長編 #5176の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「あ」 どちらかが、短い声を上げた。単に呼び止めようとしたのか、まだ言い足り ないことでもあるのか。 純子が振り返ると、しかし、特に何の話も成り立たなかった。そこには、初 対面の者同士みたいな、ぎくしゃくした間があった。 「ありがとう、話を聞いてくれて」 最後にもう一度、礼を述べると、純子は髪をなびかせ、きびすを返した。マ スターの視線に気付き、軽くこうべを垂れて、そのままドアを目指す。 (一歩、踏み出せた。止まっていた状況が、やっと動き始めたんだよね?) 自らに問い掛け、確認しながら、ドアを押す。外はまだ雨。 傘を開くと、残っていた水滴が、ぱっと散る。 (これで、よかったんだわ) * * 「おっはよ! 唐沢君!」 大きな声で呼ばれると同時に、背を叩かれ、唐沢は靴を履き替える動作を中 断した。声のした方へ向くと、純子が鼻歌混じりに、下駄箱から上履きを取り 出し、床に落としていた。 「お、おはよう。今朝はまたえらく元気だね」 「そう? いつも、こんな感じよ」 「いやいや。驚いちまった、俺」 改めて靴を履きながら、唐沢は感じたままを口にした。耳をそばだてるまで もなく、純子の鼻歌が続いていると分かる。 「何かいいことでも、あったのかいな」 「……そんなに浮かれてるように見えるんだ、今の自分て」 爪先を左右順番に、床にとんとんと打ち付けながら、純子は唐沢に笑みを向 けてきた。靴を履き終わったあとも、唐沢を待つ。手を後ろに回し、首を傾け た純子の仕種が、唐沢の動きを一瞬、止めた。 (か――かわいい) 今さらながら、分かり切ったことを感じる。 唐沢は目を閉じ、熱っぽくなった頭を振って、先に歩き始めると、あとから 着いてくる純子を肩越しに盗み見てから、会話を続けた。 「見える見える。いつも楽しげに笑ってるけどさ、今日は特に嬉しそうだ。そ の幸せを分けてほしいくらい」 「幸せだなんて、大げさね。ただ、今朝は、ちょっと元気出そうかなと思った だけよ」 「そう言えば、この頃、朝の電車、一緒にならないな。今日はたまたま、こう して会えたけれども。やっぱ、あれかい? 仕事で生活が不規則になるとか」 「ううん。今は何にもしてないから、関係ないわ」 「じゃあ、夏休みの仕事の疲れが、今になって出た?」 「それはあるかもしれないけれど。でも、登校する時間を変えたのは、単なる 気分転換よ。またいつか元に戻すと思う」 純子は唐沢を追い抜いた。髪をなびかせ、足早に行く。 向きを換え、階段に差し掛かるところで、唐沢は再び並んだ。 「みんな、つまんなく思ってるぜ。俺なんか、おかげで結城さんと親しくなっ ちゃった」 「マコ、いい人でしょ?」 「まあね。さっぱりしてるな。男女の区別がないって言うか。でも、相羽と話 すときだけは、何か感じが違うんだよなあ」 後頭部に両手をやり、天井を仰ぎ見るようにしながら、その実、横目で純子 を見やる唐沢。少し、探りを入れたつもり。 純子は、ステップを一段ずつ踏みしめ、前を向いたまま応える。 「見たままだもん、マコったら。反応がストレートなのよね」 これは、唐沢にとって、期待外れの返事だった。 (おかしいな? 以前なら、相羽の女がらみの話題を出したら、もうちょっと、 動揺が現れてたような気がするんだが。それが今のじゃ、よく分からんが、落 ち着いちまった雰囲気がある……) 「じゃ、結城さんは、やっぱり相羽が好きなのか」 「私の口からは何も言えませんよー。見たまま、感じたままでいいじゃない」 踊り場で曲がる刹那、舌をちらと覗かせ、微笑する純子。どことなく、淋し そうな影を感じたのは、唐沢の思い過ごしかもしれない。 「言ってるのと同じじゃん、それって」 「実際に言うのとは、大違いよ。