長編 #5102の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
藤沢の話しぶりは、純子の聞いたことのないものだった。きつく、吐き捨て るような感じが漂う。相手の男は、耳障りな口調に不釣り合いな猫撫で声であ る。 「冷たくしないでよ、藤沢さん。カムリンさんにとって、大事なことでしょう に。ねえ」 「ニックネームに『さん』付けするか、普通?」 「いいから、いいから、気にしないで。それよりも、さっきの話、何とかして ほしいんだけどなあ。思ったほど、まとまった額にならなかったから」 「何を言う」 「損失補填というか、要するに、当てがちょっと外れたもんなあ。きれいさっ ぱり返済するつもりが、わずかに足りなかった」 純子はうつむき、首を傾げた。 (何の話? お金の貸し借りが関係してるみたい。香村君や藤沢さんには全然 似合わない) 自分の耳を疑った。聞き間違いないのではないかと考えたが、引き続き届く 話の内容は、相変わらずお金絡み。 「そっちのミスだ。ネタの扱い方を間違った」 「冷たいこと言わずに、お願いしますよ。ほんのわずかなんだから」 「わずかなら、自分で何とかすればいい。関係ないね、我々の側には」 ほんの少し、声が接近した感じがした。藤沢が相手の男を振りきり、歩き出 そうとしたのかもしれない。が、止まった。 「いやいや、わずかと言ったのはあなたや香村綸の立場から見た場合で、私に とっちゃあ、でかい。一朝一夕に、カメラマン風情に稼げるもんじゃない」 「断る。あの件は、あの時点で終わっている。その約束だ」 「つれなくしないでほしいなあ。あの子に好かれたいっていう香村君に、協力 してあげたんですぜ。俺とあんた方とは言わば、共犯」 「人聞きの悪い言い方だ、気に入らないな」 (あの子って? 共犯?) 似つかわしくない単語の連発に、ますます困惑する。もはや純子は、二人の 会話が終わるのを待つのではなく、聞き耳を立てるようになっていた。 「俺は、紛う方なき事実を言ってるつもりなんですがね。俺がこのことをあの 子にばらしたら、あんた達が困る。あんた達があの写真の秘密を公にしたら、 俺のカメラマン生命が危ない。まさに共犯関係だ、ふはは」 「言うな、分かってるだろうな。貴様なんかと心中はごめんだ」 「だから、出してくれれば、言いやしないって。そりゃあもう、口にチャック をした上に、鍵までかけてやる」 「不安だな。縫い合わせてもらいたいくらいだ」 「冗談! 無茶言わんでくださいよ。だいたい、そこまで心配するくらいなら、 こんなだまくらかし、はなからやんなきゃよかったのによ」 「香村のわがままは、聞くしかないんだ。あのとき、『手を打たないとあいつ に負ける』とかどうとか、泣きつかれてね」 「天下の人気アイドルでも勝てないほどの高校生ですか。一度、お目にかかり たいね。あの風谷って子も、確かにかわいくてきれいだしなあ。カムリンが夢 中になるのも分かるってもんだ。――それよりか、何で顔のはっきり分かる写 真にしなかったんだい? そうしてりゃ、大々的に発表して、なし崩しにカッ プルにしちまえたかもしれないのに」 「そんなことしたら、逆効果だ。もうよかろう。時間が迫ってきた。香村も戻 ってくる」 「へいへい。じゃ、またあとで。特別ボーナス、何とか頼みますよ、ほんとに」 「仕方がない。考えとくから、こんな場所には、二度と姿を見せるな」 砂利を踏みしめる足音がして、二手に分かれた。 息を飲んで聞いていた純子は、身を隠したまま、動けなかった。声を上げな いよう、口を手で覆い、藤沢の姿が建物内に消えるまでやり過ごす。 (何よ、今のは) 唇を動かさず、心の中でつぶやいた。藤沢達がしていた話をじっくり考えれ ば、一つの出来事が浮かび上がる。 (こんなの……信じられない) 自然に形作られた推測を、否定したくて、純子は首を激しく振った。近くの 植え込みに、肩や身体が当たる。乾いた音がした。 その音に反応して、立ち上がる純子。周囲を見た。誰もいなくて安心すると、 帽子を目深に被り直した。 脳裏に焼き付いた想像をもう一度考えるため、唇を噛みしめた。 あの週刊誌に載った写真は、仕組まれたものだったの――? 信じたくなくても、すぐそばで語られた会話は、明らかに一点を指し示して いた。あれは芝居の練習であるとでもしない限り、覆しようがない。 「あれ? 君……」 やって来た星崎に気が付いたのは、声をかけられてしばらく経ってからだっ た。彼が普段着で、サングラスをしていたせいばかりではない。 顔を向けた純子に、星崎は頬をほころばせた。 「やっぱり、涼原さん。あ、いや、風谷だったっけ」 「……」 「まあ、どっちでもいいか。それよりもどうしたの、その格好? まさか、そ ういう役だとか? まさかね」 「……出たくなくなりそう……」 「え?」 純子のつぶやきに、星崎は首を捻った。そんな彼を置いて、純子は急ぎ足で、 スタジオへ戻った。 身の入らない台詞合わせを、どうにかこうにかやり終えると、純子はそそく さと席を立った。他の人達はともかく、香村とは顔を合わせたくない、話もし たくない。 それなのに、香村の方はお構いなしに、声をかけてくる。 「涼原さん、このあと暇だったら、一緒に来ないか?」 純子は聞こえないふりをして、無視を決め込む。ドアのノブを握りしめたと ころで、香村が重ねて呼んだ。 「涼原さん、涼原さんっ。……風谷さん!」 「何よ」 つっけんどんな物言いをしたのは、純子ではない。加倉井だった。 