長編 #5122の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
次第に言葉数が少なくなる純子。自分が望む最良の道へは、簡単に進めない らしい。 「ことを荒立てたくないと言うけれど、出演辞退するだけでも、大ごとよ。あ なたの名前こそ公になっていないものの、正式に契約を交わしていること、忘 れていない? こんなお金の話を持ち出したくはないけれど……本当の理由を 伏せて、気に入らないから辞退しますなんてことにしたら、莫大な違約金を払 わなければならないでしょうね。市川さん達が納得するとは思えない」 「……どうして、香村君は私なんかを選んだんだろ」 「そうねえ。専門外だから詳しく知らないけれど、出演者の組み合わせは本来、 プライベート面でのつながりもちゃんと考慮に入れて、作られるそうよ。仲の 悪い人同士を共演させないようにしたり、逆にカップルとして売り出すために 共演させたり。それと、主役の意向が強く反映される場合もあるというわね」 香村は、告白をしてくるぐらいだから、純子を好きなのだろう。改めて、そ のことを感じる。 「ねえ、純子ちゃん」 相羽の母が、説いて聞かせるかのごとく、切り出した。両肘をつき、首を右 に傾けて。 「あなたは本当に、優しい子ね。今度の一件にも、相手の香村君を気遣うなん て、普通はできない。だけどね、こういう場合、中途半端は一番いけないんじ ゃないかしら。香村君を許すんだったら、今度の映画にも出ないといけない。 許せないのなら、抗議をして、決着しないといけない」 「……ですよね」 小さく首肯する純子。心の奥底で、おぼろげに分かっていたことだった。 「どうしても大ごとにしたくないのなら、せめて、香村君個人に、言ってみる のはどうかしら。香村君が悪いことをしたと思ったなら、あとは純子ちゃんの 希望を聞いてくれるんじゃないかな」 相羽の母の提案に、純子はしばらくぽかんとして、やがて両手の平で口を覆 った。くぐもった声で応える。 「……いいかも……しれません」 こんなに簡単でいい方法に、今までどうして行き着かなかったのだろう。不 思議でならない。 (そう言えば、あれ以来、香村君と口を利いてないんだわ、私) 自ら心をシャットアウトしていたことに思い当たり、少し反省する。 (いくらショックだったからって、話もせずに、いきなり映画出演やめるなん て、私ったら……極端すぎたわ。危ない、危ない。殻に閉じこもって、周りが 見えなくなりそうだった) 心にゆとりが芽生えた。相羽の母に話を聞いてもらってよかったと、無意識 の内に感謝する。 「香村君に連絡してみます。それで、できれば直接会って、話がしたい」 「それがいいと思うわ。向こうもきっと、素直に応じてくれるでしょうけど、 もし万が一、こじれそうになったら、私なり、市川さんなりに知らせて」 「はい。でも、そんなことにはさせません」 決意を固めるため、はっきりと断言した。対して相羽の母は、不安の色を多 少覗かせながら、「頑張ってね」と言った。 相談に乗ってもらったことについて礼を述べ、帰ろうとすると、遅いから車 で送りましょうという申し出を受けた。 「いえ、いいです。自転車ですから」 当たり前のように、辞退する。自転車で来たというのは、口実に過ぎない。 そのとき、自室に引っ込んでいた相羽が姿を見せた。 「やっと終わった。長いんだから、まったく」 ふてくされたようなポーズを見せる相羽は、すでに外出着になっている。 「僕が送る」 「そんな」 「いいよね――母さん? 少し遅くなるけれど」 相羽は純子からの返事を聞き届けるより先に、母親に振り返って、許しを求 めた。半ば、承諾を強制するような響きがなくもない。 「充分、気を付けるのなら、私はかまわないわよ。純子ちゃん、それでいい?」 「……はい」 夜も十時が近い。送ってもらっても、罰は当たらないだろう――と、自らを 納得させる。その一方で、富井や井口達に頭を下げながら。 自宅に電話を入れ、安心させてから、マンションを出た。純子が自転車に乗 るのだから、相羽も自転車である。 