。 それからというもの、映画館でもレコード店でも、その他行く先々で、唐沢 との会話ばかり試みる。 「あ、かわいいな、これ」 博物館のお土産コーナーでも、純子の台詞は唐沢を意識してのものだった。 この頃にはもうすっかり当たり前の様子で、純子の隣に並ぶ唐沢が、「どれ?」 と聞き返す。 純子が指先で持っていたのは、ビニール袋でラッピングされた、金色をした 一センチ大の楕円形物。平べったくて、縞模様がある。 「何だい、それ。小判のおもちゃ?」 「やだぁ、三葉虫よ。三葉虫を象った模型。ほら、目が着いてる」 笑いながら、極小の小判に似た三葉虫を載せた手のひらを、唐沢の目の前に 近付ける。三葉虫には、ディフォルメされた目玉があった。 「ふーむ。これがかわいいかねえ?」 「かわいいもん」 唐沢の意地悪な言い種に反発して、頬を膨らませる。すると、唐沢が財布に 手をやった。 「かしてみなさい」 「え」 「プレゼントしちゃおう。安いもんだから、他にもあったら遠慮なく。と言っ ても、涼原さんなら、ここにあるくらい全部余裕で買えるだろうけどさ」 「いい。いらない」 急いで、首を横に振る。手も振った。 「遠慮するなって言ったぜ。何度も言わせないでくれよ」 そう言い残すと唐沢は商品を持って、レジの前まで行き、さっさと支払いを すませてしまった。戻って来て、紙袋を純子の前に差し出す。 「ほい。それとも、俺が持っていようか」 「ううん。あ、ありがとう……」 受け取ってしまった。 (私ったら、調子に乗りすぎ。唐沢君に悪い) 反省し、純子は町田の姿を探した。町田がそばにいてくれたら、さっきのよ うな状況になっても大丈夫だろう。 と、探している最中、目が相羽を捉える。富井、井口の両名と、会話が弾ん でいるらしく見えた。気になる。意識が釘付けにされそう。しかし、あえて無 視して、視界の片隅に追いやった。 「純、どうかしたかね?」 身体の向きを換えると、ちょうどそこに町田がいた。向こうは、純子の様子 に奇妙なものを感じたのかどうか、訝る風に聞いてきた。 「どうもしてません」 笑みを交えて答える純子。続けて頼んだ。 「ねえ、芙美。あっちの三人、楽しくやってるから、私達は私達で、かたまっ ていようよ」 「うん? まあ、それもいいけれど」 一瞬、首を傾げた町田だが、すぐ同意した。 「唐沢の相手をしてる方が、気楽だわ」 「……呼び捨て、なのね」 「……この上、貶めるような形容詞を付けるのは、さすがにかわいそうでしょ」 微妙な間を取りつつのやり取りに、やがて二人とも吹き出すと、そこへ唐沢 がやって来る。 「どうしたん? 面白いことでもあった?」 「――ええ。あんたの顔」 町田が指差すと、唐沢は怒る素振りもなく、「そうかもな」と応じた。調子 を外された町田が、口をぽかんと開ける。 「……あんた、大丈夫?」 「心配するな。今日に限っての話だ」 「はあ。わけ分かんないわねえ」 顔をしかめる町田を置いて、唐沢は満面の笑みで純子に向き直った。 「すっずはっらさん! リクエストがあったら、何でも言ってくれえ。元々、 今日は君のための集まりなんだからな!」 * * 正直言って、相羽は疲れていた。 ピアノレッスンを切り上げてもらって、皆と一緒に町に出てから、どれくら い経った頃か、純子のことが気になり始めた。 (純子ちゃんと全然、話してないぞ?) 富井と井口の二人と話している内にも、その姿を横目で探してしまう。おか げで、富井達と調子を合わせるのに、苦労した。映画のときも気になって集中 できず、ろくに筋を覚えていない。途中立ち寄った食堂では、財布と家の鍵を 置き忘れそうにさえなった。 (唐沢とばかり話してる。