「香村君、このあとも忙しいと言ってたわよね」 「あ、ああ。言ったよ。邪魔しないでほしいな」 「仕事場に連れてって、何ができるのかしらね」 「僕の仕事を、見てもらおうと思っただけさ」 背後で言い争う香村と加倉井を残し、純子は廊下に出た。そのまま行ってし まうつもりでいた。杉本がちょうど迎えに来てくれている時刻だ。 「待ちなさいよ」 ドアを跳ね開け、飛び出してきた加倉井が、純子の隣に追いつく。どう言い くるめたのか、香村が続く気配は全くなかった。 「あなたは、忙しくないでしょ。少し、話があるんだけれど」 「……加倉井さん」 「ん?」 幽霊のように振り返った純子へ、加倉井は首を傾げて、名前を呼んだ理由を 求めた。 「加倉井さんは、忙しくないの?」 「幸いね。この映画に集中するために、その他の仕事をセーブしているわ。ス ケジュールも大きく空けなくちゃいけないからね」 「――ごめんね」 純子はいきなりだと分かっていて、頭を下げた。加倉井は目を一瞬大きくし て、またも首を傾げる。 「何の真似よ、それは。謝るのなら、まず理由を」 「映画、私、出ない」 そのまま逃げるがごとく、駆け出そうとした純子を、加倉井は素早くつかま えた。手首を握る加倉井の手に、力がこもる。爪が細長く伸びていたが、さす がに立てはしなかった。 「やっぱり、そんなこと考えてたのね」 加倉井の台詞には、不思議な点が少なくとも一つあった。 「……やっぱりって?」 「さっきのあなたの、まるで覇気を欠いた態度よ」 台詞合わせのことを差しているのだ。香村を信じられなくなって、まともに 演技できなかった。思い当たる節がある分、純子は沈黙するしかない。 「私はあなたを好きではないけれど、嫌いでもない。ですけどね、いつも通り じゃないあなただけは、はっきり嫌い。それに、謝るだけとはどんな料簡? どうにかしようっていう気はないの? まさかとは思うけれど、本気で出演を 辞退するつもりなのかしら」 「……ええ」 視線を外し、純子が答える。 コンマ三秒後、息を荒くした加倉井が、勢いを持って一歩近付いた。びくり と身体を縮こまらせる純子。加倉井は上げかけた手で純子の胸ぐら辺りを捉え、 引き寄せた。 「何を考えているのよ。なめるんじゃないわよ」 「そんな気は、ありません……」 静かだが凄みの利いた加倉井の声に対し、純子は弱く、か細く応じた。他に 出せる声が、今はない。 加倉井は顔を寄せ、歯を剥いた。その奥が軋んでいる。それでも、次に出た 声は、まだ落ち着きを有していた。 「気に入らない何かがあるというわけね。当然の権利として、教えてもらうわ よ。さあ、言いなさい」 「言えません。言いたくない……」 純子の服を掴む加倉井の手に一層力が入り、もう片方の手が、水平方向に大 きくスウィングした。 ぶたれる!――純子は首をすくめ、目を瞑った。 しかし、いつまで待っても、頬を張られる音も痛みはない。純子は目を右、 左と順に開けた。加倉井の手の平が、宙で止まっていた。 「言いなさい。本気でぶつわよ」 純子は首を横に振り、覚悟して顎を上げた。しばしの無言のあと、加倉井は 手を引いた。その手を両腰に添え、胸を反らす。 「ふん。言わないのなら、当ててあげるわ。そうねえ、また病気が出たんじゃ ないの? 演技力に自信がありません、周りの人に迷惑かけたくないから辞退 しますって」 真実の理由を隠すのなら、この見方を認めればそれで済むが、純子にも演技 に関するプライドが芽生えていた。黙ったまま、首をまた横に振る。 「それじゃあ、勉強かしら。高校に入って、授業に着いていくのが大変で、仕 事にまで手が回りません、という筋書き?」 「違います」 純子の応対に、加倉井は目に見えて苛立ちを募らせていった。女優意識から か表情こそ能面のようにしているが、何度も足の位置を変えたり、指で足の横 を叩いたりする。 「だったら、自分の口で言ったらどうっ?」 「……今は……」 小さく言い、うつむいて頭を振った純子。今日知ったばかりの事実に、純子 自身の心の整理が着いていない。 「あなたねえ」 加倉井が詰め寄ろうとしたとき、ストップが掛かった。星崎とそのマネージ ャーの柏田翔子が並んで廊下の向こうから歩いてくる。 「あ、いたいた。加倉井さん、あっちで探してたわよ。マネージャー氏、あの 様子だとお冠かも」 背中で柏田の言葉を受けた加倉井は、表情に笑みを被せて、それから振り向 いた。 「そうなんですか? どうもすみません。急がないと。うるさいからなぁ」 礼を述べるとまたすぐ純子に向き直り、「近い内に、わけを話してもらうわ よ」ときつく言い置く。無論、笑顔は消えていた。 純子が無言で首肯すると、加倉井は「お疲れ様」と、誰に言うでもなく口に して、廊下を駆けていった。 「――何か、あったの?」 足を止めて見送っていた星崎が、台詞と同時に純子へ目を向けた。洗い晒し のTシャツに古そうなジーパンという出で立ちは、普段着ではなく、これから よそで何かの撮影があるのかもしれない。 「いえ、別に」 「そう……? ならいいんだけど」 心配の色を多少残した眼差しの星崎に、純子は両手を身体の前で合わせ、頭 を下げた。 「今日はお疲れ様でした。先に失礼します」 固い調子だけれども、挨拶だけはしっかりして、純子は立ち去った。 ――『そばにいるだけで 49』おわり ※参考文献 『春山行夫の博物誌IV 宝石2』(春山行夫 平凡社)
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE