長編 #5040の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
男の影が廊下を音もなく移動している。素早く部屋番号を確認し ながら、早足で歩いている。すぐに目的の部屋を見つけたらしい。 ドアの前に立つと、しばらく中の様子に耳を澄ませていたようだが、 そのうちにドアノブをゆっくりと回した。鍵がかかっていて、ドア ノブは回らない。 男は内ポケットから何かを取り出し、鍵穴に差し込んだ。小さな 金属音がしたかと思うと、すぐにドアは開いた。ドアチェーンはか かっていなかったが、部屋の中は真っ暗だった。男は明かりのスイ ッチに手を伸ばしかけて思いとどまる。代わりにライターに火をつ けた。 狭い部屋のほとんどをベッドが占めていた。典型的なビジネス用 のホテルの客室だった。男がベッドに近づいた。バッドカバーが膨 らんでいるのを確認してから、ライターを消しベッドサイドの小さ なランプを点けた。いつのまにか、男の手には鋭いナイフが光って いる。 男がゆっくりとベッドカバーを取り除く。その下には枕と毛布が 丸めてあるだけだった。 「いきなりナイフとは物騒ですね」 背後から声をかけられ、男の動きが止まった。手にはナイフを持 ったままだ。ぱっと部屋の明かりがつく。男がくるりと振り返った。 若い神経質そうな男だった。 「あんたが荒谷さんか、リリィはどうした」 男は苛立っている。 「リリィ? きみが寄越した女はリリィという名前なのか」 荒谷は男の持つナイフを見ている。 「ああ、そうだ。あいつをどこにやった」 男はナイフをぶらぶらさせながら、荒谷をにらみつけた。 「きみはあのピンクチラシの関係者か。でもそのナイフはどういう 意味だい。ぼくのベッドにナイフを突き立てようとでもいうのか」 「うるさい。リリィをどうしたって言ってるんだ。確かにリリィは あんたの部屋に来たはずだ。隠し立てしても無駄だからな。なにし ろ、リリィはこの部屋に入る前に携帯電話で連絡をしてきているん だ。それがここでの決まりになっている。1時間おきに連絡を入れ る。これは大切なことなんだ。お客もいろんなのがいるからな。あ んたみたいに呼ぶだけ呼んで、女は来なかったとうそぶく奴もいる。 たいていは金を払いたくなくて、女をたたき出した奴だ。リリィか らはその後の定時の連絡がない。これはおかしい。携帯電話を鳴ら そうとしたら留守電になっていた。これも明らかにおかしい。携帯 電話はいつでもオンにしておくのが決まりだから。それで俺が調べ に来たってわけだ。さあ、リリィはどこだ」 「おかしいね。リリィとか言う女を探しているのなら、なにもそん なナイフを持っていなくてもいいだろう? きみはぼくを殺そうと した。そうだろう? でもなぜだ」 男の顔が引きつったように笑った。 「そうか、ナイフを見られちまったからには、隠す必要もないか。 まあ、リリィはお払い箱ってことさ。あいつはトラブルばかり起こ してきたからな。どうやらここのところ仕事を放り出して逃げよう という気配も見えてたし。だから今度のトラブルでいい潮時だと思 ったわけ。この部屋であんたと一緒に刺し違え心中でもしてくれた ら、都合が好いと思ってね。殺された死体には殺した人間が付き添 うもんだって決まってるんだ」 「あははは。なんてこった。あははは」 「何がおかしい」 荒谷はそれでもひとしきり笑った。 「いや、きみの手を借りなくても、リリィはもう死んだよ」 「なにぃ?」 「はずみというか、ぼくが殺してしまったんだ」 意外な話に男はあっけに取られたらしい。ナイフを持つ手がだら りと下がった。その隙を荒谷は見逃さなかった。さっと飛びつくと、 男の手からナイフを奪った。 「おい、なにをする」 男があわてて身構えたときにはもう遅かった。 「リリィが死んだというのは本当の話さ。でもここにはいない。ぼ くの部屋で死体で見つかったらまるでぼくが犯人扱いされてしまう からね」 「死んだ? それでリリィはどこだ」 若い男は悔しそうに荒谷の手にあるナイフを見つめながら吼えた。 「彼女は別の部屋にいる。いや、大変だったよ。髭剃りとスープだ けで彼女をこの部屋から運び出したんだけど」 「なにをとぼけたことを言ってるんだ。髭剃りとスープ? そんな もので何ができる」 「これが案外うまく行ったんだな。知りたいかい」 荒谷は嬉しそうに続けた。ナイフで男を威嚇しながら。 「まず髭剃りだけど。これは割とまともに使った。顔中にあった髭 をそったんだ。何故だと思う? 