車の交通量の多くない道を選びつつ、それでも用心のため、並列走行ではな く直列になって、ゆっくり漕いで行く。先が相羽で、後ろが純子だ。 「喋りにくいな」 「え? 何?」 「これだと、話がしにくいって言ったんだ!」 相羽が大きな声を張り上げた。実際のところ、相羽の声は純子にそこそこ届 いているのだ。逆に、後ろの声を前方を行く者がキャッチするのは、案外難し いと思えるのだが、相羽はしっかり純子の声を捉えているようだ。 「じゃあ、歩こうか?」 思い付いて、純子は提案してみた。相羽と今こうして一緒にいる時間を、少 しでも長くしたいという気持ちの表れだったかもしれない。 「遅くなるぞ」 「私はいいのよ。だって、ボディガードがいるもん」 「……」 相羽の表情がどんなものか、容易に想像できる沈黙があった。 「分かった。そうしよう」 相羽の自転車が、やや車道側にずれ、それからブレーキの音がした。続いて、 純子も停まる。二人は自転車を押しながら、歩道に上がった。すっかり弱くな った明かりが、前方をぼんやり照らし出す。時々、左右に揺れた。 「よかったら、教えてほしい。結局、どんな結論が出たのか」 「うん、香村君と連絡取ることにした」 続けて、最前の相羽の母とのやり取りを、かいつまんで話す。聞き終わった とき、相羽が立ち止まった。何ごとかと思ったら、目の前の歩行者用信号が、 点滅から赤に変わるところだった。 「香村を許すんだね」 「……だめ?」 不安に駆られ、相羽の横顔を見る。相手は首を横に振った。 「僕が決めるもんじゃない。君が決めたのなら、それでいいんだよ」 「……私ね、香村君を許すことはできると思うの。ただ、そのあとも今までと 変わらない接し方ができるかどうかが、とても心配」 「全く同じというわけには行かない。多分」 「実を言うと、連絡を取って顔を合わせるのも、もう少し先延ばしにしたいく らいよ。どんな顔をして問い詰めればいいのか、まだ分かんないもの」 「……厳しく叱りつけて、立場逆転するのもいいんじゃないかな」 言ったあと、相羽は笑い出した。どうやら冗談らしい。純子もつられて笑う。 折りよく、信号が青になった。 横断歩道を渡りきると同時くらいに、ぽつりと呟く純子。 「あーあ。それにしても、香村君じゃなかったのなら、誰がくれたのかなぁ」 「それ、琥珀のお守りのこと?」 「うん。折角分かったと思って、安心していたのに」 「……香村じゃないことは、間違いないんだね?」 相羽が聞いてきたのに、純子は答えるのが遅れた。いや、答えなかった。 黙って待っていた相羽は、しばらく純子の横顔を見つめたあと、不意に「ご めん」と謝った。 純子は真っ直ぐに顔を向け、何故?と目で問う。 「嫌なこと、聞いちゃったなと思ったから」 相羽の即座の返事に、純子はワンテンポ遅れて、小さく、しかししっかりと うなずいた。今の時点で思い出したくない出来事であるのは、確かだった。 「残念だな、今夜は曇りか」 唐突に言った相羽は、斜め前方の空を見上げていた。 「星が見えない。見えたなら、純子ちゃんに色々教えてもらえるのに」 その台詞に、純子は自然と微笑んだ。相羽は、話題を無理にでも換えたかっ たのだろう。そんな彼の気持ちが伝わってきたから。 「じゃ、私が教えてもらおうっと。ピアノのレッスンは、どんな具合?」 純子の急な話の振りように、相羽は瞬きを激しくした。が、すぐに心得て、 落ち着きを取り戻す。 「うん、相変わらず、充実してる。週一だと、物足りないくらいさ」 そう話す表情が、にわかに楽しげで明るいものになる。口調も弾みを得た。 「エリオット先生の指導は、厳しいところもあるけれどね。僕に合ってる気が する。何て言えばいいんだろ……伸び伸びとやれるんだ」 「嬉しそうね。よかった。いつか聴かせてもわらなくちゃ。前のとき、あんな に上手だったんだから、もっと凄くなってるんだろうなぁ」 「とんでもない。凄いっていうレベルには全然届いてないよ。それくらいは、 自分でも把握してる。聴いてもらったら、一発で分かる」 「あ、聴きに行くのは当分、できそうにないわ」 すまなさそうに目を伏せた純子の手が、ブレーキを弱く握った。 