長編 #5033の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
無事、高校に合格できたおかげで、バレンタインのチョコ作りは気持ちよく 始められた。手際のよさは、調理部で鍛えた成果が出たようで、快調なペース。 ただ、時間がない。 純子の場合、大きな問題は、どんなメッセージを込めるか、である。 (ストレートに表せないのって、つらい) 手が止まる。 考えるけれど、まとまらない。もやもやしたものが浮かんでは消え、たまに こんがらがって、結局は白紙に戻る。 溶かしたチョコがまた固まってしまうまで、あとどのくらい? 「ああー、やっぱりやめようかしら」 全然汚れていない泡立て器を手にしたまま、純子はしゃがみ込み、流しに肘 をつく。ステンレスに冷たさを感じた。 「どうかしたの?」 心配してか、居間に引っ込んでいた母親が顔を覗かせた。 「うまく行かないのだったら、手伝ってあげましょうか」 我がことのように弾んだ声で言う母。とても嬉しそうにしていて、ハミング でも始めかねない。 「うまく行ってることは行ってるんだけれど……形が決まんない」 「決めないで、作り始めたの? 呆れた」 腕まくりをする母。もうやる気満々だ。純子は慌てて立ち上がって、首を横 に振った。三角巾の下で、まとめた髪が小さく揺れる。 「いいって、お母さん。自分で作らないと、意味がないんだから」 「――誰にあげるのよ」 これまであえてしなかった質問を、母がしてきた。 純子は泡立て器を胸の前で、両手で握りしめて口ごもる。間が持たなくて、 流し台の方に身体を向けた。 「思い浮かぶのは四人いるんだけれどねえ。誰かしら」 横手から母が言う。純子はチョコの入ったボールを、意味もなく揺らした。 「これまで通りなら、お父さん。でも、そうじゃないようね。こんなに気合い を入れて作ろうとしてるんだもの」 「お、お父さんにもあげるつもりよ」 「鷲宇さんという線も考えたんだけれど、どう? 日頃の感謝とこれからお世 話になるという意味で」 「あの人は、今、アメリカにいらしてるから……」 「そうなの? じゃあ、鷲宇さんでもない」 上目遣いになって、指折り考える母。 (お母さんてば、こういうことになると、どうしてこんなに興味津々なのよー っ。まるで芙美みたい!) 純子は手を止め、きっぱり抗議しようとした。が、遅かった。 「あとはじゃあ、相羽君か香村君しかいないわ。どっち? 二人ともかしら」 「……」 「いいじゃないの。教えてちょうだいよ。楽しみだわ」 「……二人とも」 純子は不機嫌そうに答えてみせた。最初は唇を尖らせていただけだったのが、 それでは足りないと思い、腰の両側に手を当てた。 (これ以上は聞かないでよ、お願いだから) 聞かれたら、本命の名前を言ってしまうかもしれない。知られたくない気持 ちと知ってほしい気持ちが相半ばする。 幸い、杞憂に終わった。母は頬を緩めて、 「なぁんだ、がっかり。それじゃあ、本命チョコを作る気はないわけね」 と勝手に解釈してくれた。純子にとって都合がいいような悪いような、複雑 な気持ち。 「ねえ、お母さん。同じのにしていいと思う?」 「うん? 同じチョコを作って、二人に渡すって意味かしら」 「そうよ。別に、差を付ける必要ないし……」 本心では付けたいのだけれど。 「そうねえ……相羽君と香村君て、顔を合わす機会はあるの?」 「うん。たまにはね」 仲はよくないみたい……とまでは言わなかった。言えば、一層冷やかされそ うな気がする。 「それなら、同じにした方が無難よね。まあ、変化を付けるとしたら、名前を 入れてあげるのが一番いいんじゃなくて?」 「そっか」 ホワイトチョコに目をやった。一応、用意してある。 「お母さん、絞り出すのに何か……」 母の反応は素早かった。 「はい、これね。専用のチューブがあるのよ」 その後、二個のチョコレートが完成してから、純子は気が付いた。 (香村君に渡す方法がない……) * * 一人で留守番をしていると、呼び鈴が聞こえてきた。それが一種の福音だと は、相羽にはまだ知る由もない。 扉を開けると、純子が立っていた。両手を身体の前で組み、すまなさそうに うつむいている。そのせいで、白く、ふわふわした感じのベレー帽が、あと少 しで頭から落ちそうだ。 星の瞬く夜空をバックに、純子が顔を起こす。 妖精か天使みたいだ、と相羽は感じた。 「純子ちゃん……どうしたの」 「こ、こんにちは」 「うん」 「あの、これ……とにかく、受け取ってほしい」 胸の高さまで持ち上げられた両手には、白く小さな箱。水色のリボンが十字 に掛かっている。交叉部分が、やや右肩寄りだ。 (今日は二月十四日だったはず……) 思い違いだろうか? いや、そんなことはない。現に午前中、郵便受けを覗 くときれいな箱のチョコが数個入っていたし、ドアのすぐ脇にも置いてあった。 (君がくれるなんて) 相羽は、夢でも見ているのかと思った。人生で初めて、本当にほっぺたをつ ねりたくなったほど。 「ごめんなさいっ。何も言わずに、受け取ってください」 純子が再度お願いしてきた。両手で箱の角を持ち、相羽のすぐ前に真っ直ぐ に差し出すと、顔を下に向けてしまった。 見取れていたのと、呆気に取られていたのとで、相羽の返事が遅れた。行動 も遅れた。 「相羽君……?」 純子が顔を上げる。その目には不安の色が強く宿っていた。 「――もらうっ、もらうよ」 勢い込んで相羽が叫ぶと、純子の眼差しに含まれる光があからさまに変化し た。台風に怯えていた子供が、その後訪れた快晴にはしゃいでいる、そんな感 じに似ている。 「ありがとう、純子ちゃん」 箱が相羽の手に渡る。 純子の安堵の息があった。そして、まったく変わらないフレーズで返した。 「ありがとう、相羽君」 「……どうしてお礼を言うの?」 相羽の問い掛けに、純子は泣きそうな笑みで応えた。 「だって、受け取ってもらえて、嬉しくて」 「お、大げさだな」 「ここに来るまでは、黙って置いて行こうかと思ってた。でも、ドアの前に来 たら、気が変わって……渡してよかった」 今日、初めて手渡しでくれたのが純子だった。他の女子は、去年、相羽が本 気チョコをことごとく断ったので、直接渡すのを避け、置きチョコに走ったと 思われる。 「じゃ、じゃあ、帰るね。味は大丈夫と思う」 「あ」 顔を伏せがちにしてきびすを返した純子を、相羽はすぐ呼び止めた。 「ほんと、ありがとう。お返しするから」 「ううん。いいの、いらない」 一瞬だけ立ち止まり、純子は振り返らずに答えると、そのまま走っていった。 女の子って分からない。 チョコの小箱を前にして、相羽はつくづく感じた。 純子からもらった初めての――そう、初めてなのだ!――バレンタインチョ コをぼんやり見つめる。その後ろには、他の子が置いていったプレゼントがカ ラフルな山を築いている。 部屋で一人、カーペットの上であぐらを組んでそうしていると、やがて頬が 緩んでしまった。 (分かんないけど。でも、嬉しい。たとえ義理チョコだとしても) 相羽は唇をぎゅっと噛み、意を決して手を伸ばした。純子からの小箱に触れ ようとしたその瞬間、思い直して引っ込める。居住まいを正し、足を揃えて座 り直した。 (……何やってんだか) 頭をかいて自嘲気味に苦笑したものの、やめられない。正座した相羽は、今 度こそ純子からの小箱を手に取った。 包装紙を毛羽立たせることのないよう、シールを力を入れずにそろりそろり と剥がしていく。 次に、リボンを、型くずれさせないよう、これもゆっくりと抜き取った。箱 の上で十字を描いていたリボンは、床に落ちると輪になった。 包み紙の縁に指先をあてがう。焦って、余計な折り目を付けたくない。極力 優しく、相羽は時間を掛けて包装紙を取った。 薄桃色の厚紙でできた箱が出て来た。ビニールラッピングされていないし、 店の名前が入っていない。と言うことは。 「手作り、かな?」 嬉しさに拍車が掛かった。小学六年生のとき、純子から手作りチョコをもら ったことがあるけれど、あれはバレンタインではなかった。勝負をして勝ち取 ったようなものだった。 蓋の両側に手を沿え、真上に引いて、開ける。チョコレートが見えた。 「『あいば くん ゴメンネ』……」 一枚板のチョコの上に、繊細な文字がホワイトチョコレートで書いてあった。 ゴメンネの文字は、ことさら小さいけれど、印象的。 (何が『ごめん』なんだい?) そう言えば、さっき手渡してもらったときも、謝っていたような。 他に手紙かメッセージカードでも付いているのかと思ったが、なかった。 (義理チョコのはず、だよな) ふられた身としては、それが当然の判断である。 (『義理チョコでごめんね』という意味かな。それでも何か変だぞ) このチョコをくれたときの純子の態度。「義理チョコでごめんね」というの なら、もっと気軽な調子で渡してくれればいいじゃないかと思う。 (ひょっとすると……『ふっておいて、義理チョコをあげるなんて、ごめんね』 ……こういう意味か?) これなら、どうにか理解できるかもしれない。ただ、本当にそんな気持ちで いるのなら、謝るくらいなら、くれるなよ!と思わないでもない(くれなくて いい!と言い切れないところが、我ながら情けない)。 「あーあ。分かんねー」 大きな声で短く言って、相羽は仰向けに横たわった。 およそ一分間、天井の照明を見つめていたが、ふと思い付き、膝を立て、再 び起き上がった。 (今、食べないと、ずっと残しておきそうな気がする) 純子のチョコを手に取り、真剣な面持ちで考える。考えて、ゴメンネの部分 だけを割り取った。残りは結局、箱に戻す。 手元の小さなかけらを口に放り込み、一度だけ噛んだ。あとは舌も動かさず、 溶かす。 格別の味のチョコレートだった。 完全に飲み込んだあと、相羽はある決意を固めていた。 * * ――つづく
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