マコには内緒にしてね、唐沢君」 「へいへい。その代わり、一つ、教えてほしいな」 「なあに?」 「今、好きな奴、いるのかい?」 唐沢は、純子の目を真っ直ぐ見つめた。軽い口調でありながら、真剣味を帯 びた表情。どちらが本物なのか計りかねて、戸惑う純子の気持ちが手に取るよ うに見えた。 「――誰の」 とぼけたのか、素のままなのか、純子が短く聞き返してきた。 唐沢は調子を合わせることにした。口真似をして、 「君の」 と、指差す。純子に対して「君」と言うのが、唐沢にとってはやけに新鮮な 響きを持っている。 「もちろん、好きな人はいるけれど」 「一応、断っておくと、男の中で、だぜ」 思い出し、逃げ道を慌てて塞ぐ唐沢。 純子は片目を瞑り、しまったという顔をした。そうして、観念した風に首を すくめ、本音を漏らすかと思いきや……。 「相変わらず、理想が高すぎて。付き合ってる人なんていない」 内心、舌打ちをした唐沢。 (難しいな。こんな朝っぱらに聞いたのが、失敗の素だったか。俺もそんなに 気長じゃないし、いい加減いらいらしてるんだぞ。本当なら、ずばり、相羽の 名前を挙げて聞いてやりたいところだぜ。はっきりさせないんなら、まじで行 動に移すしかないよな) 頭の中で、色々と思考を巡らせ、計算を立てる。 (今朝、涼原さんが特に明るいのは、相羽のことが原因でもないようだし、案 外、チャンスが巡ってきてるかもしれない) と思う反面、女たらしだのプレイボーイだのと囁かれている割には、抜け駆 けのできない質である。特に、本命相手だと。 (相羽の奴には以前、抜け駆けされたけどさ、あのときはあいつも外国に行く かもしれないってんで、切羽詰まっていたんだろうから、ノーカウントと見な してやる……と、俺は心に決めたんだ) 自らを納得させて、これからのことを考える唐沢。 女子の呼ぶ声に、はっと辺りを見回すと、純子の姿が消えていた。代わりに、 よくグループデートをする同級生三名が、唐沢の周りを取り囲んでいた。 「あら? すず――」 唐沢のつぶやきは、黄色い声に覆い隠された。 「今度の連休、どこへ連れてってくれるの?」 「早く決めてくれないと、困るわ。色々大変なんだから」 「そうそう、アリバイ工作頼んだりさあ」 唐沢は、耳を塞ぎたいのを我慢して、笑顔で如才なく応じた。 「はいはい、もうちょっとだけ待っててね。男にも、男の都合ってものがあり まして」 * * 学校にいれば、顔を合わせることもあるだろうし、話をする機会も生まれる だろう。しかしクラスが違うので、頻繁にというわけにはいかないはずだった。 「――純子ちゃん」 だけど、この日、相羽の方から話し掛けてきた。 心構えのできていなかった純子は、振り返るまでのコンマ数秒の間に、性根 を据えた。この辺り、哀しいぐらいに、女優業が板に付いている。 「なぁに?」 珍しく、鼻に掛かった甘えた声が出てしまった。意識過剰のようだ。咳払い を挟んで、調整する。 「今、時間あるかな」 「うん、大丈夫」 只今、二時間目が終わったあとの休み時間。昼休みの次に長い休み時間だか ら、少し話をするくらいは、融通が利く。 相羽と純子は、廊下の突き当たりまで移動した。壁を横に、いくらか低めの 声で始める。 「前に、ピアノのレッスンしてるところ、見てみたいって言ってたよね」 「え、ええ」 「やっと都合がつきそうだから、見に来る?」 「――そうなんだ。よかった」 今の状況では、飛び上がって喜ぶこともならず、抑えた調子で応えるのみに とどめた。内心では、相羽のあの演奏がしばらくぶりに聞けるんだと思うと、 たった今から、もう楽しみでならないというのに。 「今月の下旬に、エリオット先生が戻って来られて、大学の後期授業が始まる まで、余裕がある。その間のいずれかの日をってことなんだけど、純子ちゃん の都合のいい日はある?」 「えっと、ちょっと待って」 胸ポケットから、生徒手帳を取り出した。これのカレンダーに、スケジュー ルを書き込んであるのだ。無論、仕事間連の予定は、第三者に見られても問題 ないように、簡略化した記号で記入している。 手帳を立てたままページを開き、九月下旬に目を走らせる。 「――二十三日はどう? 私の方は何にも予定入ってないし、ちょうど学校が 休みだから、他の人も行きやすいと思うわ」 「……誰かと一緒に来るんだ?」 意外そうに眉を寄せたかと思うと、作り笑いめいた表情をなす相羽。 「あっ、ああ。そう、そうなのよ」 純子はどきりとする内心を押さえ込もうと、胸に手のひらをあてがった。 (こうしなくちゃいけないのよ。相羽君は、私だけのものじゃないんだから) 「友達と一緒に行っても、かまわない?」 「かまわないけど、一応、誰だか教えてほしい。結城さん達?」 「う、うん、ちょっと違うかな、あは。久仁香や郁江や芙美とか。みんな熱烈 に聴きたがってるのよね、これが。相羽君の腕前だったら、何度も聴いてみた くなるのは、当然! ね、いいでしょう?」 「うん」 「じゃあ、みんなには私から言っておくから。あ、もし郁江達の都合が悪いよ うだったら、別の日にしてもらうかもしれない。それでもいい?」 「いいよ。九月中なら、いつでも」 相羽は、素っ気なく返事した。最初に話し掛けてきたときに比べると、はっ きりトーンが落ちている。 「分かったら、連絡するね」 純子は敢えて気付かないふりをして、流す風に言った。 「なるべく早く、頼むよ」 相羽は、そう答えたときには、純子に背を向け、歩き出していた。 町田と会ったのは、下校のときの列車の中だった。 「あれー、純、一人?」 揺れる車輌内で、手を振りながら、足早に駆け寄ってくる。 偶然会ったと言うよりも、純子の方が時間を合わせたとすべき。一番に、町 田に話したいことがあった。 「うん、一人」 「いつもの顔ぶれは、掃除当番か何か?」 「ううん、他の用事があったみたい」 実のところ、純子の方から避けたのだが。相羽や唐沢のいるところでは、話 しにくい。 「それにしても、暑いわねえ。九月になったってのに。体育祭の頃までには涼 しくなってくれなきゃ、倒れかねんわ」 手にひらで顔へ風を送りながら、息を吐く町田。純子はその様子を見つめ、 一旦視線を下に落としてから、意を決した。 「あ、あのね、芙美」 「ん?」 「郁江や久仁香とのことなんだけど……少し、道が開けたかなって」 「――よかったじゃない」 こちらを向いた町田は、目を細めた。 「どこまで喜んでいいのか分かんないけど、前進したってことでしょ?」 「え、ええ、多分。まだ完全に仲直りできたわけじゃない。でも、話はできる ようになったから。体育祭や文化祭にも来ないかって、誘ってみた」 「あと一押し。頑張ってよ。私も応援してる」 「うん。それで、芙美も来て。体育祭とか文化祭とかに」 「いいけど、体育祭の方は、確か同じ日だって、聞いたよ」 「え、そうだっけ? じゃ、じゃあ、文化祭だけでも」 慌てて言い直す。顔に朱がさすのを自覚した。 町田はそんな純子を見て、笑い声を立てた。 「いいよ。ひっさしぶりに、四人揃って、楽しもうじゃないの」 純子の背をぽんと叩いたあと、ふと思い出した風に付け足す。 「あ、それに、女たらしの唐沢や相羽君も入れて、かな」 「……うん。そうなったら、いいね」 つぶやくように言って、あははとあまり意味のない笑い声を付け加えた。ま だそうなるという確信が持てない気持ちと、首尾よくそうなったとき、相羽と はどんな関係でいることになるんだろう?という漠然とした想像に、感情が少 なからず揺らぐ。波立って、いつまでも収まらない気がした。 ――つづく
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