「土曜日は純子ちゃんも忙しい? やっぱり、仕事の打ち合わせなんかが?」 「――ええ。まあ、目が回るほどの忙しさじゃないから」 この辺りは、嘘をついた。聴きに行けない理由は、忙しさではなく、富井や 井口に対する遠慮からだった。 「それじゃあ、日曜は忙しいのかな」 「え、日曜?」 「ひょっとしたら日曜も、先生に見ていただけるようになるかもしれないんだ」 「へえ! してもらえるようになるといいわね! エリオットさんもあなたに 期待かけてるんだ、うん」 表情がほころぶのが、自分でも分かった。喜び過ぎかなと、思わず、片手で 右頬を押さえる。 見れば、相羽も目を細めて、嬉しそうにしていた。喜んでもらえたことが、 嬉しい――そんな感じだ。 「私も断然、応援するからね」 「あ、ありがと。それで、聴きに来られる日って、あるかな? 完成形にはほ ど遠いけど、精一杯の演奏をするためには、やっぱり前もって知っておかない と、心の準備が」 右拳を当てた胸を大きく上下させ、深呼吸のポーズをする相羽。口ぶりは真 剣で、態度はおどけている。どちらが本心なのか、簡単には見極められない。 純子は視線を外して、前を向く。 「今は分かんないわ。でも、時間ができたら、前もって知らせる」 郁江達と一緒に行けたらいいなと願いつつ、そう答えた。 それから――自転車を押すこと十数分、純子の家の前に到着した。 「じゃ、ここで。送ってくれて、ありがとう。おばさまにも」 「伝えとく」 相羽はそう答えたあと、しばし考え、思い切った風に言った。 「あのさ。色々あるだろうけれど、純子ちゃんの好きなようにやればいいんだ からな。負けるな」 「――ええ。それじゃ、またね」 微笑みを返して、手を小さく振る。相羽は自転車のサドルに跨り、肩越しに 振り返って、同じようにした。 純子は、相羽がペダルを漕ぎ始めたのを見て、背を向け、自分の自転車を押 しながら門の間をくぐる。物音を聞きつけたか、玄関の磨りガラスに、人影が 映った。父だろう。 (怒られるかな? こんなに遅くなって) それも仕方ないと覚悟して、ドアの前に歩を進める。 と、そのとき、後方で金属的な音がしたかと思うと、門扉を軋ませ、純子の 横に疾風のように立った者がいた。 引き返してきた相羽だった。 「相羽く……」 唖然として、うまく応じられないでいる純子の正面で、玄関の扉が開いた。 予想通り、父が姿を見せる。そして、不機嫌さの滲み出た響きで言った。 「帰ったのか、純子? 電話があって、何分経っているんだ? ちょっと遅い んじゃあ――」 「今晩は、夜分に失礼します。すみません。安全に送っていこうと思い、時間 が掛かってしまいました」 相羽に目を留めた父が、言葉を途切れさせ、その隙を突くかのごとく、相羽 が頭を下げた。 機先を制された形の父が、口をもごもごさせ、顎を一撫でする。ドアを後ろ 手に閉め、体勢を立て直すと、咳払いをした。 「ああ、君は……信一君だったな」 「はい」 「うむ、その、うちの娘をわざわざ送ってくれて、ありがとう。君のような子 がいてくれると、助かる」 「それでも、ご心配をかけたのには変わりないから……申し訳ありません」 「いや、いいんだ。無事ならいい。――純子、おまえも礼を言いなさい」 父に命令口調で言われて、「もう言ったわよ」と返しそうになったが、思い 止まる。相羽に向き直ると、改めてお礼の気持ちを伝えた。 父を見やると、満足そうにうなずいている。不機嫌から上機嫌に、百八十度 変化したようだ。 「それじゃ、帰ります」 相羽が言ってきびすを返すと、父は右腕を伸ばし、引き留めようとする仕種 を見せた。ただ、それが言葉で表されることはなく、 「ああ、気を付けて帰りたまえ。暗いし、遅いんだから」 と注意を喚起する台詞に変わった。相羽が振り返ったときには、父の腕は下 ろされていた。 「ありがとうございます」 静かに言って、目礼をすると、相羽は純子に対して軽く手を挙げた。 「じゃ」 「う、うん。ほんとにありがとう。気を付けて」 ――つづく
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