そういえば、今朝、ホールで会ったときも、まとも に会話してない) そう感じ始めてから、折を見ては純子に話し掛けようとしたものの、富井と 井口に囲まれっ放しで、機会を掴めないまま、とうとう帰り道に入った。 (話すことなら、いっぱいあったのにな。博物館の中なんか、話題だらけ。星 や化石について) 今さら後悔しても遅い。もやもやしたものを抱えたまま、建物を出た。デパ ートの催し物場でやっていた、オードリー=ヘップバーン展を観てきたあとだ。 好きな俳優のことなのに、展示内容の半分も頭に残っていない。 「――おお、忘れてた」 歩道に踏み出したところで、最後尾の唐沢が叫んだ。 振り返ると、鞄を肩から下ろし、中を探っている。程なくして、小さなカメ ラを取り出した。 「フィルムが余ってたし、写真を撮ろうと思って、持って来てたんだった。今 からでも、撮っておかないか」 「観光旅行してるわけでもあるまいに。こんな町中で撮っても、大した記念に ならないわよ」 すぐ前を行く町田が、間髪入れずに反応を示す。と、その隣の純子が、両腕 を胸元に引き寄せ、一生懸命な様子で頭を振った。 「そんなことないと思うわ。こうして揃ったこと自体、久しぶりだし、絶対に 記念になるって」 「さっすが、涼原さん。分かってくれてる」 唐沢が相好を崩すのへ、町田はため息と肩をすくめることで応じた。 「分かったから、早く撮れば? こんな往来で、目立つったらありゃしない。 まるでお上りさんよ」 足を止めて見守っていた相羽だったが、不意に手を引かれ、背を押された。 手の方は富井で、背中は井口。 「撮ってもらおうよ」 「そんなに焦らなくても、唐沢はちゃんと撮ってくれるよ、きっと」 髪に手をやりながら、体勢を立て直す。 「唐沢君、撮ってえ。フィルムがなくならない内に!」 富井のおねだりに、唐沢がレンズを向けた。街路樹や街並みをバックに、相 羽を挟んで両脇に富井と井口が立つ構図。 「よし、次は……涼原さん、相羽の隣に入る?」 唐沢に促された純子が、こちらへ目を向けてきた。視線が合う寸前で、すっ と交わされた――ように感じた。 「私はいい。それよりも、ツーショットでも撮ってあげて」 「なるほど、了解。――どっちか一旦、離れてちょーだい」 唐沢に求められた富井と井口は、相羽の前でジャンケンをした。負けた富井 の方が、フレームから外れる。 「笑って。はい、チーズ」 唐沢の掛け声に合わせ、笑顔をなしながら、内心では別のことを思う相羽。 (純子ちゃん、どういうつもりなんだ?) 二回、シャッターが切られたあと、井口と富井が交代する。再び、チーズの 掛け声に、条件反射のごとく、笑顔を作った。 (どうして一緒に映るのを拒否するんだろう?) 不満はある。でも今さら、一緒に写真をとこちらから言い出すのは、ためら われた。言うのなら、純子が拒絶する前、あのタイミングしかなかったろう。 唐沢はその後も、町田や純子を写真に収めてから、最後に言った。 「――相羽。悪いんだが、俺を撮って」 「ああ、いいよ」 「悪いな」 カメラを受け渡すとき、念押しするかのように言う唐沢。何か意味ありげだ と感じた相羽は、ファインダー越しにその答を知った。 「ようし、いいぜ。男前に頼む」 冗談めかして言う唐沢の横には、純子が肩を小さくして立っていた。少し固 い感じの笑みを覗かせ、心持ち、唐沢の方へ首を傾けている。 「……撮るよ」 「だから、いつでもいいって!」 対照的な声が交錯する。相羽は手ブレしないよう、カメラを構え直した。 「はい、チーズ」 * * ――『そばにいるだけで 52』おわり
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