本当はリリィをこのホテルの外に 運び出したかった。でもそれはさすがに難しかった。そこでぼくは 彼女をこのホテルの中の別の部屋に隠すことにしたのさ。偽名を使 ってリリィを隠す部屋をもうひとつ借りる。フロントは髭面のぼく を荒谷幸生として覚えているかもしれないから、トレードマークの 髭をそって、別人になったというわけだ。もちろん、空き部屋があ ることを確認した上でね。それでフロントに下りていって、堂々と 別の部屋を借りた。それから、スープ。これは我ながらよく思いつ いたと感心したんだが。スープを3種類オーダーしたんだ。ちゃん と皿に入れて持ってきてくれって念を押してね。何故だと思う? 分からないか。そうだろうね。でも想像してみてくれ。、大人ひと りの死体を運び出すのは簡単じゃない。誰に見られるか分からない しね。怪しまれずに簡単に運べる道具が必要だった。そこでだ、ス ープを3皿も頼むとどうなると思う。死体を運ぶ道具をホテルで用 意してくれるんだ。そう、ルームサービスのカートさ。スープ皿3 枚だとまず間違いなくカートに乗せて運んでくる。ま、たまには二 人で持ってくるということもあるかもしれないけれど、ここでは幸 い、大型のカートで持ってきてくれた。そこからは簡単さ。リリィ をカートに乗せて、別の部屋に運んだ。そして、この部屋に戻って 君を待っていた」 「俺を待っていた?」 「そうさ。きみを待っていた。女が来ていないと電話で文句を言え ば、きっとそっちからリリィに連絡を入れるだろうと思った。携帯 電話の電源をぼくが切っておいたから女に連絡はつかない。そうす るとどうなる。必ず誰かが様子を見にくることになるだろう。そう 思ったんだが、案の定、きみはちゃんとやってきた」 「ちきしょう、俺は呼び出されたのか」 「そうだ。きみはぼくのシナリオにはなくてはならない格好の幕引 き役なんだ。きみがいないとぼくはここから出られない」 「どういうことだ」 「ついさっき、きみが言ったことさ。殺された死体には殺した人間 が付き添うもんだ。リリィを殺しに来たんだろう? そしたら、き みはこれからリリィの部屋に行くんだ。彼女のそばに横たわっても らいたい。ほら、きみの死体を運ぶためにルームサービスのカート もまだ置いたままだろ」 荒谷はそう言うと部屋の奥のスチール製のカートを示した。若い 男の顔が引きつった。荒谷がナイフを振り上げる。 「そ、そんな。俺はただ、様子を見てこいと言われただけなんだ」 「嘘をつけ。リリィとそれからぼくを殺しに来たんだろ」 「いや、あの、その・・・」 男の舌がもつれる。荒谷が一歩、男に近づいた。そして、ナイフ が勢い良く振り下ろされた・・・。 [エピローグ] 「もうそのくらいにしてあげれば」 女の声がした。白い顔が洗面所のドアからのぞいている。 「り、リリィ・・・生きていたのか」 若い男が情けない声を出した。荒谷はナイフを中途で停め、若い 男を見守った。 「荒谷さんに絞め殺されそうになったのは本当よ。一度完全に気を 失っていたみたい。でも、荒谷さんが苦労してわたしを別の部屋に 運んだときに、息を吹き返したの。あれは仮死状態だったのかな。 いきなり生き返ったもので荒谷さんにはずいぶん驚かれたけれどね。 幽霊かって」 荒谷がその時を思い出したのか、苦笑いをしている。 「あの時は寿命が縮んだな」 リリィが続けた。 「確かにあんたの言うとおり、わたしはこの仕事から足を洗いたい と思っていた。でも簡単に抜けられるほど、甘いものじゃないとい うことも良く知っているわ。現にちょっと変なことがあると、あん たのような男がナイフを持って駆けつけるんだものね。だから、荒 谷さんに頼んだの。ひと芝居打ってもらおうと。さっきの会話は録 音させてもらったわ。あんたがわたしと荒谷さんを無理心中に見せ かけて殺そうとしたという話だったわね。これを警察に持って行け ば、あんたはどうなるかしら。たぶん、殺人未遂罪かな。どう? それより、取引しない? このテープを警察に持ち込まない代わり に、わたしは死んだことにしてほしいの。事故でね」 「う、う、う」 若い男は唸り声をあげた。荒谷の持っているナイフを見つめて、 それからリリィの顔を見た。 「俺には選ぶ余地はないような気がする」 「そうよ」 リリィがにっこりと笑った。 (了) 「死体のある風景」はポケットミステリー通信3月23日号に掲載さ れました。
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